崎津天主堂 (熊本県天草市河浦町)
海辺に面した小さな集落の瓦屋根の中に、一際高く建つ天主堂、それが『崎津天主堂』です。
小さな漁村と、小型の漁船、そんな海辺に建つ天主堂の風景は、和風ベネチアと言えそうです。
海辺から天主堂を映した写真は沢山ありますので、あるいは見たことがある方も居られるかも知れませんが、海から見える天主堂は『背中側』にあたります。
では、表側はと言えば、『崎津諏訪神社』の参道を下り、海へ抜ける参道の一角に門を構えています。
表側は荘厳なゴシック建築を模したコンクリート製なのですが、側面や後方は木造で、当時の村落の事情に合わせ『鉄川与助』という大工が建てた天主堂となります。
立地も面白く、天主堂の建てられた場所は、キリシタン弾圧の代名詞『踏み絵』が実施されていた庄屋の家があったところだそうです。
この地が面白いのは、天主堂を中心に1Kmの円の中に崎津諏訪神社と直入寺が存在している事。
そして、今ひとつは、隠れキリシタンが生きていけたという事実です。
これは、集落の人々の力添えも有ったようで、『宗門心得違い』という書類を代官所に提出することで、集落に潜む『隠れキリシタン』を育むことになっていたそうです。
『宗門心得違い』とは、「氏子だけど神社の神様に変な信仰を持っています!」とか、「檀家だけど仏さんの教えを勘違いしています!」というもので、江戸時代の寺請制度をこのノリでやり過ごしたそうです。
要は、天草・島原の乱に驚いた住民が、隠れキリシタンの暴走を恐れた事と、天領とは言え幕府からの小言は勘弁願いたい!という思いがあったのでしょう。
最後に、崎津集落は『漁村』として反映してきた訳では無いという事です。
この地は、佐賀県唐津市と同じように『石炭の積み出し』で反映した街なのでした。
停泊している漁船や、タコ、イカの天日干し風景が写真に映り込んでいるので、「漁村なんだなぁ~」と思ってしまうのですが、海で漁をして水揚げをしていたから、結果「漁港もあるよ!」みたいな事になったのでしょう。
海辺から見える異質な建物、素朴な生活感のある街並み…最近は住民も減少してご苦労が絶えないという話もありましたが、寂れたとは言え、この風光明媚な景色をぜひお楽しみ頂いてはいかがでしょうか?
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