第39話 逃げた先に


 俺は逃げ出した。自分の身にのしかかった無数の命の重さに耐えきれず、無我夢中で駆け出した。

 幸い、スキルの効果もあり俺のスピードに追い付いて来る者は一人もいなかった。


 その後も俺は走り続けた。人気ひとけが無い方へ無い方へと。

 

 そして大通りを抜け、一本の路地へ入ったところに一人の女性が立っていた。

 その女性は透き通るような白銀の長い髪と綺麗な碧眼を持ち、低身長ながらもスラッと細く長い脚は、ヨレヨレのTシャツから真っ直ぐに地面に向かって伸びていた。


 ――ん……? 若ェ女がこんな路地裏に一人で?

 不用心だな……。

 歳も愛華達と同じくらいなんじゃねぇか?

 髪と目の色から察するに日本人じゃねぇな。

 まぁ何かありゃあ俺が何とかしてやればいいか。



 路地裏には幸いなことにその女性しかいなかった。大通りで再び人に囲まれるより余程気が休まるだろうと、俺はそこで足を止め腰を下ろした。


「タバコ、タバコ……って、はは……。俺、タバコなんて吸ったことねぇーよ」


 などと、くだらない独り言を呟きながら俺は冷たい地面の感触を尻で感じつつ俯いた。

 


 ――はぁ……。俺はこれからどうすりゃいいんだ……?


 俺は俯きながら、自分のこれからの身の振り方について考えた。すると地を見つめる俺の視界に一つの人影が映りこんだ。

 そして、ゆっくりと顔を上げると、そこには先の銀髪の女性が立っていた。



「あ……? 何だよ……?」


 初対面の女性に対し、少しぶっきらぼうだったかもしれない。だが、今の俺には他人へ気を配る程の余裕は無かった。

 するとその女性は、何故か顔を赤くして口を開いた。



の名前は成瀬リノア。、一ノ瀬翔の観測者にして――――い、い、い、一番のファンですぅ……!! 一ノ瀬さん・・・・・、大好きぃ……! あ、握手してくれませんかぁ……!? はぁ……はぁ……」


「…………は?」


 初めは彼女が何を言っているのか理解出来なかった。

 尚、言葉を詰まらせた後に言ったことに関しても一切理解出来なかった。

 俺がそのまま困惑していると、自分の今の心境なのか何なのか、彼女は早口で話し始めた。



「あぁ、でも一ノ瀬さんの手になんかが触れていいのかな……。て、ていうか、話しかけるつもりなんてなかったのに……! 私は遠くから見つめるだけで……それだけでよかったのに……! こんなの……オタクの風上にもおけないよう……」


「あぁ? 何言ってんだテメェ……? さっきから訳わかんねー事をペラペラと――――」


「はうっ……! 口悪ぅ……最高ぉ……」


「や、やべぇな、コイツ……」


 さすがの俺でも彼女の常軌を逸したヤバさは理解出来た。

 成瀬リノア。彼女はその美しい姿とは裏腹に、頬を赤くして息を切らし、俺の口の悪さに恍惚な表情を浮かべる変態だった。



「はぁ……はぁ……。もっと話したい……。でもこれ以上話すと推しとオタクの距離感では無くなってしまう……。どうしよ、どうしよ……! でもこんな間近で最愛の推しを前にして、黙ってられるオタクなんている? いないよねぇ……? 話してもいいのかな……? いいのかなぁ……? はぁ、はぁ……」


 成瀬リノアは様子がおかしい。尚も恍惚な表情で俺を見つめ、訳のわからない事を言い続けている。



「何なんだよ、テメェはさっきから!? 気色悪ぃなぁ!?」


「ぐふぅ……! 一ノ瀬さんの生暴言……!! 死ぬ……!!! あぁ、推しは尊いって本当だったんだ……」


 俺が怒鳴ろうが何をしようが、会話が全く成立しない。このままでは埒が明かないと考えた俺は彼女に向かってスっと手を差し出した。



「ファ……!?」


「ほらよ……。俺と握手してぇんだろ? だったらさっさとして、どっか行ってくれ。俺は今、一人で色々と考えてぇんだ……」


「ぐへへぇ……。一ノ瀬さんの手だァ……。生手なまてだ、生手ェ……。えへへぇ……。――――で? 何を考えるのかな?」


 俺の言葉を受け、成瀬は躊躇なく俺の手をガシッと掴み、表情を更に緩ませた――――かに思えたが、突然スンッと真顔になり、そう言った。

 あまりの変貌っぷりに、俺はまたしても困惑してしまった。


 ――何なんだコイツはよォ……?

 さっきまで美人の姉ちゃんヅラしてたかと思えば、訳わかんねぇ事を気色悪ぃツラで言い始めたり……。

 そんで、今度は真顔で真剣な質問だァ……?

 全く理解出来ねぇ……。


 俺の困惑を他所に、成瀬は再度、質問を重ねた。



「日本人初の完全攻略を成し遂げ、S級探索者となり、世界最強の名を手にしたが、今更何を考えるのかな?」


「テメェ、二重人格かよ……」


「そんな事はどうでもいいから、の質問に答えなよ。世界最強の君が、一体何を考えるというんだい?」


 俺が一度はぐらかすも、成瀬リノアは真剣な表情のまま、とんでもない圧力を放ち再度、俺に問いを投げ掛けた。

 今、俺の目の前にいる成瀬リノアは、先までの気持ちが悪い彼女とは明らかに別の人格だった。

 それ故に、俺はその問いに素直に答えてしまった。



「何をって……これからの事に決まってんだろ。いきなりS級探索者だとか、世界最強だとか言われても、すぐに『あ、そうですか。じゃあ今日から世界を守りますー』なんて言えるわけねぇだろ」


「へぇ……。それって、まるで君は自分が世界最強だと自覚したみたいな言い方だねぇ?」


「あ……? テメェ、何が言いてぇんだ……」


 俺の答えを受け、成瀬リノアは薄ら笑いを浮かべ意味深な言葉を口にした。

 俺はそんな彼女の顔を睨み付け、そう問うた。しかし成瀬リノアは動じない。



「そのままの意味さ。君は、こうなる前から自分の強さを自覚していた。自分が特別な存在である事を理解していたはずだ」


「は、はぁ……? テメェ、何言って――――」


「――――自分でもわかっているんだろう? 今まで気付かないフリをしてきた。だが、もう言い逃れが出来ないところまで来てしまった。抱えきれないほどの重圧に耐えかねて、押し潰されて……。だから君は――――逃げ出したんだろう?」


「………………っ」


 冷たい視線で俺を見つめ、淡々と詰め寄る成瀬リノア。俺が何かを言おうとすれば、食い気味に言葉を被せ更に詰め寄る。

 そして遂に俺は何も言えなくなってしまった。すると成瀬リノアはクスリと笑い、口を開いた。



「ふふっ……。これじゃあ僕が君をいじめているみたいだね。よし、じゃあやり方を変えよう」


「やり方だと……?」


「うん。僕はこれから君にいくつかの質問をする。君はそれに素直に答えてくれればいい」


「それだけか……?」


「うん、それだけ。それで君の悩みも晴れるんじゃないかな?」


「………………」


 成瀬リノアはそんな提案をした。俺は"はい"とも"いいえ"とも答えられなかった。



「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫。自分が世界最強であると自覚した今の君になら、簡単に答えられる質問ばかりだから」


「そ、そうなのか……?」


「うん……! じゃあ、早速一つ目の質問――――君が世界最強であること、特別な存在であることを周りの人達はいつから認識していたと思う?」


 こうして、成瀬リノアによる俺への質疑応答が半強制的に始まった。

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