第3話 ルナ・ミスティライトの依頼


 ――ミュゼの依頼は、俺の予想を大きく上回るものだった。

 

 次の日。

 俺は緊張に震えながら、ギルドで依頼人を待つ。

 

 そして待つこと数分。

 ゆっくりと扉が開かれ、一人の女の子が入ってくる。

 

「あなたが噂の男騎士、クロノさまですのね。わたくし、ルナ・ミスティライトと申します。よろしくお願いいたしますわ」


 やってきたのは、お人形のような女の子。

 綺麗に編み上げられた、サラサラの金髪が眩しい。

 彼女はいかにもお嬢様といった佇まいで、上品にスカートを持ち上げながらお辞儀をしている。


 ルナ・ミスティライト。

 この街を治める、ミスティライト公爵家のご令嬢だ。普通なら会話をすることも難しい、本物のお嬢様である。


「こ、こちらこそよろしくお願いいたします、ルナ様」

「そのようなお堅い呼び方、やめてください。気軽にルナちゃん、もしくはルナ、とお呼びくださいませ」

「で、できません、そのようなこと……!」


 恐れ多すぎるし、そもそも俺は女の子をちゃん付けで呼んだこともない。俺にとっては高すぎるハードルだ。


「では、間をとってルナさん、と」

「それなら構いませんが……」

「ふふ、ありがとうございます、クロノさま。噂どおり、実直で高貴な方なのですね」

「お褒めに預かり、光栄でございます」


 実直でも高貴でもないが、褒められていることは分かる。笑顔を浮かべながら、頭を下げておく。


「ところで……そ、その……あの噂のほうも本当なのでしょうか……?」

「……あの噂、と申しますと?」


 顔を赤らめ、俯いてしまうルナさん。

 言いづらそうに口をモゴモゴと動かしている。

 いったいなんだろうか、と見守っていると、彼女はバッと顔を上げてこう言い放った。


「あ、あなたが……その……じゅ、純潔だというのは……っ」


 予想外の質問に、俺は固まってしまう。

 俺の呼び名が、まさかあのミスティライト家まで轟いているとは思ってもいなかった。

 せいぜい、ギルドにいる粗暴な冒険者たちが噂しているくらいだと思っていたのだが。


「ど、どうしてそれを」

「……我が家のメイドたちが噂をしていたのです。男騎士、クロノは純潔である、と」


 何を噂してるんだ、ミスティライト家のメイドさんたちは。教育に悪いだろう。

 

「そ、そうですか……」

「否定しない、ということは……噂は、本当だと?」

「いえその、ええと……まぁ、はい」


 少し逡巡したあと、さすがに「いや? 童貞じゃありませんけど?」というあまりに虚しい嘘をつく気にはならなかった俺は、素直に童貞だと認めることにした。


 とはいえ、まだ15歳くらいのルナさんに、「はい、童貞です」と言うのも、よく考えたらセクハラになりそうな気もするが。

 

「まぁ……♡ ふふ、純潔の男騎士は実在したのですね……」


 俺の返事を聞いたルナ様は、満足そうに頷く。

 その顔がニヤニヤと笑っているような気がするのは、俺の被害妄想だろうか。


「そ、それで依頼というのは……?」


 気持ちを切り替えるために、ルナ様にそう尋ねる。

 これは逃げではない。戦略的撤退だ。

 

「そ、そうでしたわね。お願いというのは他でもありません――」


 緩んでいた表情を引き締め、ルナさんが説明を始める。


 彼女の依頼は、簡単に言うと護衛だ。

 近々、隣街である貿易都市アーカニアで、大きな舞踏会が開かれる。

 

 各国のお偉方が集まるその舞踏会に、この国有数の貴族であるルナ様も招待された。しかし、タイミングの悪いことに、最近この辺りでは魔物が活性化している。


 数年に一度、こういったことが起こる。

 かつて俺はこの現象のことをミュゼに尋ねた。

 曰く、「月の巡りによるもの」らしい。

 

 空に浮かぶ月。それが完全に欠けるとき。

 地脈の魔力の流れが滞り、魔力だまりのようなものが生まれる。


 そしてその場所に住む魔物が、多大な魔力により強化され、さらには凶暴化する、という理屈らしい。


 普段なら、C級冒険者でも簡単に倒せるような魔物が、A級冒険者でも苦戦するようになる、と言うと、この現象の影響の大きさが分かるだろう。


 その現象は、恐れをもってこう呼ばれている。

 【月蝕の魔醒ませい】、と。


 普段なら安全な街道も、この時期は危険が多い。


 そういう事情で、この街でも有数の実力者である俺に白羽の矢が立ったのだ。


 今回の依頼は、ルナ・ミスティライトを貿易都市アーカニアまで安全に送り届けることなのである。

 

 俺はミュゼの話と、ルナさんの話を照らし合わせながら、依頼内容に相違がないかを確かめていく。

 

 拘束期間、報酬、などなど。

 それらを詰まることなくスラスラと話していく彼女を見ていると、まだ若いのにしっかりとしているな、とおじさん臭いことを思ってしまう。


 ……まぁ、大貴族のご令嬢なのだから当たり前といえば当たり前なのだが。


 この依頼は、俺にとってもありがたいものだった。大貴族からの依頼ということもあって、報酬がかなり多いのだ。


 そのぶん拘束時間は二週間とやや長めではあるが、それにしても破格の報酬である。


 具体的には、1000万ゴルド。

 贅沢をしなければ3年くらいは生活できる金額だ。


 俺はこの資金を、マイホームの準備金にするつもりだ。この街の家の相場が、約3000万ゴルドと言われている。

 

 今回の報酬と、今まで貯めてきた貯金と合わせれば、その金額についに到達できる。


 ……ふふふ。

 どんな家にしようかな。依頼から戻ったら早速、探してみよう。


「――以上です。なにか間違っているところはありませんでしたでしょうか?」


 期待に胸を膨らませている俺に、依頼内容を淀みなく読み上げたルナさんが契約書を机の上に置きながら言う。

 

 その姿は、まさに貴族然としていて、俺も思わず背筋を伸ばしてしまう。

 

「はい、間違いありません。その依頼、たしかに承りました」

「それはよかったです。クロノ様が護衛についてくださるのなら安心というもの。……では、こちらの契約書にサインを。ナナル、ペンをクロノ様に」

「――はっ。クロノ様、こちらをどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ルナさんが指示を飛ばすと、どこからともなくやってきたメイドさんが、無駄のない動きでペンを渡してくれる。


 そのペンは綺麗な装飾が施されていて、まるで芸術品のようだった。見惚れてしまうほどの美しさである。


 ペン一つとってもこの豪華さ。ミスティライト家の凄さが分かろうというものだ。

 

 それを丁重に受け取り契約書にサインをしていく。


 緊張しながらサインを書き終わると、ナナルさんがそれを回収しルナさんに手渡す。


 受け取り、俺のサインを確認したルナさんは一つ頷いたあと、俺のほうに手を差し出す。


「ありがとうございます。これで契約成立ですわ。よろしくお願いいたします、クロノさま」 

「こちらこそ、短い間ですがよろしくお願いいたします」


 俺たちは握手を交わし、席を立つ。

 さすがに年下の女の子に緊張はしない……と言いたいところだが、俺の手は手汗まみれだったと思う。引かれていないといいが。


「それではさっそく参りましょうか」

「はい……? どちらへ、でしょうか?」

「あら、それはもちろん、わたくしのお家ですわ」

「…………はい?」

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