第3話
「ご飯食べに下行こ」
私はそう言って、りあんの手を取る。ご飯なにー?と、りあんが隣で聞いてくる。
「知らなーい」
私は言う。
一階へと階段を降りて、私たちはダイニングへ行く。
「あ、ご飯できてるよー」
ママが慌てた様子でキッチンから飛び出してくる。今の時刻は七時十八分。家を出る時間は、いつも決まって七時四十分なので、少し時間は押している。
「急げ急げ、今日はりあんも一緒だからね」
「はーい」
りあんは元気よく手をあげる。私も合わせて、はーいと返事をしておいた。私は椅子に座って、妹も同じようにそうして、ママもそうする。
「いたーだきーます!」
りあんと私は声を揃えて挨拶をした。今日のご飯は、トマトのサラダ、チーズトースト、みかんジュースだった。みかんジュースが好きなりあんは、とても喜んでいた。私は食べるのが早いので、いつものようにりあんとママより一足先に食べ終わり、テーブルに高校数学のテキストを広げる。
「れいん、今日は時間ないからそれはやめて、行く準備しなさい」
ママがテキストを見てそう言った。
「準備は…多分大丈夫」
テキストに手を置いて、私はそう答える。
「ちゃんと時計見なさいね」
ママはそう言うと、「ごちそうさま」と手を合わせて、りあんの食べているところを見る。ママの忠告通り、一応私は時計を確認してみる。
時刻、七時三十分。ギリギリだ。私はやめておこうと思い、テキストを閉じる。
「ごちそーさまでしたっ」
手を合わせる音と共に妹の声がした。
「家出るよー」
ママがりあんを立たせる。すると、りあんは私の隣に来て、手を繋いだ。
「れいん、準備万端?」
私を見上げてりあんは尋ねた。まんまるで大きな目が合う。
「うん、万端」
私は答えて、口角を上げる。「れいん楽しみー?」りあんが聞いてくる。
「まさかあ」
私は、笑った。病院が楽しみだなんて、誰がする考えだよ、と心の中でツッコミを入れる。
「りあんは楽しみ?」
私は一応聞いておく。
「まさかあ」
私の口調を真似て、りあんは言った。
「マッカーサー」
りあんが言う。続けて、まさかマッカーサーまさかマッカーサー。
「りあん、マッカサーって誰だった?」
一度教えたことあるなあ、と思って、私は聞いてみる。
「国民主権と平和主義の新しい憲法作った人でしょ?」
自分で聞いておいてなんだが、難しい言葉をスラリと言ってのける五歳は、少し奇妙に思えた。
「正解。よく覚えてたね」
私は拍手と共に褒める。
「まあねっ」
胸を張ってそう言うりあんは、とても嬉しそうだった。
「行きまっせー」
ママがそう言って、玄関扉を開けた。私たちが先に外に出る。むわっとした空気が肌にまとわりついてくる。
「暑い!」
りあんが叫んだ。私も叫びたい気持ちだ。夏外に出たら、「暑い」意外考えられなくなってしまう。暑い、暑い、暑い暑い暑い。
「車の中は涼しいから、ほら、行くよ」
ママは半ば強引に「暑い」を連発するりあんを車に乗せた。
「暑い!!」
車に乗せられ、チャイルドシートに座らせられたりあんが、さっきよりも大きい声で叫んだ。
「はいはい、クーラーつけるよ」
ママがそう言って、クーラーを21度に設定し、1番風を強くした。
「地球温暖化!!!」
りあんがそう言った。
「冷房消します?」
ママが笑いながらそう返す。
「消さない!地球バイバイ!」
りあんは、そう言ってから、
「ねえれいん、冷房の仕組みどうなってるの?」
私の方に体を大きく捻って、そう質問をした。なぜなぜ病、発症。私は心の中で思って、一人で笑う。
「冷房はー」
なんだっけ。一瞬考えた後、それの答えに相応しいものが思い浮かんだ。
「エパボレーター…?うん、エパボレーターっていう部分を凍らせて、そこを通った空気が冷えて、冷たい風があの…あそこから出るっていうのを何回も繰り返す仕組み」
吹き出し口を指で指して示す。
「なるほど」
りあんが深く頷いた。
それから車に揺られること二十四分。ギリギリ、予定の二分前に着いた。
「傘木れいんとりあんです」
ママは受付の人にそう言って、私はいつものカウンセラーさんがいる部屋に向かう。りあんは、ママと一緒に知能検査をするらしい。
「れいん、頑張ってね」
何を頑張ればいいのかわからなかったけど、とりあえず「頑張って来るね」と返しておいた。それと、りあんも頑張って、とも。
私はカウンセリング室六へと足を運ぶ。ドアを開けると、いつものあの先生が座っていた。
「おはよう、れいんさん」
「おはようございます。よろしくお願いいたします」
私はそう言って、上半身を軽く曲げる。
「どうぞ座ってください」
そう促され、私は木の椅子に座る。そして、できる限り良い姿勢をとる。
「一ヶ月ぶりだね」
先生は、いつも面白い話や、その場が和むようなことを言ってからカウンセリングを始める。今日もきっとそうだ。
「そうですね」
私は笑顔を作って、先生にそれを見せる。絶対に、崩しちゃいけない。ここでは、私は仮面をかぶっていないといけないのだ。
「私、昔っから猫飼ってるんだけどね。ナナっていうの。ナナ、トイレに一緒に入りたがる癖があって」
相槌を打ちながら、先生の話を聞く。
「昨日一緒に入ってきて、私がトイレ出る時にナナ出てるよなーって確認したんだけど」
相槌を打つ。笑顔を作る。でも、やっぱり苦しい。仮面をつけている時は、どうしようもなく苦しい。口角を上げるのが辛い。
「なんか出てなかったみたいでさ、閉じ込めちゃったの」
先生はそう言ってはにかんだ。少し眉を下げて。でも、先生は少しだけ目にかかった前髪の隙間から私の目を見ていた。
あ、観察されてる。私は即座に察知し、仮面をいつもよりがっちりとつけ、自分の内側を見られないようにする。
「それは可哀想ですね」
先ほど先生がした、困っている感を含んだ笑い顔を作って見せる。首を少しだけ左に傾けながら。
「……、れいんさん、嘘ついてるー?」
先生は、いつも私に一度はそう聞く。疑わしいほど態度よく聞いていると、大人はそう感じるに違いない、と私は勝手に解釈をしているのだが。
「え、そんなふうに見えます?」
私は驚きと困惑を含んだ調子でそう言ってみる。それに加えて、「そんなつもり全然ないんです、…でも、そう思わせてしまう喋り方をしてしまったのだとしたらごめんなさい」と、言った。
「いやいや、そんなことは全然ないんだけどね。いつも私に気を遣っている感じがして。ごめんね、こっちこそ」
先生はそう言って、私と同じように頭を下げた。
それと、さっき言いたかったこと、もう一つあるんですけど、いいですか?
先生、猫なんて飼っていませんよね。猫の毛一本も服には付いていないし、携帯の画像を見せてくれた時にも、猫の写真なんて一枚も入っていなかったです。何より、
私、猫アレルギーなんです。
猫を飼っている人とあったら、大体くしゃみが出るし、肌が痒くなるんですよね。でも、先生と会っている時はくしゃみ一つ出ないんです。
私は、頭の中で言った。
嘘ついてる? だなんて、あなたに言われたくないです。
先生こそ、正真正銘の嘘つきじゃないですか。
心がどす黒い感情で塗りつぶされていく。別にそんなしょうもない話、聞き流せばいいじゃん。どこかの私が言った。でも、そう思うごとに、自分が惨めさが明るみに晒されていくようだった。
「じゃあ、始めようか」
先生が姿勢を正すのがわかる。私も、合わせてそうする。
「よろしく、れいんさん」
「よろしくお願いします」
仮面が外れないように。私は、痛い心を無視して、笑顔を作った。
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読んでくれてありがとうございます
頑張ります
(^^)/~~~
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