第四章 スウェットおじさん、動くってよ。知らんけど。

第37話 記憶違い


 ミストドラゴンを討伐し、翔が日本人初のS級探索者となった伝説の配信は幕を閉じた。

 帰還用の転移陣に乗り、無事地上へと脱した三人は始発までの時間を潰した後、東京へ戻る電車に揺られていた。

 

 翔は初配信と探索の疲れが出たのか電車に乗るやいなや眠ってしまい、起きているのは愛華と唯だけになった。



「ねーねー、愛華っちー。ミストドラゴンの霧の中でどんな映像を見せられたっスかー?」


「どんなって……。ただの私の過去よ。それは唯も同じでしょう?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべて詰め寄る唯に、愛華は冷たい態度で言葉を返した。


 

「まぁそうっスけど、どんな過去だったのか教えて欲しいっス〜!」


「ダメよ。人の過去はあまり詮索しない方がいいわ」


「えぇー。何スかー、冷たいっスねぇ〜。ひょっとしたら翔さんとの馴れ初めが聞けると思ったのにぃー」


 ツンとした表情で唯のお願いを断った愛華は窓の外を眺め始めた。そして唯は残念そうに肩を落とし、そう言った。すると愛華は何かを思い出したかのように唯の方へ向き直った。



「な、なんスか……?」


「そういえば、霧の中で見た映像……。アレって自分の記憶を映し出しているのよね?」


「そ、そうっスね、多分……?」


「嘘偽り無く? 真実の?」


「えぇ……? まぁ、多分? アタシが見た映像も記憶通りだったっスから――――」


「そう……」


 愛華は突然怪訝な表情を浮かべて、いくつかの質問をした。それに唯が困惑しながらも答えると、愛華はボソッと呟き考え込み始めた。



「何か気になる事でもあるんスか?」


「いや……。私、おじさんに会ったのはゴブリンキングに襲われたあの日が初めてだと思ってたんだけど、少し思い違いをしてたみたい」


「あぁ、あのバズりまくってた例の配信っスね? その日が初めてじゃなかったんスか?」


 唯の問いかけに素直に答える愛華。どうやらミストドラゴンの霧に映し出された過去と自らの認識に少しズレがあったようだ。



「えぇ、そうなの。私はその日が初めてだと思ってたんだけど、霧の中で見た映像では違ったのよ」


「どういう事っスか? 勿体ぶらないで教えて欲しいっス!」


 愛華は頭の中で考えをまとめながら話を続けていた。それに痺れを切らしたのか、唯は愛華の腕を掴んで身体を揺らし始めた。


「あぁーもう……! わかったわよ……! 教えるからその手を離してくれない!?」


「やった……! じゃあ離すっス!」


「はぁ……。あれは私がまだ小さい時の話よ――――」


 あまりにしつこい唯の詰め寄り方に愛華は根負けし、過去について話を始めた。その過去とは、愛華が幼い頃、渋谷ダンジョンの前で翔の父である一ノ瀬渉に助けられたと思い込んでいた・・・・・・・あの日のことだった。



 ◇



「――――とまぁこんな感じで、私はおじさんのお父さんにモンスターから助けてもらったんだけど……」


「へぇ……。翔さんのお父さんも強くてかっこいい探索者だったんスね!」


「それが、その人……。おじさんのお父さんじゃなかったのよ」


「へ……?」


 愛華の言葉に唯は絵に書いたような困惑顔を見せる。彼女の頭上には疑問符が沢山並んでいた。



「いや、私もね……! 当時はおじさんのお父さん、つまり"一ノ瀬渉"さんが私を助けてくれたんだと思ってたの」


「違うんスか? あれ、ちょっと待って下さいっス……? 一ノ瀬渉って確か――――」


 愛華は何とか頭の中にある事を説明しようと身振り手振りを交えながら言葉を尽くす。そして彼女の口から渉の名前が出た途端、唯は彼の存在に気付いた。それと同時に愛華が口を開く。



「――――そう。私がモンスターに襲われたのは今から十年前。その時には既に、一ノ瀬渉さんは死んでいるはずなのよ……」


「えっ……。何それ、怖い話っスか……?」


 愛華の話を受け唯は自らの肩を抱き怯えた表情を見せた。しかし愛華は首を横に振り話を続けた。



「違うわよ……。あの日私はモンスターから助けられた。それは紛れもない事実。でもその助けてくれた恩人は既にこの世にいなかった。それってどういう事だと思う?」


「…………? やっぱ幽霊っスか?」


 愛華はこれまでの話を整理して、唯に質問を投げかけた。しかし返ってきた答えが見当違いなものだったからか、愛華はため息をつく。

 

「はぁ……。だから違うって……。実際に私はこの目でその人を見たし、顔も覚えてるわ」


「で、その後探索者データベースで見た目と名前を一致させて、その人がかつての"英雄候補"一ノ瀬渉だってわかったんスよね?」


「そう……。でもその時に私は重大なミスを犯していたのよ」


「ミス……?」


 先に聞いていた愛華の過去の話から、彼女が如何にして自分を救ってくれた恩人を一ノ瀬渉だと思い込んでしまったのかを唯は確認した。

 すると愛華はようやく霧の中で見た映像と、自らが認識していた過去との相違について説明し始める。



「探索者データベースって、一度登録した探索者をランクごとに分けて掲載しているじゃない?」


「そうっスね。S……は翔さんだけなんでアレっすけど、基本はA級からG級まで分けて、あとは――――あっ……!」


 愛華の話に相槌を打つように話していた唯が、途中で何かに気が付いた様子で声を上げた。

 


「気付いたみたいね……。そうよ、当時の私は八歳の子供。まともに文字なんて読んでいなかったのよ」


「なるほどっス……。確かに子供だと気付かないかもっスねぇ、"死亡者デッドリスト"の項目には……」


「大人でもたまにうっかり見間違えるくらいなんだから、子供の私なんて見落としていてもおかしくないわ。しかもあの時は、助けてくれたおじさんの顔を思い浮かべながら、リストにある写真だけを見漁っていたから余計によね」


 幼い愛華が犯した重大なミス。

 それは探索者データベースに記録されている探索者のうち、現役で活躍している探索者が掲載された通常のリストと、ダンジョンで命を落とした探索者を掲載している"死亡者デッドリスト"の項目が分けられている事を見落としていた点だった。



「うーん……。それなら渉さんの所に行き着いて、勘違いしてしまうのも無理ないっスね。……じゃあ愛華っちを助けたおじさんは一体誰だったんスかね? やっぱりゆうれ――――」


「――――ば、バカ! ゆ、幽霊なんているわけないでしょ……!? はぁ……。わからない? 渉さんに風貌がそっくりで、口が悪くてぶっきらぼうで、そして……モンスターを瞬殺出来るほどに恐ろしく強い人……」


「えっ、まさかそれって……」


 愛華の言葉を受け、唯はその正体に気が付き口を大きく開けて絶句した。すると愛華は寝息を立てて爆睡している翔の方へ目をやり、ゆっくりと口を開いた。



「はぁ……。そうよ……。ムカつくくらいそっくりなのよ、おじさんと写真で見た渉さんは――――」


「…………っ!!」


 ため息混じりに悪態をついた愛華の表情は、その言葉とは裏腹にどこか恍惚としているように見えた。

 幼い愛華が命を救われ、心の底から憧れた"恩人"の正体は若き日の翔だったのだ。



「えっ、でも翔さんって今29歳っスよね? で、愛華っちを助けたのが10年前って事は当時19歳……。今のアタシ達の一つ上って事じゃないっスか! そんなおじさんに見間違える事ってあるっスか!?」


「あったんだからしょうがないでしょう!? それに写真で見た渉さんは昔も今と同じなら、恐らく登録当時のものだし、おまけにおじさんは老け顔だし……」


「だからってそんな……。うん……でも、今も29歳には見えないっスね……」


「でしょ?」


 唯の指摘は至極当然のものだった。しかし、様々な事柄が重なり、愛華が見間違えても仕方がないと唯は納得した。そして互いの顔を見合わせた二人はしばらくの間、クスクスと笑い合っていた。



「――――はぁー、おかしい……。てことは、翔さんは愛華っちの初恋の人ってわけっスね!」


「は、はぁ……!? そ、そんな事……あるわけないでしょ!?」


 唯は笑いすぎて零れた涙を手で拭うと、どこか納得したようにそう言葉を発した。すると愛華は明らかな動揺を見せつつ、大声でそれを否定した。


「またまたぁー! アタシには隠さなくていいんスよ! 二人の雰囲気を見てればわかるっスからっ!」


「ふ、ふざけないで……! 私がこんなおじさんの事なんて……!」


「お……? ツンデレっスか〜?」


「唯ーーー!!!」


 茶化すように笑う唯に、愛華は顔を真っ赤にして掴みかかった。すると翔が目を擦りながら目を覚ました。



「んあ……? うっせぇよ、テメェら……。ガキじゃねーんだから、黙って電車乗ってろよ……」


「は、はぁ!? うるさいわよ! おじさんこそ黙って寝てればいいでしょ!?」


「テメェがうるせぇから目ェ覚めたんだろうが……。まぁいいわ、もうちょい寝る……」


 意識がはっきりとしていない翔は、声を荒らげる愛華と少しの言葉を交わした後、またしても眠ってしまった。すると愛華は唯の方へ再度向き直り口を開いた。



「今の話、絶っっっっ対! おじさんには言わないでよ!?」


「えー、なんでっスかぁ? 言えばいいのに〜。全然ワンチャンあると思うっスよー?」


 愛華は鬼の形相で唯を見つめる。しかし唯は依然として、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「絶対……言わないで。わかった……?」


「…………は、はいっス」


 そんな唯に対し、愛華は超至近距離まで顔を近付けて再度釘をさした。唯はゴクリと生唾を飲み込み、頷いた。



 その後、電車に揺られること数十分。時刻は午前六時に迫る頃合に三人は渋谷駅へと帰還した。

 そして一歩、街へ足を踏み入れた途端――――翔は瞬く間に通勤通学途中の人々に囲まれた。


 

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