八紘之基柱 (宮崎県宮崎市下北方町)

 宮崎市の北西に位置する小高い丘の上、『平和台公園』にある巨大なモニュメント、それが今回紹介する『八紘之基柱あめつちのもとはしら』こと『平和の塔』です。

 名前からして、何やら意味深に見えそうな物ですよね。

 そうなんです、これって神道絡み、天皇との関連があるんです。

 この巨大な塔(高さ36.4m)は、紀元二六〇〇年奉祝事業で建立されたものなんです。

「紀元二六〇〇年?」と思われる方もおられるので、まずはこちらから。

 現在の天皇家の創始者である『神武天皇』、彼が天皇へ即位したのは、紀元前六六〇年とされています。

 時代は下り一九四〇年(昭和十五年)、神武天皇の即位後二六〇〇年を祝う事業として行われたものが『紀元二六〇〇年奉祝事業』だったわけです。

 当時は日中戦争のさなかであり、ヒタヒタと近づく第二次世界大戦を前に、国威発揚の一貫も有ったのかも知れません。

 いずれにしても塔は完成し、GHQの査閲を経た後も、その有志を留め、東京オリンピックの聖火リレースタートの地ともなりました。


 さて、この塔を見上げる広場の中央部に丸い踏石ふみいしがあります。

 この踏石のところに立ち、『平和の塔』に向かって手を叩くと、叩いた手の音が反響します。

 これはかなり不思議な体験で、他の場所で同じように手を叩いても反響しません。

 踏み石の上に立ち、『平和の塔』に向かって手を叩く!これは、是非お試しいただきたいところです。


 折角ですので、神武天皇と宮崎のゆかり、平和の塔周辺の補足説明も。

 まずは、神武天皇の出生地は、高原町たかはるちょう: 宮崎県西諸県郡高原町とも、高千穂たかちほ:宮崎県西臼杵郡高千穂町とも言われています。

 高原町は霧島連山の近く、高千穂は『天孫降臨』の地として有名です。

 この地(宮崎)から東夷征伐を進めた神武天皇は、やがて大和の地に入り、天皇家を創始する…という神話が古事記や日本書紀に登場するようです。


 んで、平和の塔周辺なのですが、この塔を含めた一帯は『平和台公園』として整備されています。

 特徴的なのは公園の至る所にハニワのレプリカが有ることです。

 これも、理由があるようでして、この平和台公園一帯を含め、その北西に有る『西都原古墳群』など、古墳の群生地となっています。

 因みに、このハニワの幾つかが夜になると、目を青白く光らせるとか光らせないとか。


 古代ロマンと、そのロマンを結実させた近代技術、そのごった煮感が何とも頼もしい公園です。

 秋の行楽にも持って来いの公園です。

 近隣に間違って行かれることが有れば、遊びに行かれてみてはいかがでしょうか?

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