第91話 白い廊下

 エレベータは静かに最下層に止まった。扉が開かれると、そこから先はひたすら奥へと続く一本道だ。壁も床も新品のように白く、廊下のどこにも塵ひとつ見当たらない。電灯の類いはないが、天井そのものが淡い光を発していて十分に明るかった。耳を澄ませば微かな機械音が聞こえてくるが、これは空調設備の稼働音だ。

 セレナイト505は、この先に設置されている。

 華実はかつて、この道を飽きるほど往復したはずだが、その記憶はまるで他人のもののように冷たい。忌むべき思い出のはずだが、今はそれがなぜか悲しかった。

 進路上にはいくつもの扉があって、そこを開くためにはカードキーと霊子認証が必要とされるはずだった。

 霊子認証とは文字どおり魂によって本人か否かをチェックするシステムで、こちらの世界では最強のセキュリティだ。元より華実は、ここの管理者だが、たとえ登録情報が変更されていなかったとしてもカードキーを持っていない。

 いざとなれば真夏に扉をくりぬいてもらうつもりだったが、すべての扉は最初から開放されていた。


(やっぱり、わたしを待っているのね。505……)


 505かのじょがどんな気持ちでいるのか、華実にも分からない。

 魂を造り、人格の基盤を与えたのは他ならぬ華実だったが、人の心が変わるように505も変わっているだろう。人工物とはいえ505には魂も心もあるのだから。

 それだけに酷なことをしたと思う。

 だが、それでも彼女が本物の華実ダリアを含む神隠しの被害者にしてしまったことは赦すわけにはいかない。


(505を破壊して、すべてに決着をつける。わたしは今、セレナイトの母としてではなく、正義の味方としてここに立っているのだから)


 背負った刀の重さを意識しながら、華実は自分に言い聞かせた。

 ところが、そんな悲壮な覚悟を隣にいる少女があっさりと霧散させる。


「気負わないで」

「真夏……」

「心構えは心を硬直させる。こういう時は自然体でいいのよ」


 やさしい声で告げてウィンクしてみせる。

 苦笑して華実は言葉を返した。


「あなたには敵わないわね。とても同い年には見えないわ」

「わたしは見た目どおり、あなたと同い年の可憐な女子高生よ」

「そうね、とても綺麗だし、誰よりも強いし、やさしいし」

「いや、わたしはわりと無慈悲だけど?」


 意外なことでも言われたかのように首を傾げている。

 とりあえず視線を前に戻して華実は会話を続けた。


「あなたは心が強いから自然体が一番だってのは分かるけど、わたしみたいなのは想定していない事態には動揺して、ちゃんと対応できなくなるのよ」

「それってつまり、あらかじめいろいろと思い悩んでも、結局予想外の事態には動揺するってことでしょ」

「それはそうだけど……」

「なら、やっぱり自然体でいいわよ。あなたがどんなに動揺しても、わたしが隣で支えてあげるから」

「頼もしいわね、まったく」


 華実は軽く肩を竦めた。


「微妙にバカにされているように感じるのは気のせいかしら?」

「気のせいよ」


 サラリと流して華実は歩き続ける。

 照れくさくてこんな態度になっていたが、内心では素直に真夏に感謝していた。

 彼女が隣にいてくれなければ形ばかりの憎悪や復讐心にすがって、ただ我武者羅にセレナイトを破壊しようとしたかもしれない。


(まず話をしてみよう)


 少なくとも505は華実を待ってくれているのだから、考えてみればそれが筋というものだった。

 それを分からせてくれたのは隣で笑ってくれている少女だ。彼女は、いつも華実を助け、導いてくれる。出会ってから今日までの短い時間の中で彼女から受けた恩義は、どれだけ感謝しても足りないほどだった。

 やがて、いくつもの扉を抜けた先に、一際大きな扉が顔を覗かせる。


「ここよ」


 真夏に告げて扉の前で立ち止まると、華実は大きく深呼吸した。

 心構えはともかく、心の準備だけはすませてから顔を上げると、扉の開閉スイッチを押す。それは記憶の中にあったとおり、中央から左右に分かれ静かにスライドしていった。

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