第38話 英雄初日


 何とか初配信を終え、俺はヘトヘトになりながらも、限界アラサーの身体にムチを打って、始発に乗り川越から渋谷へと帰ってきた。

 そんな俺の疲れなどお構い無しに、若さ溢れる二人のガキは何やら楽しそうに話していた。



「あーっ……疲れた……。ダンジョンに潜るようになってから俺、あんま寝てなくねぇか?」


 俺が両手を高く上げて欠伸をすると、愛華はすかさず呆れた様子で口を挟んだ。


「よく言うわね。スタンピードの時みんなが頑張ってる中、8時間も寝てたことを忘れたの?」


「あ? あん時はほら、前日が徹夜だったろ?」


「徹夜って……。そのあと山本さんのお宅でぐっすり寝てたじゃない!」


「あー、そうだっけか?」


「はぁ……。もう知らない」


 愛華は俺の発言が余程気に入らなかったのか、スタンピードの時に俺が居眠りしていた事を掘り返し、プイッと顔を背けてしまった。

 どうやら彼女は小さなことを根に持つタイプのようだ。これからは気をつけることにしよう。



「ったく……何をそんなに怒ってんだ? 別にやることやってんだからいいだろうが」


「はぁ……。翔さんは何にもわかってないっスねぇ。これは女心っスよ! 愛華っちはもっと翔さんとお話したかっただけっスよ!」


「そーなのか?」


「ち、違うわよ……!」


「違うって言ってるぞ?」


「いや、あれは照れ隠しッスね」


「だから違うってば……!!」


 その後も俺達は他愛もない会話を続けながら歩き続け、ようやく駅を出て街へと足を踏み入れた。



「くぁーっ……! やっと帰ってきたぜぇ……って――――おぁっ!?」


 俺が数時間ぶりに東京の空気を吸いながらそんな声を上げると、突然俺の周りに見知らぬ人間がわらわらと集まって来た。



「な、何だ何だ……!? テメェら一体誰だ!?」


「ち、ちょっと押さないでよっ……あっ、変なとこ触らないで……!」


 俺が周囲の人間に囲まれると、近くにいた愛華と唯も巻き込まれ、もみくちゃになっていた。すると唯が『やっちゃったー』といった表情で口を開いた。



「あちゃー……。もうこんなに広まってるんスね。まぁあんな配信してれば当然っスよねぇ……」


「あぁ!? どういう事だ! 何がどうなっ――――あぁ、もう……! 鬱陶しい……! 触んなって!」


「ちょっと、本当にこれ……どういう状況なのよっ……!? 何でこんなに人が集まんのよ!?」


 俺と愛華は訳も分からず人混みに揉まれていた。そんな中、唯だけはこの状況を理解していた。すると、俺達を取り囲む群衆の中から一人の男が声を上げた。



「週刊ダンジョンの林です。あなたは"スウェットおじさん"こと、一ノ瀬翔さんですよね?」


「あぇ……?」


 声を上げたのは林という男。どうやら週刊誌の人間のようだ。俺が戸惑いのあまり、"はい"とも"いいえ"ともいえないよくわからない声を発したのに対し、林は続けて口を開いた。


「この度はダンジョンの完全攻略、おめでとうございます。よろしければ、今の率直な感想をお聞かせ頂けないでしょうか?」


 林はわけのわからない質問を続けた。愛華も唯も、その他大勢の人々も黙って俺が答えるのを待っていた。当然だ、質問されたのは俺だからだ。


 ――完全攻略。確か配信中に視聴者達もコメント欄でンな事言ってたっけか?

 つか、何だァ? 完全攻略ってのは?



「知るか。俺は愛華と唯を助ける為にやっただけだ。感想っつうなら、二人を無事に助けられてよかったって事くれぇか? あと、クソねみぃ……」


「………………」


 俺が林の質問に答えると、愛華や唯、林ら群衆を含めたその場にいる全員が一斉に口を閉ざし、辺りは静まり返った。――――その後、雷が落ちたのかと錯覚する程にとてつもない歓声が響いた。



「「「「うぉぉぉぉぉ!!!!!!」」」」


「な、なんだァ……!?」


 あまりの大歓声に俺の声も掻き消される。

 渋谷の駅前でとんでもない数の人々と歓声に包まれているその中心で、ただひたすらに困惑しているおじさんが一人佇んでいるという絵面は酷く滑稽なものに見えるだろう。


 だが、その場にいる人々は誰も俺を嘲笑することは無く、どころか、俺を特別な存在だと讃えるものしか聞こえてこなかった。


 

「かっけぇ……! かっけぇよ!! さすがは日本人初のS級探索者様だ……!」

「女の為に命を張る。言うのは簡単だが、実際に出来る奴なんていねーよ! さすがだぜ!」

「やはり、何かを成し遂げる者は言うことが違うね」

「私、翔様になら何をされてもいいわっ!」

「さすおじだな」


「な、何なんだよ一体……? 俺が何したってェんだよ……?」


 俺は自分が何をしたのか理解していなかった。

 俺はただ愛華と唯を、あの性悪ドラゴンから救い出す為に夢中で他に何も考えていなかった。

 

 それ・・を成すことによって自分の立場がどうなるのか、自分を取り巻く環境がどう変化するのか、そして――――世界がどう変わってしまうのか。

 そこまで考えが至っていなかった。


 

「さっすーおじ……さっすおじ……!」


「「「さっすおじ! さすおじ!!」」」


 誰が始めたのかわからない"さすおじコール"。それに周りの人々も便乗し始めた。

 小気味よく叩かれる手拍子の音と、最早誰の事を言っているのかもわからないその声が、俺の耳を突き刺し続けた。

 そして気が付いた。


 

 ――俺はもしかして、とんでもない事をしちまったんじゃねぇか……?



 俺はすぐさま愛華と唯を近くへ引き寄せ、声を掛けた。


「なぁ、愛華……。テメェは霧ん中に消えてからも、俺の事を見てたって言ったな?」


「う、うん。そうだけど……?」


「俺はミストドラゴンを倒したわけだけどよ……。アレは他のヤツらでも出来る事だよな? 例えば、四天王のヤツらとか……」


「はぁ……。おじさんは本当にバカね――――」


 俺はいくつかの質問を重ねた。この歓声の意味を否定する為に。

 すると愛華はため息をついて俺をバカだと言った。俺はホッと胸を撫で下ろした――――が、愛華は続けてこう言った。

 


「おじさん、本当にバカね――――出来るわけないでしょ!? あんな事が出来るのは日本中探しても……いや、世界中探しても、おじさんだけよ……!!」


「なっ……!?」


 愛華は俺が期待していた答えと真逆な事を口にした。その横で唯は黙って頷いていた。



「ゆ、唯……。俺はやっぱり、強いのか……?」


 俺は唯にも質問をした。今度は否定ではなく、答えを求めて。すると唯は乾いた笑い声を上げた後、俺の質問に答えた。

 

 

「ハハッ……。強いって……。翔さんは強いどころか、世界最強・・・・なんじゃないっスか? こんな事……情けなくて自分で言いたくないっスけど、アタシ達四天王は誰一人、ミストドラゴンはおろか、S級指定を単独・・で討伐なんて出来ないっス」


「そ、そうか……」


 

 俺は愛華と唯が出してくれた答えによって自覚した――――自分が世界最強・・・・であることに。

 それと同時に、俺一人では抱えきれない程の重圧プレッシャーが、重くのしかかっている事を理解した。



 ――俺が世界最強ってことは、ダンジョンやモンスターに対しての最後の砦が俺っつうことか……?

 ここにいるヤツらだけじゃなく、世界中のヤツらの命が俺の身一つにかかってるっつうことか……?

 ソイツら全員を……俺が守るっつうのか……?


 

「ンな事……俺に出来んのか……?」


「えっ……? おじさん……?」


「どうしたんスか……?」


 俺はボソッとそう呟いた。愛華と唯は心配そうに俺を見つめていた。

 

 そして俺は気が付くと走り出していた。

 いつの間にか群衆を掻き分けて、ただひたすらに走っていた。

 

 そう――――俺は逃げたのだ。

 あまりの重圧に耐えきれず、思わずあの場から逃げ出してしまったのだった。

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