第2話 ギルドマスター、ミュゼ


 こうやってギルドに呼び出されるときは大体、緊急性の高い依頼か、俺にしかできない依頼がギルドに持ち込まれたときだ。


 今までにも何度かそういうことがあった。


 しかし、お茶をするだけのときもある。

 そういうときは、ギルドマスターはやたらと上機嫌で、高級なお茶菓子まで用意してくれていたりする。


 多分それは、ご機嫌とりなのだろう。

 自分で言うのもなんだが、俺は強い。この世界で唯一の男騎士として恥じぬよう、鍛錬も続けている。


 そして、俺にしかこなせないクエストも多い。ギルドにとっては、俺は貴重な戦力であり人材なのだろう。俺としても、ギルドからの仕事は割りが良いので助かっている。Win-Winの関係というやつだ。

 

 今日はいったいどんな用事なのだろうと考えながら、前を歩くアイリスの後ろ姿を眺める。

 

 彼女とは長い付き合いだ。

 この世界にやってきて、ギルドに初めてやってきた時に対応してくれたのが彼女だったのだ。


 しかし悲しいことに、俺とアイリスの間にはいまだに距離がある。


 いつも簡単な業務連絡をするくらいで軽い世間話ですらしたことがないし、ギルド以外の場所で出会ったこともない。


 もっと仲良くなりたいと常々思っているのだが、バキ童の俺には到底無理な話である。そんなことができたらとっくに脱童貞しているだろう。


 アイリスはいつもクールで、感情を表にあまり出さない。


 怒っているわけではなさそうだが、いまいちなにを考えているか分からず、微妙な距離感のまま今に至る。


 ……嫌われていなれけばよいが。

 

 そんな不安に駆られる俺の目の前には、アイリスの赤いポニーテールがフサフサと揺れていた。


 それと連動するようにプリッとしたお尻も揺れていて、思わず視線が吸い寄せられてしまう。

 

 体形がピッチリと出る制服のおかげで彼女のお尻の形がはっきりと分かる。ポニーテールからチラリと覗くうなじも色っぽさを演出している。


「……クロノ様? どうかされました?」


 するとアイリスが俺の視線に気付いたのか、パッと振り向く。


 綺麗なお尻だな、と思っていたとは口が裂けても言えない。

 そんなことをいったらドン引きされること間違いなしだ。いくら貞操逆転世界とはいえセクハラはよくない。それにアイリスとはこれからもうまくやっていきたい。


「今日もアイリスさんのポニーテールは美しいなと思いまして。思わず見とれてしまいました」


 なるべく爽やかに、アイリスの美しいポニーテールを褒めておく。嘘ではない。

 

「あ、ありがとうございます。嬉しいです」


 そうは言うものの、その声色にはあまり感情がこもっていなかった。少しだけ顔が赤いような気もするが、おそらく気のせいだろう。


 いきなり美しいと言われても困るだけなのかもしれない。気をつけよう。


 だが俺の会話デッキは乏しい。

 褒めるか、天気の話か、昨日食べたご飯のことしかレパートリーがない。


 毎日アイリスとは顔を合わせているのに、距離が縮まらないのはそれが原因なのかもしれない。


 もっとトークスキルを磨かないと。

 運命の人と出会ったときにこれでは、仲良くなるのは難しいだろう。


「中にギルドマスターが待っています。私はここで待っておりますので、ごゆっくりどうぞ」

 

 これからの目標をぼんやりと立てていたら、いつの間にか執務室に到着していたようた。

 

「ありがとう、アイリス」


 アイリスとの微妙な距離を縮めるため、さっそくいつもの堅い口調を崩して気さくに話しかけてみる。ものは試しだ。

 

「……いえ、これが私の仕事ですので」


 しかしアイリスはキリッとした表情を崩さない。相変わらずクールな瞳で、俺を見つめている。


 どうやらまだ距離は縮まらないらしい。

 いつか彼女の笑顔を見ていたいものだ。


 気持ちを切り替え、いつものように執務室の扉を優しくノックすると、中から「どうぞ」という声が返ってくる。


 それを聞いてから、俺はゆっくりと扉を開く。


「失礼します。クロノ、ただいま参りました」


 ピシッと姿勢を正し、挨拶。

 

「……相変わらずお堅い挨拶ですね。もっと気楽にしてくれてもよいのですよ? 私とクロノの仲なのですから」


 俺を出迎えたのは、金髪碧眼の美少女。

 彼女はギルドマスターのミュゼ。このギルドを統括するお偉いさんだ。

 彼女は珍しいハイエルフで、この世界のことにとても詳しい。転生してきた俺に、生き方と知識を与えてくれたのは彼女だ。

 もしミュゼと出会っていなければ、今ごろ路頭に迷っていたに違いない。俺にとっては大恩人というわけだ。


 そしてなにより、美しい。

 彼女が立っているだけで、その場の雰囲気が変わるほどだ。

 もう何度も会話をしているはずなのに、彼女と話すときはいまだに緊張してしまう。

 

「そうは言われましても。この口調はなかなか直せないのです」


 敬語は便利なのである。

 誰が相手でも不自然ではないし、不快にもさせない。


 しかし、ミュゼは俺の堅苦しさが苦手らしい。いつもこうやって口調を指摘される。


「まぁ、それもクロノの魅力なのですが……。ささ、お掛けください」


 促され、俺はフワフワのソファに腰掛ける。


「よいしょっ、と」

 

 ミュゼも俺の前に腰を掛ける……と思ったら、なんと俺の隣に座ってくるではないか。

 

 突然のことに思わず固まってしまう。

 ……こういうときはどうすべきなんだろう。

 いや、こっちに座るんかい! とツッコむべきなんだろうか?

 それとも優しくスルーしてあげるのが正解か?


「さて、今日お呼びしたのは――クロノ? 顔が赤いですよ?」


 そんな俺の葛藤を知る由もないミュゼは、隣に座ったまま普通に話し始めた。

 俺はドキドキしっぱなしだというのに、彼女はいつもとなにも変わらない。


 それが少し悔しくて、俺の心の中にちょっとしたいたずら心が芽生える。


「それが……ミュゼが近くにいるとなぜか胸がドキドキするのです」

「なっ――!」


 胸に手を当てながら、ミュゼの方を見る。

 彼女はその大きな瞳と、サラサラの金髪を揺らしながら、ワタワタと動揺していた。


 冗談のつもりだったが、思ったより効果覿面である。

 

 真っ赤に染まっていくミュゼの顔。普段落ち着いた物腰の彼女が慌てる姿を久しぶりに見た気がする。


「も、もしかして息も苦しかったり、顔が熱くなったりしたりも……?」

「はい。もしかして病気なのでしょうか……?」


 それは本当。

 ミュゼと会うときは、いつも緊張しているからな。

 

「え、ええと……心配でしたら、私のお家に来ますか……? とてもよく効くお薬がありますので……」


 真剣な声色で、俺に尋ねるミュゼ。

 ……下手な冗談など言うものではないな。ミュゼは俺の言葉を真に受けて、真剣に心配してしまっている。

 

「い、いえ。大丈夫です」

「そ、そうですか……」


 断ると、ミュゼはなぜか落胆した様子で肩を落とし俯いてしまった。

 

 そして訪れる無言の空間。

 俺の心に、ミュゼに対する申し訳ない気持ちが湧いてくる。ちょっとした冗談のつもりだったのに、また失敗してしまった。人との距離感はいまだに掴めない。


「……オホン。それで、話というのは?」


 気まずさを払うように一つ咳払いをして、ミュゼに尋ねる。そういえば彼女に呼び出されてここにやってきたのだった。


「あ、ああ、そうでしたね……! 話というのは他でもない、純潔の男騎士クロノへのお願いなのです――」

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