第6話 それぞれの思惑


「……だ、誰ですか?」


 夜も更けようかというこの時間。

 扉の開く音に、眠気がどこかへ飛んでいく。


 ドクンドクンと胸が高鳴り、背筋に冷たい汗が流れる。


 ゆっくり、ゆっくりと扉が開かれ。

 物音を立てずに現れたのは――。


「――る、ルナさん……?」


 特徴的な金髪ロールを下ろし、年相応の雰囲気になったルナさんだった。


「こ、こんばんは……です……」


 薄手のキャミソールに身を包み、身体の半分はありそうな大きなぬいぐるみを抱いた彼女が、おずおずと部屋に入ってくる。


 突然の出来事に、俺は固まってしまう。


 ……いや、待てよ。

 わざわざこんな夜更けに訪ねてくるくらいだ。なにか重大な事件が起こったのかもしれない。

 その可能性を考え、俺は立ち上がりベッドサイドに置かれている剣を掴む。


「ど、どうされたのです!? もしかして、敵襲ですかっ!?」

「ち、違いますっ」

「では、いったい何が……?」

「そ、そのぉ……ええと……」


 モゴモゴと言いにくそうに口を動かすルナさん。


「大丈夫です、安心してください。私がいますから……」


 安心させるよう、優しく語りかける。

 ルナさんは「ふぅ、ふぅ」と深呼吸をして息を整えながら、ぬいぐるみをギュッと抱きしめていた。


 息を整え終えたルナさんは俺をじっと見つめ、口を開く。


「クロノさまにお願いがあるのですっ……」

「お願い……ですか?」


 俺は男騎士。人を守るためにここへやってきた。

 ルナさんのお願いなら、なんでもやる所存だ。

 覚悟を決め、彼女の言葉を待つ。


「……クロノさま、私と……添い寝をしてくださいっ!」


 ………………。

 …………………………はい?


 そ、添い寝……?


「……添い寝、ですか?」

「は、はいっ。……実は私、一人では眠れないのですっ」

「そ、そうなんですね」

「いつもはナナルと一緒に寝ているのですが……今日は忙しいみたいで……」


 小さな声でルナさんが言う。

 優雅で、大人びた雰囲気を持つルナさん。そんな彼女の秘密。

 

 貴族のご息女とはいえ、まだ彼女は若い。

 それに、立場もある。こうやって弱みを見せられる相手など、ほとんどいないのだろう。


 毎日、寂しい思いをしていたのだろうか。

 母親であるサニィ公爵はほとんど家に居ないと聞く。


 家族に会えない寂しさ。辛さ。


 そんな気持ちを一人で抱えて、ミスティライト家の責務を果たしている彼女に、俺は自分を重ねていた。


 ――ルナさんのささやかな願い。

 それを叶えてあげたいと思った。

 

「……分かりました。私でよければ」

「い、いいんですの……?」

「はい。断る理由などございません」


 とは言ったものの、どうしよう。

 ルナさんは添い寝と言っていたが、当然そんなことはしたことがない。

 

 昔実家で飼っていたゴールデンレトリバーのココアとならしたことがあるが、もちろん女の子となんて一度もしたことがない。なにせ俺は童貞だ。


 いや、そういえば……。

 師匠と野営したとき、隣で寝たような……? いや、そもそもあれは添い寝と言えるのか……?


「……クロノさま? 大丈夫ですか?」


 頭を悩ませている俺を心配したのか、ルナさんがそう聞いてくる。

 

「ああいえ、実はその、異性と添い寝などしたことがないものでして……」


 なんせ、純潔の騎士ですからね。

 そんなことができていれば、今ごろ非童貞だったはずだ。

 

「そ、そうなのですかっ? ……ふふっ、でしたら私がの相手ということですね……?」


 初めて、のところをやたらと強調しながら、ルナさんが嬉しそうに近づいてくる。

 手を伸ばせば届きそうな距離。ふわりと漂うルナさんの匂い。


 ――落ち着け。俺は男騎士。人を守り、助けるのがのが仕事だ。これはその仕事の一環なんだ。

 それにルナさんに手を出そうものなら、サニィ様に殺されても文句は言えない。


「……それでは寝ましょうか。明日も早いですので」

「はいっ」


 二人で大きなベッドに横になる。

 近すぎず遠すぎず。

 俺とルナさんのあいだには、大きなぬいぐるみ。


「この子はなんという名前なのですか?」

「この子はね……ロロっていうの」

「ロロさん、ですね」


 ルナさんはリラックスしているのか、口調が年相応のものになっている。

 優しくロロの頭をなでているルナさん。その姿を見ていると、俺の緊張も解けていく。


「まだ私が小さい頃、お母さまから頂いたの。寂しくないようにって」

「いいお母さまなのですね」

「うん……。でも、お母さまは忙しいみたいで、ほとんど屋敷にはいないんです」


 なるほど……。

 たしかにサニィ様はご多忙だと聞く。

 貴族としても、魔導研究の第一人者としても有名な彼女は、世界中を飛びまわっているのだろう。


 ルナさんの父であるクロード様も、10年ほど前に病気で亡くなられている。

 小さい頃から家族と会えない寂しさは、ルナさんにとっては辛いものだったはずだ。


「……クロノさまは、どうしてそんなに優しいのですか?」


 ふと、ルナさんがそんな質問を投げかける。

 

「私が、優しい?」

「はい。人を助けるためなら、我が身も厭わない高貴な男騎士。そう聞いております」

「……それが男騎士の責務ですから」


 かつて師匠は、俺にこう言った。


『――いいかクロノ。お前は強い。だが謙虚な気持ちは忘れるな。驕り高ぶりは己の身を滅ぼす。騎士の矜持を常に忘れるな。そうすれば、お前はもっと高みにいける』

 

 その言葉を、俺は一度も忘れたことなどない。

 弱かった俺を助け、そして鍛えてくれた師匠のような人間に憧れて俺は騎士になった。


 その責務を本当に果たせているのか、今まで実感はなかった。

 だがルナさんの言葉を聞いて、これまで頑張ってきてよかったと、素直に思えた。

 

「……それだけじゃありません。メイドたちにも優しくされていたではありませんか。みな、クロノさまのことを称賛していましたよ?」

「メイドの皆さまは、本当に良くしてくださいましたからね。お礼を言うのは当然です。特にナナルさんは、本当に素晴らしい方でした。おかげで日々の疲れを癒すことができました」


 ――ガサガサッ。

 ナナルさんの名前を出すと、入り口の方向から物音がした。

 その方向に目を凝らす。暗闇が広がっている。


 ……誰もいない。気のせいか。


「クロノさまは、寂しくないのですか?」

「はい。私の周りの方たちはみな優しいですからね。男の私にも」

「……恋人などは、いらっしゃらないのでしょうか?」

「はは。今のところは仕事が恋人のようなものでしょうか」


 と、カッコつけてみたものの、ただの言い訳である。


「そ、そうですか……! ふふ、ふふふ……」


 なにやら意味深な笑みを浮かべているルナさん。

 そんな話をしているうちに、眠気が襲ってきた。

 それはルナさんも同じようで、あくびを噛み殺している。


「明日も早いですので、そろそろ寝ましょうか」

「はい……。少し名残惜しいですが、クロノさまに無理をさせるわけにもいきませんものね」

「それでは、おやすみなさい」

「おやすみなさい、クロノさま」


 添い寝をしてくれと頼まれたときは驚いたが、こうやってルナさんの話を聞けて良かった。明日から始まる護衛任務にも力が入ろうというもの。


 ――純潔の騎士の名に懸けて、必ず守り通して見せる。



 

 ◇◇


 


 クロノとルナが眠る部屋。その扉の外。

 誰もいないはずの暗闇に待機するのは、ナナル。

 

 気配を消し二人の様子を伺う彼女には、重要な使命が課せられていた。


『いいですかナナル、なんとしてもルナとクロノをくっつけるのです。……いや、そこまでは望みません。友誼を結べるだけでも構いません』

『はっ。必ずや、二人の距離を縮めて見せましょう』

『頼みましたよ、ナナル。ああ見えて、ルナはロマンチストといいますか、夢見がちといいますか……。背中を押さないと動かないでしょうからね』


 ナナルが当主のサニィからそんな命令を受けたのは数日前。

 

 魔導大国エルドラドへ視察へ行っているサニィは、自身が開発した遠距離通信魔具を使ってナナルと連絡を取り、指示を出した。


 サニィがこのような指示をしたのには理由がある。


 いかに貴族といえど、この世界で理想の結婚相手を見つけることは難しい。


 それはルナも例外ではなかった。

 候補に上がっていた男は、正直言ってクソだった。

 見てくれはいいが、性格が終わっていた。


 当然サニィも、その男のことが苦手であった。

 だが、それは仕方のないことだと諦めていた。


 そんなある日。

 サニィはナナルから「ルナがクロノという男騎士に憧れている」と聞く。


 ――好機だと、サニィは思った。

 

 あの災厄黒龍テンペストドラゴンを一人で討伐したというクロノ。


 強さと高貴さを兼ね備えた男。

 家柄はないが、誰からも人気のあるクロノなら、ルナの結婚相手として申し分ない。

 

 そして、ルナの護衛任務にクロノを指名したのだ。

 かなりの大金を積んで。


 そんな思惑があったとは知らないルナは、ただ喜んだ。


 あの憧れのクロノに会える。

 ――これは運命なのだ、と。


(……なんとしてもこの任務、成功させてみせる)


 ナナルから見ても、クロノは完璧な男だった。

 噂の通り、強く、思いやりがあり、誰にでも分け隔てなく、優しい。


 さらに、純潔という噂もどうやら本当らしかった。

 そのことを聞かれて照れるクロノを見て、ナナルは股を濡らした。ルナがいなければ、間違いなく真っ先に狙っていた。


 だがナナルの忠誠心は強かった。

 その気持ちを押し殺し、ルナとクロノをくっつけるために全力を尽くした。


(それに、この国は一夫多妻制ですからね)


 ……ワンチャンはしっかり狙っているナナルなのであった。


 そんなナナルが待機する部屋にやってきたのは、先ほどの命知らずなメイドたち。


 彼女たちがたどり着いたのは、理想郷ではなく地獄だった。


「ど、どうしてナナルさんがここに……!?」

「……それはこちらのセリフです。あなたたち、覚悟はできていて?」

「「「ひ、ひいいいいっ!」」」


 暗い廊下に、新人メイドたちの叫び声が響く。


 ミスティライト家当主サニィ。

 その娘、ルナ。

 ルナのメイド、ナナル。

 そして新人メイドたち。


 ミスティライト家の屋敷で、クロノを狙う多くの人間の思惑が交錯していた。

 

 ――そしてそのことを、クロノ本人だけが知らないのであった。


 


──

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