燃えて生きる
第70話 死闘を終えて
「あなたがすごい早さで、かっ飛んでいくから、これは絶対に事件だと思ったのよ」
幸美の説明を聞いて呆れ顔になったのは華実ではなく、横で聞いていた火惟だった。
「魔力使いの快足に、なんでついていけるんだ?」
「ついて行けるわけないでしょ」
あっさりと言う幸美に火惟が困惑する。
「いや、けどお前は実際に現場に辿り着いて、笹木って人を助けたんだろ?」
「千木良さんが、どっちに向かったかは分かっていたからね。そっち方面で事件が起きそうなところの見当をつけただけよ」
「適当かよ……」
「推理よ。人目につかなくて、なおかつ大立ち回りができそうな場所って考えると、真っ先にここが思いつくわ」
そこは住宅地から、やや離れた廃工場だ。いや、すでに工場跡と言ったほうが良いだろう。
超常の力を持つ者同士が戦った結果、爆発と火災が発生して、今もまだ黒煙が上がっている。周囲にはパトカーや消防車が詰めかけているが、この現場で彼らを指揮しているのは、人知れず世界を怪異などの超常現象から守っている秘術組織の人間だ。
それも華実にとって特別な友人となった少女坂真夏を当主とする東条家と呼ばれる人々らしく、華実や部外者の幸美にも礼を失することはない。先日出会った円卓の人々とは対応が雲泥の差だ。
本来、陽楠市内はどこの秘術組織も手出しをしないという不文律があるが、すべての秘術組織を束ねる立場にある円卓の盟主アーサーが特例で活動許可を出したらしい。
東条家職員の話によれば、この程度の火災は魔術を使うことで、すぐに鎮火できるそうだが、周辺への大きな被害が懸念されない限りは、通常の方法で対処するのが慣わしとのことだ。
消防隊による消火活動が続く中、華実は炎の中で朽ちていく建物をぼんやりと見つめていた。
幼い記憶の中にあった風景が永遠に失われていくが、厳密にはその記憶は華実のものではない。ここで命を落としたダリア――本物の華実のものだ。
彼女は、すべてを知った上で、もはや戻れぬ道と覚悟して、今の華実と戦い、満足して死んでいった。自分のすべてを――夢も未来も、過去すら華実に託して。
こんな最期を強いられる理由など彼女にはなかった。こんな勝利も闘争も華実は望んでいなかった。
終わらせるしかない。
異世界の月面都市に乗り込み、元凶であるセレナイト505を破壊するのだ。
「またひとりで深刻な顔をして」
少しばかり怒ったような声が背後でして、振り向く間もなく柔らかい腕に抱きしめられる。
「ま、真夏?」
首を動かして覗き込むと、長い黒髪を持つ美少女が思ったとおりの表情で、こちらを見つめていた。
「この戦いはあなただけのものじゃない。わたし達みんなの戦いよ。仲間がいるってことを忘れないで」
「忘れてないけど……」
言い訳をするが、ひとりでここに乗り込んだあとだと説得力がない。人質を取られていたため、仕方がなかったのだが。
「怪我の具合は?」
訊きながら真夏は華実の身体をまさぐり始めた。
「ち、ちょっと!」
慌てる華実。この美少女には同性愛者疑惑(それも限りなく黒)があるのだが、今回は本当に身体のダメージを調べているだけのようではある。
「だ、大丈夫だって。組織の人が霊薬っていうのをくれたから」
ポケットから空き瓶を取り出して説明する。戦いが終わった直後は、かなり疼いていた肋も、それを飲むと嘘のように痛みが引いた。
真夏はラベルを意味ありげな目で見つめながらつぶやく。
「
「夏庭って……」
言いかけたのは火惟だ。彼はすぐに、しまったといった顔をするが、真夏は気にする様子もなく捕捉する。
「涼香は霊薬については天才的でね。子供の頃から研究開発に参加していたのよ。その薬にしたって、あの娘のお陰で効力が倍増したわ」
もちろん華実もその少女については訊かされていた。一年前に起きた事件で故人となった真夏の親友。いや、真夏の言葉通りなら恋人だ。
それが文字どおりの意味か、そう呼んで良いくらい大切だったのかは当事を知らない華実には見当もつかない。
どちらにせよ真夏にとって夏庭涼香は、この世で最も大切な存在だったということだ。
その涼香を他の友人や家族、そして仲間たちもろとも失った事実は真夏の心に深い傷跡を残したことだろう。
しかし、真夏は、その苦しみを人前で見せたことは一度もない。
泣くことも鬱ぎ込むこともないまま、それまでどおりに振る舞い、誰かのために躊躇うことなく剣を振るっている。
それを知っているからこそ、華実もまた抱え込んだ痛みに耐えることができていた。
自分のために犠牲になった少女が報われることのない人生の果てに他ならぬ華実の手で命を落としたのだ。たとえ相手が望んだことでも、少し前の華実ならば自分の命を絶ちきって目の前の現実から逃げ出していたことだろう。
華実は自分を抱き留める真夏の手に、そっと手を重ねる。
「大丈夫よ、真夏。わたしはもう生きることから逃げたりしないから」
それを聞いて真夏は腕をほどくと、藍色の瞳で華実を静かに見つめた。その目を細めて口元に笑みを浮かべると、納得したようにうなずく。
「うん」
それで安心したのか、踵を返すと作業を続けている人々の方へと歩いて行った。
離れていく背中を見つめていると、すぐ隣から火惟が話しかけてくる。
「お前、なんかちょっと変わったよな」
「あなた達のお陰でね」
「俺たち?」
不思議そうな顔をする火惟にイタズラっぽい笑みを向けると、華実も自宅に電話をかけるために、その場を後にする。
いちおう誤魔化したとはいえ、母親が不安そうな顔をしていたことを覚えていたのだ。
もちろん母親は本当の意味では華実の母ではない。それどころか華実がつい先ほど葬り去ってしまった本来の華実の母だ。
だが、それでも華実は、これからもホンモノのフリをして生き続けなければならない。
この嘘だけは最後まで突き通す。
それは他ならぬ本物の華実から託された想いでもあった。
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