第15話 報告書とランク


 翔と愛華が未到達階層から脱した翌朝。愛華は報告書を纏め、日本探索者ギルド渋谷支部へ来ていた。



「齋藤さんをお願いします」


 受付に声を掛けた愛華は、待合室で暫く待たされた後、齋藤の待つ部屋へと通され高級感溢れるソファに腰掛ける。



「東條愛華さん……だったかな? 何の用かな? あの男の登録を済ませたという情報はまだ来ていないが?」


 齋藤はそう言いながら、机に積まれた山のような書類を片付けていた。要は片手間である。


「昨日、私は命じられた通りあの男の元へと向かい、接触しました。ですが一筋縄ではいかず、色々と報告したい事がありまして……」


「ほう……。それで?」


 愛華が真摯に話をするも、書類整理の手を止めず適当に聞き流している齋藤。そんな彼を他所に、愛華は鞄から束になった報告書を取り出した。


「そこで、昨日の出来事を報告書として纏めて参りましたので、一度目を通して頂ければと」


「わかった。後で目を通しておく。そこら辺に置いといてくれ」


 愛華はそう言うと、報告書を手渡すべく立ち上がるも、齋藤は目線も変えず言葉と手振りだけでそう指示を出した。



「いえ、今すぐに目を通して下さい。この報告書は、これまでのダンジョンの常識を覆すものになるかもしれませんので」


 しかし、愛華は引き下がらず、すぐさま目を通すよう毅然とした態度で報告書を齋藤に手渡した。


「はぁ……。わかった。今から読むから、そこに座って待っていてくれ……」


 鬼気迫る愛華の表情に気圧され、齋藤はため息混じりにそう言うと、手を止めて報告書に目を通し始めた。


 愛華の持参した報告書には、昨日翔と二人で経験した内容が全て詳細に書かれていた。

 そしてその内容は、愛華の言う通り、これまでのダンジョンの常識を覆すものに他ならなかった。しかし――――



「ははっ……。東條さん……君は昨日、私の出した特別任務を遂行せず、こんな三流小説を書いていたのか?」


「はい……?」


 齋藤は報告書を読み終えると鼻で笑い、乱雑にそれを机の上に投げ捨てた。

 

「まぁフィクションとしてならそこそこ読めるが、報告書としてなら荒唐無稽過ぎる。まず、渋谷ダンジョンの30階層に未到達階層への転移陣が出現するなんてまず有り得ない。それに紫色のオーラを放つゴブリンロードなんて聞いた事もない」


「いや……ですから、これはこれまでのダンジョンの常識では計れない――――」


「――――君は俺に何を求めている? 自作の小説を読んで欲しいのなら、そういったサイトに投稿したまえ。ここは出版社ではない」


「くっ…………」


「わかったらさっさとあの男をギルドへ登録させろ。俺は忙しいんだ」


 齋藤は愛華の報告書に記載されている内容を一切相手にしなかった。

 確かにそこに書かれていたものは、探索者としてダンジョンに精通すること20年のベテランである齋藤にとっては信じ難い内容だったかもしれないが、彼の行動原理はそれだけが理由ではなかった。


 そもそも探索者には、ランクと呼ばれるはっきりとした上下関係が存在し、下の者が上の者に対して行う発言は、確たる証拠が無ければ"ただの戯言"と切り捨てられる事もしばしばあった。

 したがって、首脳会議で齋藤に拒否権等が無いのと同様に、この場合、格上である彼が愛華の報告書を無下に扱う事は探索者という職業や、ギルド内においては至極当然の事なのである。


 

「で、ですが……! そこに記載している得体の知れないモンスター達が上層へ溢れ出した場合、とんでもない事になりますよ!?」


「だから……それを決定付ける証拠が無いだろと言っているんだ。今まで一度も目撃情報の無いそんなモンスターを、C級探索者である君と、ただの一般人であるあの男が見たと言って誰が信じる?」


「だ、だからと言って――――」


「――――それに、そもそもそんな強大な力を持つモンスターを相手に、どうやって君達は生還したと言うのだ? もし本当にそんなモンスターが存在したとして、君達レベルの探索者が生還出来るのであれば、誰も脅威だとは思わないだろう?」

 

「何ですかそれ……。結局はランクですか……。もし、私がA級探索者であれば、話を信じて頂けていたかもしれない――――そういう事ですね……?」


「…………そうだ。それでこの世界は回って来た。ダンジョンが誕生して100年もの間ずっとな……」


「そうですか。わかりました……。では、私は失礼します」


 事実である報告書を無下に扱われるも、この世界を守るために必死に食い下がる愛華だったが、探索者ランクという高い壁に阻まれた結果、一切取り合っては貰えなかった。


 終始、聞く耳を持たない齋藤に対し、愛華は軽く頭を下げ部屋を後にした。残された彼は彼女の報告書をシュレッダーにかけながら呟いた。



「こんな物がもし事実だとするのならば……俺達が今までやって来た事は何なんだ……? 今までA級やS級と定めていたモンスター達がまるで雑魚のようではないか」


 齋藤は信じられないというよりも、信じたくないといった表情を浮かべていた。


 それもそのはず。この報告を事実と認めてしまえば、彼や他の探索者達が今まで積み上げてきたものが全て、ただの雑魚についての記録に成り下がってしまうからだ。



「――――いや、そんな事はない……。あるはずがない。なぜならこれまで多くの探索者達が上位モンスターに挑み、敗れ、命を落としているのだから……。それらを踏みにじるような事実など到底受け入れられない。何がイレギュラーだ……。俺は断じて認めない……。そんなもの、あってたまるか……!」


 報告書が紙くずへと変わる間、機械音に掻き消された齋藤の声が外に出る事は一切無かった。つまりそれは、昨日愛華と翔が目にしたイレギュラーモンスターや未到達階層の事実を、齋藤の手によって永遠に闇に葬られてしまった事と同義だった。



 ◇



 渋谷支部を後にした愛華は、翔を探しにパチンコ屋へと来ていた。


「今日は来てないんだ……。まったく、こんな時に何処にいるのよ?」


 独り言を呟きながら辺りを見渡すも、翔の姿は無く途方に暮れる。するとそこへ、山本というマダムが愛華に声を掛けた。


「あら、あなたは昨日の……?」


「えっ……? あっ、昨日一ノ瀬さんと一緒にいた……」


「山本よ。よろしくね。えっと……?」


「あ、東條愛華です。よろしくお願いします山本さん。ところで、その一ノ瀬さんなんですけど……」


 二人はぎこちない会話を重ね、互いの名前を知ったところで愛華が翔の事を尋ねた。


「あ、翔くん? 翔くんならまだうちで寝てるんじゃないかしら?」


「そうなのですか。あの、もしよろしければ会わせてもらえませんか?」


「いいわよ? 私も今から帰るところだし、一緒に行きましょうか」


「はい。助かります」


 そう言うと、二人は揃って山本の店へと向かった。

 その頃、当の本人はというと、昨日のイレギュラーとの戦いが祟り、深夜から昼過ぎである今まで爆睡していた。


 

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