第96話 牙を剥く神獣

 神獣の眼光はキーア・ハールスの心を丸裸にした。

 彼女が円卓に抱いた憎悪も、復讐のためにセレナイトを利用したことも、面白半分にダリアの運命を弄んだことも、そしてそれぞれの行いの裏に潜む自分勝手な欺瞞も――なにもかも見透かされたことを実感して彼女は蒼白になっていた。

 今すぐ、この場から離れたいと思うが、身体が動かない。

 逃げられないなら、いっそ消えてなくなりたいとさえ願うが、それも叶わない。

 ただ一つ御免被りたいのは、そいつに殺されることだ。

 本能が警鐘を鳴らし続けている。

 神獣に殺されるのは他のどんな死に方よりも悲惨な末路だと。

 だが、身動きできないままの彼女を前に、神獣は明らかな殺意を以て、その眼光を輝かせた。

 破滅をもたらす光が一瞬で降り注ぐのをキーア・ハールスは為す術もなく見つめる。


(終わった……)


 絶望を感じた瞬間、後頭部に強い衝撃を受けて無人の街中をバウンドするように転がっていく。思っていたのとは、ずいぶん違う衝撃だったが、ここにいるのは彼女と神獣だけだ。

 もうダメだとばかりに彼女が、あきらめて地面に突っ伏していると、今度は襟首をつかまれて持ち上げられる。


「うひゃあーーっ」


 情けない声を上げながら身体が持ち運ばれるに任せていると、目の前の地面に神獣が発した光が突き刺さるのが見えた。


「ええっ!?」


 混乱しながら、首を動かして自分の襟首をつかんだ相手を見上げる。

 それは、つい先ほどまで彼女が戦い、逃走する羽目になった相手――秋塚千里だった。


「なんで!?」


 訊いた瞬間には千里はまた跳躍して三度放たれた神獣の眼光をかわす。


「ゲートを閉じて。このままだと足場が悪すぎる」

「ゲ、ゲート?」


 告げられてキーア・ハールスは、今さらながらに穴だらけになっている都市の大地に気づいた。

 とりあえず言われるまま手をかざして近場のゲートから閉じていく。

 その間にも神獣は光線を発して、彼女たちを追い立ててきた。


「遊んでるね、あいつ」


 不機嫌そうに千里が口にする。


「あなた、あれが怖くないの?」

「怖いのはあれじゃない。本当に怖いのは、ああいったものに大切な人を殺されること」

「でも、わたしは敵よ」


 思わず口にした言葉に千里が突然動きを止めた。


「言われてみれば……」


 今さら気づいたかのように地面に放り出されて、キーア・ハールスは情けない声を上げた。


「み、見捨てないでぇぇぇっ」


 それを見た神獣が嘲笑うかのように口元を歪めるのを確かに見た気がした。

 またもや瞳を輝かせ、神獣が光を発する。


「いやぁぁぁーーーっ」


 キーア・ハールスは腰が抜けて動けず、帽子で目を隠すようにしてうずくまった。

 その身体を軽く押しのけて放たれた光線を千里が殴りつける。光は鏡にあたったかのように折れ曲がり、ドームの屋根に新たな穴を穿った。


「失敗。上手くあたらなかった」


 つぶやく千里をキーア・ハールスは唖然として見つめる。


「あなた、本当は何者?」


 セレナイトで目にした記録によれば、神獣には最新鋭の戦闘用人造人間が束になってもまるで相手にならなかったとあった。

 しかし、目の前のこの自称人造人間は、勝てるかどうかはともかく、じゅうぶんに対抗しているように見える。

 一方、光線を跳ね返された神獣は唸り声とともに牙を剥いた。

 千里は握った拳の親指を立てると、それを下に向ける。


「降りてこい?」

「いや、潜行しますだ」

「ダイビングかい!?」


 思わずツッコむキーア・ハールス。

 だが、神獣は挑発に乗ったかのようにドームの屋根を突き破ると、その巨体をついに都市に乗り入れ、いくつかのビルを薙ぎ倒しながら大地に屹立した。


「に、逃げましょう!」


 残ったゲートを指さして提案するが、千里は首を横に振る。


「そっちに行ったら、お前は円卓に八つ裂きにされる」

「…………」


 キーア・ハールスは頭を抱えた。


「そりゃそうだ」


 この混乱で憑き物が落ちたようになっていたが、自分がしでかしたことは、さすがに忘れてはいなかった。

 それなのに、どうしてこの少女は自分を守ってくれるのだろうか。

 疑問に思うが、それを口にする暇もなく、神獣が巨大な顎を開いて襲いかかってくる。巨大なビルでも倒れてくるかのような大迫力だ。

 千里は再びキーア・ハールスを抱えて、大きく後ろに跳んだ。

 神獣の攻撃は空振りに終わったかに見えたが、そいつはそのまま大口を開けて、眼光よりも遥かに巨大な光のブレスを放射してきた。

 咄嗟に横に逃げるが、神獣は光を吐きながら首を振って追いかけてくる。立ち並んだ高層ビルが超高熱で溶解し、薙ぎ倒されていくのを見て、キーア・ハールスは茫然とした。

 こちらがかわしきったのを見ると神獣は翼を広げて、天使のような羽を雪のように宙に舞わせる。それは次々に金色の光を発してセラフへと形を変えていった。


「嘘!?」


 受け入れがたい光景だったが、心で否定したところで消えてなくなるわけでもない。

 通常ならセラフは、こちらの世界の住人しか襲わないはずだが、神獣が直接指揮しているためか、そいつらは容赦なく二人に襲いかかってくる。


「下ろして!」


 ようやく自分が足手まといになっていることに気づいてキーア・ハールスが声をあげると千里はあっさり、彼女の身体を放り出して金色の鎌でセラフを斬り裂いていく。

 空中で態勢を整えるとキーア・ハールスも魔法を使って迎撃を始める。杖が無いために多少威力は落ちるが、牽制としては十分だ。

 しかし、その向こう側で神獣がまたもや大口を開けるのが見える。

 セラフもろとも、ブレスを放射する気だ。そうなっても千里はかわせるだろうが、おそらく自分は避けられない。可能ならば空間跳躍テレポートで身をかわしたいが、機械杖なしでは集中にやや時間を要する。その隙をセラフが見逃すはずがない。どう考えても八方塞がりだった。

 そしてそれは千里にも分かっているはずだ。ならば彼女はきっと、キーア・ハールスを抱えて逃げようとするだろう。

 だが、セラフにまとわりつかれている今の状況ではリスクが大きすぎる。

 冷静に分析すると、キーア・ハールスは魔法で跳躍して、千里から大きく距離を取った。

 それに気づいた千里が焦った顔で、こちらを見るが、キーア・ハールスは大きく首を横に振って答えた。

 もういい。じゅうぶんだと。

 愛する家族を円卓に奪われたことで憎しみに我を忘れ外道に落ちた彼女だが、それでも最低限度のプライドは持ち合わせている。

 見れば神獣は思ったとおり、千里ではなくキーア・ハールスに、その口を向けていた。


「ありがとう」


 届かぬ言葉を千里に向けると静かに瞼を閉じる。

 神獣の口に神々しい白光が生まれ、キーア・ハールスめがけて放射された。射線上にいたセラフが瞬時に消滅し、彼女は世界のすべてが白い輝きに満たされるのを感じた。

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