第86話 圧倒

 ゲートを抜けて華実達が跳びだした場所は月面都市セレナイトの市街地部分だった。

 空を覆うドームは巨大な柱が砕かれて、いくつもの大穴が空いているが、都市を覆うエネルギーフィールドは健在らしく、空気の流失は起きていない。

 だが、案の定そこは無数のセラフで溢れかえっていた。華実に気づくと、それらがいっせいに襲いかかってくる。

 真夏は華実を庇って前に出ると聖刀玄双を抜き放ち、そのすべてを容赦なく斬り刻み始めた。

 セラフは四方八方から襲いかかってくるが、斬撃の軌跡が光となって空間を埋め尽くし、襲い来るセラフは光の粒子になることすらできず塵以下になっていく。当然ながら華実には近寄らせもしない。

 ついには一斉に手にした槍を投擲してくるが、それすらも真夏は斬り刻んで塵に変えていった。


(これは……)


 華実は刀の柄に手をかけたまま、茫然とその光景を見つめる。手伝う余裕すらない。

 敵の狙いが華実一人に絞られているがゆえに、より迎撃しやすいのだろう。真夏が敵を殲滅する速度は島で戦っていたときの比ではなかった。

 圧倒的な力で何千という敵を撃破していくが、必死な様子ではなく、真夏の動きはむしろ優雅でさえあった。

 当初は都市を埋め尽くすかのように見えていたセラフの群れは、瞬く間に排除されていき、わずかに残ったセラフはあろうことかドームに空いた穴を抜けて虚空へと飛び出していった。


「セラフが逃げ出した……」


 茫然と華実が呟く。それは、この世界に生き残りの人類が居れば、珍事と思うようなできごとだった。

 真夏は微かに透きとおった美しい刀身を静かに鞘に収めると周囲を見回した。


「さすがに穴だらけね」


 その穴とは、もちろんキーア・ハールスが開いたゲートの入り口だ。

 華実はそれには答えず、しきりに首を傾げたあと、おもむろに真夏の頬をつまんで左右に引っ張った?


なにをするのはにほふぬろ?」


 手を放して華実はさらに首を傾げる。


「いえ、あれだけ暴れて息も切らしてないから、実はロボットなんじゃないかって……」

「華実って、ときどき奇行に走るよね。初めて会ったときは千里の胸を揉んでたし」


 赤くなった頬をさすりながら真夏が呆れたように言う。


「うっ……」


 華実は指摘を受けて呻いた。確かにあれもこれもおかしな行動と言われれば否定のしようもない。


「そ、それにしたってデタラメな強さね」


 誤魔化すために適当なことを口にすると、真夏は軽く肩をすくめた。


「何も考えずに機械的に来るだけの敵なら楽なものよ。少なくとも一年前に戦った人造人間は、こんな容易い相手じゃなかったわ」


(人造人間でも手こずる相手って話だったんだけど……)


 思ったものの、口にはしなかった。真夏は本気で言っているようだから、そのあたりは達人にしか解らない領域なのだろう。


「実際のところ、あのシェルターが華実くらいの大きさだったなら、わたしと千里だけで守り切れたかもしれないけど……」

「事実としか思えないところが怖ろしいわね」


 ジト目で言った後、華実は気持ちを切り替えて、都市の中心部にそびえ立つ巨大なタワーに目を向けた。


「505はあの地下よ」

「つき合うわよ、もちろんね」


 微笑む真夏に華実も笑みを返す。

 いつか必ずここに戻り、505に引導を渡すと誓ったものの、その時にはまだそれは雲をつかむような話だった。

 しかし、それから一年。華実はついに、ここに辿り着いた。


(今行くわ、505)


 自らが生みだしてしまった悲劇の元凶に向けて、そっと胸の裡で囁く。

 ダリアは言っていた。セレナイト505は可哀想な娘だと。

 確かにそうなのだろう。生みの親である華実に都市と市民を守るように命令されて、それを遂行するためには神隠しという罪に手を染めるしかなかった。

 もしかしたら、この一連の事件の最大の被害者なのかもしれない。

 しかし、それでも――いや、だからこそ、生みの親である華実の手ですべてを終わらせるしかない。

 決意とともに華実はタワーに向けて歩き始めた。

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