第5話 理想の男


 クロノが依頼を受ける一週間ほど前。

 ミスティライト家は、かつてないほどのお祭り騒ぎとなっていた。


 ――かの有名な、純潔の男騎士クロノ。

 この世界で唯一の男騎士であり、そして高貴な精神を持つという男。


 そんな彼がやってくるという噂に、ミスティライト家の使用人、およびメイドたちは浮き足立っていた。


 そのことについて話があると、応接室に集められたメイドたち。


「ほ、ほんとうにクロノさまがいらっしゃるのですか……?」


 その中の一人、新人メイドのミィナが、メイド長であるマリナにおずおずと尋ねる

 

「ええ。ルナお嬢様の護衛を、クロノ様にご依頼すると聞いております」


 その問いに、冷静に答えるマリナ。

 

 数日前からメイドたちの間で広まっていた噂。

 それがどうやら本当だと分かった途端、メイドたちはきゃあきゃあと騒ぎ出す。

 

「さ、さすがルナお嬢様……!」「あの憧れのクロノさまに、お会いできるってことですの!?」「なんでも、クロノ様は純潔だとか」「……それって、都市伝説ではないの?」「誰かの妄想でしょ?」


 口々にクロノについて話し出すメイドたち。

 彼女たちの目は、期待の光で爛々と輝いていた。


「静かに! ……いいですかみなさん、これはミスティライト家始まって以来の一大イベントです! クロノ様が気持ちよく過ごせるよう、我がミスティライト家の威信をかけて全力でサポートいたしますわよ!」


「「「はいッ!!」」」


 メイドたちの気合いの入った返事が、広い応接室に響く。

 

 それぞれがクロノに抱く感情はさまざまだが、共通しているのは『憧れ』であった。


 まるでお伽話から飛び出してきたようなクロノの逸話。

 

 そして強いだけではなく、高潔だと噂されるクロノ。

 巷では『純潔の男騎士』と呼ばれている彼がどのような人物なのかは、この中の誰も知らない。


 だからこそ、彼女たちは夢を見た。理想を抱いた。


 ――そしてそれは一週間後、現実となるのだった。


 ◇◇◇


 一週間後。

 ルナに連れられやってきたのは、メイドたちの想像……いや妄想どおりの男だった。


 この国では珍しい、黒髪黒目。

 優しげな雰囲気の、爽やかな青年だった。

 それだけでメイドたちは歓喜したが、それ以上に彼女たちを喜ばせたのは、彼のその優しく高貴な性格だった。


 食事の時は、「この料理、すごく美味しいです!」と料理を褒め。


 お風呂のときには、案内をしてくれたメイドに「ありがとうございます。助かりました」とお礼を言い。


 寝る前のベッドメイクをしたメイドには、「お疲れさまです」と声を掛け。


 優しく微笑み、メイドたちを労うその姿は、彼女たちの思う男のイメージとは真逆だった。


 男の少ないこの世界では、男は丁重に扱われる。

 しかしそのせいで、多くの男は傲慢でわがままで、全てが自分の思い通りになると思い込んでいる。


 そういった事情もあり、クロノに声をかけられたメイドたちはみな、彼の魅力に堕ちていった。


 ちなみに、クロノのお世話係には皆が立候補した。

 ……その権利を賭けて、水面下ではさまざまな知略、謀略を使った頭脳戦が行われていたことを、クロノはもちろん知らない。


 彼女たちにとって、クロノとの触れ合いはまるで夢のような時間であった。それもそのはず、彼女たちのほとんどは、男と会うこと自体が初めてだったのだ。


 貴族か、王族。

 もしくはギルドリーダーのような、重要な仕事をしている者でないと、男に会う機会はほとんどない。


 メイドをしているのは庶民の出のものがほとんどだ。中には働きにきている弱小貴族の息女もいたりはするが、彼女たちですら男と会う機会は少なかった。


 初めて会った男が、クロノだというのは幸せなことなのか、それとも……。


 クロノは罪な男であった。

 純情で、誰にでも優しい男であった。

 だからこそ、メイドたちは妄想した。

 クロノが、自分の理想のシチュエーションで迫ってくるのを。

 

 しかし、それだけでは我慢ができないものもいた。


 深夜。

 数人のメイドたちがコソコソと廊下を歩く。


 彼女たちはここで働き始めて間もない、まだ年若いメイドたちだ。そして、クロノのお世話係争いに勝てなかった者たちでもあった。


 彼女たちの目標地点は、クロノが眠る部屋。

 

 誰もいない静かな廊下。

 時間をかけて、彼女たちはクロノのいる部屋に辿り着く。

 

 見張りはいない。

 マリナは油断していた。ミスティライト家のメイドが、このような蛮行に及ぶはずがないと思っていたのだ。

 

 彼女たちはここにきて日が浅い。

 まだそのような、貴族に仕えるメイドに相応しいプライドは持ち合わせていなかった。

 

 彼女たちはただひたすらに、自分の欲望に忠実であった。


 先頭を歩くのは、この中で一番年下のミントというメイドだ。

 

 この作戦の発起人でもある彼女の目は、覚悟が決まっていた。……いや、ガンギマリだった。

 

 こんなことがバレたら、間違いなくクビである。

 しかし、そのリスクを天秤にかけても彼女たちはクロノに会いたかった。会話したかった。


 そして彼女たちは辿り着く。

 ――クロノの眠る寝室りそうきょうへと。

 

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