第98話 いつもそこにいる
嵐のように荒れ狂う風の中で真夏は、しばらくの間その後ろ姿を平然と見送っていたが、やがて大きく溜息を吐くと刀を鞘に収めて仲間達の方へと向き直る。
そのまま静かに道の上に降り立つと普通の足取りで戻ってきた。
「ところで、なにがどうなって、こんなことになってるの?」
先ほどの姿からは想像もつかないような、いつもどおりの顔で小首を傾げている。
千里がキーア・ハールスを守っていたことについて訊いているのは分かりきっていたが、華実としてはそれどころではないらしく泣きそうな顔で抱きついた。
「無茶しないでよ!」
「くすぐったいわよ、華実」
真夏は少しだけ困った顔で華実の頭を撫でる。
「そこは尻を撫でた方がキャラが立つと思う」
千里に言われて真夏はなぜか納得しような顔をした。
「なるほど」
「やめなさい」
臀部に伸ばされた真夏の手を慌ててつかむと華実が半泣きのまま苦情を言った。
キーア・ハールスは色んな意味で打ちのめされていた。
人間に絶望して世界さえ消し去ろうとしていたのに、目の前のこいつらはなんなのだろうか。こんな仲間が自分にいれば……いや、そうでなくとも、こんな連中がこの世にいると知っていたならば、絶望する前に助けを求めていただろう。
「いるならば、最初からいるって言ってくれれば良かったのに」
愚痴がつぶやきとなってこぼれた。
真夏達が不思議そうな顔を向けてくる。そこに向かってキーア・ハールスはもう一度言い直した。
「この世に正義の味方がいるならいるって言ってくれれば、わたしはこんな間違いを犯さずにすんだのに……」
解っている。こんなものは、愚にもつかない責任転嫁だ。出会えなかったのは自分に運がなかっただけ。誰のせいでもない。唇を深く噛みしめて、自分に言い聞かせると、流れ出した涙をローブの袖でぬぐって顔を上げる。
「ありがとうございます。助けてくれて感謝しています。でも、覚悟はできていますから」
目を閉じて、首を差し出すように顎を上げる。
真夏が刀を握り出す音がした。
しかし、それはキーア・ハールスの予想に反して鞘へと仕舞われる。
驚いて瞼を開けると、真夏は座り込んだキーア・ハールスに目線を合わせるかのように屈み込んだ。
「わたしはあらゆる悪にとっての悪夢」
再びその言葉を使ったが先ほどとは違って声は穏やかで表情も柔らかいままだ。
「だから、わたしは悪は決して赦さないけど、罪を憎んだりはしないわ」
「え……?」
「つまり、悪を憎んで罪を憎まずが、わたしの信条なのよ」
指を一本立てて解説するお姉さんふうに告げてくる。
「人間は誰しも生き続ける限りは必ず罪を犯すようにできているの。だから罪なんて憎んでも意味がない。憎むべきなのは罪を罪とも思わないような悪であって、赦すべきは罪を罪と理解して悔恨に打ち震える善なのよ」
「で、でも、わたしは……」
「そうね。たくさん殺したし、その遺族を含めて、あなたを憎む人は多いでしょうね」
キーア・ハールスは項垂れ、自分の所業を思い出す。つい数時間前まではあの無人島で喜々として殺戮を行っていたのだ。
それなのに今はどうしてそんなことができたのかさえ解らなくなっている。
狂っていたことにすれば楽だったかもしれないが、理性は働いていたし感情だって失くしてはいなかった。
真夏は続ける。
「でもね、そんなことは命を消して良い理由にはならないの。なぜなら命は可能性だから」
「可能性……?」
「ええ。少し前のあなたと違って、今のあなたは未来において、誰かを傷つけるよりも助ける可能性の方がずっと高い。それはつまり、ここであなたが死ねば、その人が助からなくなってしまうってことよ」
「でも、もしまた道を踏み外したら――」
「そうなる前に陽楠学園の地球防衛部の部室を叩きなさい。正義の味方は、いつもそこにいる」
答えて、真夏は軽くウィンクしてみせた。その背後では華実が微妙に困ったように笑い、千里はボーッと星空を見上げている。
キーア・ハールスは痛感した。
(完敗だ……)
戦いに負けただけではない。人間として、すべての面で負けた。
今までの自分を容赦なく否定されたのに、このやさしさにふれてしまったあとでは、自らの命を絶って逃げることもできない。
重すぎる罪科を抱いて生き続けるしかないのだ。自分の可能性と彼女の正しさを証明するためにも、誰かを助けられる人間として。
「さて、問題は残っているゲートの中に、向こうに通じるものがあるかどうかだけど……」
辺りを見回す真夏。半ばはキーア・ハールスが自ら消したが、一部は神獣の攻撃を受けて消滅したものもある。それでも戦場から外れた場所には、まだいくつかのゲートが残されていて、そこから突然紺のマントに身を包んだ少年少女達が飛び出してきた。
先頭にいるのはキーア・ハールスと魔法戦を繰り広げた娘だ。
「みんな無事!?」
「ゲートが次々に消えたから、さすがに気になって……」
魔女に続いて年長の少年が口にしかけたが、都市の有様を見て唖然として言葉を失くしたようだ。
続いて年下の少年が呆れ顔でつぶやいた。
「少女坂、お前どんな暴れかたしたんだ?」
「失礼ね。暴れたのは怪獣よ」
腰の左右に両の拳を当てて言い返したあと、真夏は残る少女に声をかけた。
「希枝、あなたの能力で市内に繋がっているゲートがないか調べてちょうだい」
どことなく千里に似た雰囲気を持つ小柄な少女は理由を訊くことなくうなずいた。
その隣で魔女が焦ったように真夏に問いかける。
「ちょっと、マナちゃん。まさか、これを逃がすつもりなの?」
「まさか」
否定しておいて、しれっと続ける。
「逃げるのを止めるつもりがないだけよ」
「いや、同じでしょ! それ!?」
「と言うか、逃走ルートまで調べさせてますし」
年長の少年がゲンナリとした顔で言ったものの、真夏は訊く耳持たないようだった。
そんな会話には興味を示すことなく希枝と呼ばれた少女が都市の隅に位置するゲートを指さす。
「これなら、ちょうど良いところに続いてる」
「ありがとう」
礼を言ってから、真夏は座り込んでいたキーア・ハールスに手を差し伸べてきた。おずおずとその手につかまると、軽く引っ張って立たせてくれる。
「それじゃあ、元気でね」
やさしく笑う真夏の温かな手に名残惜しさを感じながらもキーア・ハールスはうなずいた。
「はい。あなた達のことは忘れません。決して」
初めて感じる胸の熱さに涙が込み上げ視界が滲んでいた。それをローブの袖で拭いながら、教えられたゲートへと歩いていく。
最後に一度だけふり向けば、真夏はやさしく眼差しで見送ってくれていた。その隣には苦笑する華実。ボーッとした顔のまま小さく手を振る千里と、困り顔の魔女。嘆息して頭を抱える年長の少年の隣では、もう一人の少年が肩を竦めている。希枝はしばらく無表情で突っ立っていたが、最後に千里と同じように小さく手を振ってくれた。
キーア・ハールスは漠然と理解する。
(ああ、この人達が真夏が言っていた地球防衛部――正義の味方なのですね)
脳裏に浮かぶのは黒い
セレナイト505に同情して神隠しの片棒を担ぎながらも、彼女は度々自嘲気味に口にしていた。
「いずれ、ここには正義の味方が来るよ。わたし達みたいな悪者を退治しにね」
それを聞かされる度にキーア・ハールスは内心で小馬鹿にしていたが、結局彼女が正しかったのだ。
ただ、実際に現れたそれはダリアが考えていたよりも、やさしく――そして厳しかった。
悪の魔女でなくなった今、キーア・ハールスの胸の裡には重すぎる罪の意識が込み上げている。彼女はそれを抱いたまま、たった一人で生きていかなければならない。
帰る場所はすでになく、行くアテもない。
(それでも、わたしは……)
見送る人々に深々と頭を提げると、軽く跳躍してゲートに飛び込んだ。
銀色の世界を流れるように移動しながら、言葉の続きを胸の裡で結ぶ。
(……生きていきましょう。逃げ出すことなく、驕ることなく、過つことなく、今度こそ正しい道を――)
誓いを胸にゲートの出口へと飛び込んでいく。人生という物語を未来に向けて綴るために。
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