第99話 不完全な正義
夏休みの最終日、御角北斗は臨海都市にあるシティホテルのVIPルームに顔を出していた。
無人島から帰ったあとも、色んな事案が山積みで円卓の職員は多忙な毎日を送っていたが、北斗自身もそのひとりで、いい加減疲れ切っていた。
上等なソファに、らしくもなく、だらしない座り方をしているが、それはカーライルやブラウンも同じだ。
マーティンはいつもどおり、背筋を伸ばしているが、顔色は悪く目の下に隈ができている。
リスティアに至っては居眠りしていて、ときどき可愛らしい寝言を口にしていた。
普段ならスケベ心を刺激されてイタズラを試みそうなカーライルも、今はその元気がないらしく関心すら示さない。
ただひとり、一番多忙なはずのアーサーだけは凜として、紳士然とした態度を崩していなかった。
今は、それぞれに与えられた任務の進捗を報告したあとで、ちょうど会話も途切れている。
それを見計らったわけでもないだろうが、ブラウンが面倒くさそうにぼやいた。
「あの嬢ちゃん、なに考えてんだろうな。まさか魔女を逃がしちまうなんてよ」
「いいじゃねえか。改心したんだろ? かなり美形だったし、胸も大きかったしさ」
やる気の無い声でカーライルが答えるが胸の話を持ち出すあたり、まだ多少の余裕は残っているのだろうか。
「そういう問題ではない。神隠しはもちろんだが、この一連の事件で、一体何人の命が失われたと思っている? 私の部下も大勢死んだのだ」
口にしたのはマーティンだったが、疲れのためか今ひとつ迫力がない。
「因果だな」
アーサーがつぶやく。
「そもそもの始まりは円卓が蒔いた種だ。先代のアーサーとレジナルドがキーア・ハールスの家族や友人を惨殺しなければ、あの魔女が狂気に駆られることはなかった」
「それは……」
マーティンは、なにか言い返そうとしたようだが、言葉が続かなかった。
「まさしく因果応報、自業自得ってわけか」
ぼやくように言って、ブラウンはだらけた顔で天井を見上げた。
釣られて北斗も天井を見上げるが、そこにあるのは変哲のない天井と装飾過多のシャンデリアだけだ。
彼がキーア・ハールスの生存を報告したのは、真夏にそうしろと言われたからで、べつに彼女の信頼を裏切ったわけではない。
ただ、口止めされていれば自分は本当に言わずにいられただろうか。そんなことを毎回のように考えてしまう。
こういうところに、自信を持てないのが彼の欠点であり、長所でもあるのだが本人に自覚はない。
とくに思考を切り替えたつもりもなかったが、ぼんやりとしているうちに、気がつけば今回の事件の結末をぼんやりと回想していた。
あのあと月面都市から島に戻ると、それを待っていたかのようにゲートは消失して、最後に残ったのは咲梨が支配権を奪ったゲートだけになった。
そこにはもう目印となる魂がないため、それを閉じれば二度と向こうの世界には渡れなくなるということで、咲梨は念のために千里と希枝に確認を取ったが、ふたりともあちらの世界には未練がないとのことだった。
最後のゲートが消えると、北斗を除く地球防衛部の面々は、一足先に円卓のヘリで本土に戻っていったが、円卓の職員でもある北斗には、いろいろと仕事が与えられた。
まずはシェルターに収容されていた神隠しの被害者の送還と、それに関する情報の隠蔽だ。名目上の責任者はブラウンだったのだが、彼はこの手の作業が苦手と言って、まとめ役を北斗に押しつけてきた。
その分いろいろと、こき使ってやったのだが、戦いの後の頭脳労働はさすがにキツく、いつにない自分の手際の悪さに辟易としたものだ。
幸いなことに翌日には真夏が助っ人として殊那を派遣してくれたので、多少は休めたものの、それでも夏休みが終わるまでには間に合わせなければならず、慌ただしい時間があっという間に過ぎていった。
結局、神隠しの被害者達も、その家族も何も知らないままに生きていくことになる。
彼らや、その家族に真実を告げたところで不幸なことにしかならないため、他に手立てはなかった。
かつてないほどに大変な夏だったが、過ぎ去ってしまえば、なにもかもが遠いできごとのように感じられる。異世界とはいえ月世界まで行ったなど、夢か幻だったのではないかという気分だ。
ただ、こんなふうに気怠さに浸れるのは、自分があの戦いで何も失わずにすんだからだろう。
大切な誰かを失っていれば喪失感が心を締めつけ、行き場のない気持ちだけが心の中をぐるぐると回って離れなかったのではないだろうか。
あるいは同じようにだらけているように見える十二騎士達は部下や戦友を失くして、そんな気持ちに苛まれているのかもしれない。
そして真夏は……
北斗には今でも判らない。
彼女が、その痛みを克服して立ち直ったのか、それとも胸に抱え込んだまま、誰にも気づかせないだけなのか。
島での戦いの日は彼女の大切な人々の命日だった。
それでも彼女はいつもと同じように戦い、いつもと同じように正しかった。
「なあ、北斗」
ブラウンの声が北斗の意識を現実へと引き戻す。
「なんですか?」
とりあえず姿勢を正して向き直るが、話しかけてきた相手は相変わらず、だらしなく天井を見上げていた。そのままの姿勢で彼は続ける。
「イグダーに続いて、レジナルドのオッサンもいなくなって、十二騎士にはまた空席が空いちまった。お前も、そろそろ下っ端気取りはやめて、こっちに来ないか?」
「ご冗談を。今回の戦いでも、あなた達との力の差を見せつけられたばかりだというのに」
苦笑して答えるが、ブラウンは気怠そうな顔をしたまま続けてきた。
「分かってるはずだぜ。俺たちの強さは世界中の人々が円卓の騎士に対して抱く幻想に後押しされたものだ。騎士の多くが、こんなご時世でも、中世の甲冑を模した防具を身に纏うのだってイメージを強化するためじゃねえか」
もちろん北斗は知っていた。世界に遍く存在する神秘の力の源アイテールは、人々の意識の影響を受けて魔法的な力を常に発揮している。通常、それは微弱すぎて判りやすい効果を発揮しないが、条件さえ整えてやれば、その効果は何百倍にも膨れあがる。
円卓の拠点に名付けられたペンドラゴンという名称や、アーサーの名を持つ盟主、騎士団という体裁も、すべてがそのための方便だった。
それでいて十二騎士に有名な騎士の名が与えられないのは、条件を整えすぎれば、伝説どおりに円卓が崩壊しかねないという弊害があるためだ。
「お前も十二騎士になれば、今よりもっと強い力が手に入る。強くなれば大事なものを守るのにだって役に立つ。悪い話じゃないだろ?」
「そうですね」
同意しつつ、それでも北斗は反駁する。
「でも、僕には――いえ、僕らには僕らだからこそ守れるものがあると信じているんです」
これを聞いてブラウンはようやく頭を起こすと、サングラスを外して嘆息した。
「たとえば、キーア・ハールスか……」
組織の命で動いていたなら、北斗も彼女を見逃すことはできなかった。
もちろん北斗も円卓の一員ではあるが、今の立場ならば真夏の不利益になることは避けることが許されている。
だが十二騎士の一員ともなれば、そうもいかなくなるだろう。だからこその判断だった。
それを理解した上でマーティンが不満そうに言葉を漏らす。
「我ら円卓の騎士こそ正義だというのに」
「我らの正義は、しょせん人類社会のためのものだからな」
面白がるような顔で口を挟んだのはアーサーだ。
「人類が正義という言葉以外に社会正義などという言葉を必要とするのは、それが正義ではないという証明でもある」
当然の話だ。両者が同じものならば言葉は正義のひとつだけで事足りていた。
「で、では、我々の行いは偽善だと仰るのですか?」
やや慌てたようにマーティンが問う。
「そうではないが、我らの短い手では完全な正義には手が届かんということだ。だから、やれる範囲でやるしかない。たとえそれが偽善であったとしても、我らでなければ守れぬものも確かに存在するのだからな」
穏やかに語る盟主の言葉に北斗はうなずいてみせた。
「ええ、今回の事件は僕らだけではどうにもなりませんでした」
「無論、我々だけでもな」
首肯するアーサー。ふたりを交互に見たあと、マーティンは納得したように口にした。
「つまり、我らはお互いに補えあえる関係というわけですか」
「そうだ。どちらがより完全な正義に近いかなど、この際問題ではない。どのみち不完全な人類が完全な正義など手にできるはずがないのだ。だが、たとえ不完全なもの同士でも、互いに歩み寄れるならば、わずかながらでも完全なものに近づくことができるはずだ。そのためにも価値観が異なる存在が必要なのだよ」
マーティンとブラウンはもちろん、カーライルもアーサーの言葉に聞き入っている。
アーサーの言葉は北斗にも理解できた。人間の多くは価値観が異なるものを忌避し、排除しようとする傾向さえある。だが、それでは人が多様性を持つ意味がない。もしこの先人類が、自分と違う相手を否定し、拒絶するのではなく、互いに手を取り合えるならば、この世界はディストピアのような結末を迎えることはないだろう。
もはや二度と手の届くことのない異世界に北斗が思いを馳せていると、大きなアクビが聞こえてきて、全員がそちらに顔を向けた。
両手を上に向けて大きな伸びをしていたリスティアは、ようやく会議の途中であるこを思い出したらしく耳まで真っ赤しながら勢いよく頭を下げる。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、いつの間にか居眠りしていました!」
「こういう時に居眠りするような相手も受け入れた方がいいのかねぇ」
カーライルはわりと本気で言っている気がする。
べつに大したことではないと理解しつつも、なぜか込み上げてきた笑いを抑えることができずに北斗は声をあげて笑った。
釣られるようにブラウンが笑い声をあげて、続けてアーサーとカーライルも笑い出したのでリスティアはますます真っ赤になって縮こまった。
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
それでも笑いが止められず、ひとしきり笑ったあと、北斗は改めて謝罪する。
「いや、すみません。あなたがどうのというよりも、今ので気が抜けたらしくて」
「そうだな。らしくもなく硬い話をしていたからなぁ」
ブラウンが苦笑し、アーサーも笑顔でうなずいている。
何気なく窓の外に視線を向けると北斗の視界いっぱいに青い世界が広がっていた。
空の青と海の青。
ディストピアが永遠に失ってしまったそれは、やはりこの上なく美しいものに感じられた。
北斗はふと仲間たちに思いを馳せる。
みんなは本土に戻ったあと、どうしているのだろうか。
華実はちゃんと家に帰ったのだろうか。
そして真夏は――
疲れ切っているというのに今は夏休みが明けて、みんなに会えるのが楽しみだった。
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