第69話 花と散る

 繰り返し自分の名前を呼び続ける声にダリアは閉じていた目をゆっくりと開いた。

 大好きな彼が、その顔を涙でくしゃくしゃにしながら、彼女の顔を覗き込んでいる。


「しっかりしろ、華実! 死ぬな! 死なないでくれ!」


 彼の後ろでは華実が茫然とこちらを見下ろしていた。その隣には見知らぬ少女がいたが、おそらくもうひとりの華実が口にしていた友人だろう。

 ダリアは笑みを浮かべて和人に告げる。


「なにをバカなこと言ってるの? あんたの華実はそっちでしょ」

「違う!」


 迷いもなく断言する。


「僕には判る! 僕がお前を間違えるもんか!」

「……どういうこと?」


 怯えたように問いかけてくる華実に、ダリアはやるせない笑みで答える。


「セレナイトには魂だけになったわたしが視えたのよ。あの娘はごめんなさい、ごめんなさいって、そればかりを繰り返して……」


 ダリアの答えに華実は息を呑んだ。


「あの娘があなたを無理やり機械人形マシンドールに……」


 小さく首を動かして、その言葉をやんわりと否定する。


「いいえ、あの娘はそんなことはしないわ。わたしが頼んだのよ」

「どうして……」

「正義の味方になりたかった」


 つぶやいてぼんやりと虚空に目を向ける。


「なにもできないまま消えるのが嫌だった。だから、可哀想なセレナイトのために、彼女だけの正義の味方になろうって……思ってしまったのよ」


 大きく息を吐いて瞼を閉じる。口元にはやはり自嘲の笑みが浮かんでいた。


「バカよね、わたし。そんなの正義じゃないって判りきっていたのに……自分を騙して、この世界の人々を拐かしては自分と同じ目に遭わせていた……ただの悪の手先だわ」

「華実……」


 他ならぬ華実にその名で呼ばれて、もう一度頭を振る。


「華実はあなたよ。ろくな人生は送ってなかったけど、その身体と一緒にみんなもらってくれると嬉しいわ」


 戸惑いの表情を浮かべる華実の横で、和人がたまりかねたように声を荒げる。


「どういうことだよ!? 訳分かんないよ! なんでこの女はお前の身体を使ってるんだよ!?」

「和人……わたしの夢が叶ったってことよ」

「なに言ってんだ!? 訳が分かんないよ!」

「だから……千木良華実は正義の味方になったってことよ」

「わたしは……」


 困惑する華実にダリアはやさしく笑いかける。


「ごめんなさい。試すような真似をして。でも、わたしひとりを倒せないようじゃ、正義の味方としては物足りないから」


 華実は大きく頭を振って泣き叫ぶようにすがりついてくる。


「ダメよ! きっとまだ間に合う! わたしの仲間の魔法使いなら、あなたの魂をこの身に戻せるかもしれない!」

「バカ言わないで。それだと、せっかく叶ったわたしの夢が壊れてしまうじゃない」

「そんなの生きてさえいれば、いずれまた叶えられるわよ!」

「ありがとう、華実。わたしの運命の相手があなたで良かった」

「華実!」


 ダリアは瞼をそっと閉じると囁くような声で続ける。


「セレナイトは可愛そうな娘よ。でも、彼女のためにもすべてを終わらせてあげて」

「待てよ、華実! 僕にはまだ何にも――」


 言い募る和人に遠ざかりかけた意識を呼び戻されて、わずかに瞼を開くと彼の頬に残された右手をそっと添えた。


「和人、もうひとりのわたしを恨んじゃダメよ」

「でも――」

「彼女のお陰で、わたしはこんなにも幸せなんだから……」


 視界が白み腕の力が抜ける。和人がその手を握ってくれたようだが、すでに感覚は失われていた。


「和人……野球、頑張りなさいよ。負けたら承知しないから……」


 最後に選んだ言葉はそれだった。

 自分の分まで生きてとか、愛しているとか、他に言い様もあった気がするが、結局はこれが一番自分らしいと満足げな笑みを浮かべた。

 静かに機能が停止し、ダリアとしての千木良華実の人生が幕を下ろす。

 運命に翻弄された少女は、それでも自分の人生を呪うことも嘆くこともしなかった。

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