第67話 死闘への誘い

 約束どおりに現れた真夏が千里を連れて帰ったあと、華実は自室に掃除機をかけていた。

 いつもは母親任せだが、これからはこういうことも覚えていこうと思う。ただし、掃除はともかく料理は難題だ。生前の記憶は、ただでさえ希薄だが、それでも料理の経験がないことは疑いの余地もない。あちらの世界では機械がすべてやってくれたからだ。


「誰かに習うか……」


 自分の友人達を思い浮かべて考える。

 真夏と幸美は無難なところだ。千里は目下修行中とのことなので除外。火惟は考えるまでもなく料理などできまい。希枝はどうだろう? あまり想像がつかない。咲梨は幼い従弟とふたり暮らしなので得意そうに思える。もっとも料理なんて魔法で出すというタイプかもしれないが。

 北斗は……なんとなくできそうな気がするが、料理を男性に習うというのは女史としてどうだろうか。

 ついでにマーティンも選択肢に入れてみたが名門騎士とあっては、それこそ使用人任せだろう。羨ましい。

 最後に本音が漏れたところで階下から母親に呼ばれた気がして掃除機を止めた。

 気のせいではなく、電話と言っているのが聞こえたので返事をし、掃除機を置いてから部屋を出た。


「この時代の掃除機の音ってうるさすぎるのよね」


 ぼやきながら階段を降りると、ダイヤル式のレトロ電話が華実を出迎える。もちろん、この世界では時代遅れでもなんでもないが、できれば早めにプッシュフォンに買い換えたかった。

 受話器を取って「もしもし」と話しかけると、聞き覚えのある声が応える。


「千木良華実がお掃除とはね」


 砕けた物言いに華実は眉を寄せた。


「誰?」

「忘れたの? 同じ声の持ち主なのに」


 その言葉に華実の表情が強ばった。


「ダリア……」

「正解」


 前に戦ったときと口調が違っている気がするが、言われてみれば彼女の声だ。それが自分の声と同じだなどと認識していなかったのは単純な話で、人間は自分の声だけは骨伝導と空気伝導を合わせて聞くため、他人が聞いた場合とは違って聞こえるからだ。


「やはり、昨日はあなたも来ていたようね」


 電話をかけてきた以上、ダリアはこちらの世界にいるということだ。おそらく昨日の騒ぎで取り残されたのだろう。


「元科学者だけあって、さすがに察しがいいわ。あれこれと説明する手間が省けて助かる」

「用件を言いなさい。保護を願い出るなら、なんとかできなくもないわよ」

「フフッ……そんなことしたらラボに連れて行かれて解体されるのがオチでしょ」

「あなたを守れる知り合いが――いえ、友達がいるわ」


 真夏ならば機械人形マシンドールを保護するなどという、とんでもない願いでも普通に聞いてくれるはずだ。


「友達か……。まあ、こっちに一年もいれば友達くらいできて当然でしょうね」


 やるせなくつぶやく。それは奇妙に感情を感じさせる声だったため、華実は訝しげに眉根を寄せた。


「残念だけど機械であるわたしには仲間を裏切るなんていう愚かな機能は備わっていないのよ。あなたと違ってね」

「裏切りか……。つまり、それがセレナイトの考えなのね。わたしが故郷を裏切ったと」


 華実のこの言葉にダリアは意外な答えを返してくる。


「いいえ。彼女はむしろ、あなたに対する罪の意識でいっぱいよ」

「……どういうこと?」

「カルネアデスの船板――なんて言葉で、自分の所業を正当化したりはしていないってことよ。自分が悪だという自覚は最初からある。それでも、守りたいもののためには立ち止まれないことってあるでしょ」


 ダリアの言葉に、華実は生前の記憶を繰り寄せてセレナイトについて思い出そうとしてみた。それには確かに人格が宿っていたが、どのような人格を与えたのか、どのような会話を交わしたのか、どうしても思い出せない。


「さて、お喋りはここまで」


 ダリアは声のトーンとともに口調を変えて告げてくる。


「この間の決着をつけようじゃないか。もちろん一騎打ちでな」

「ずいぶんと図々しいことを言うのね。仲間を失って孤立無援といったところなのでしょうけど、こっちにはあなたの都合につき合う義理なんてないわ」

「お前の男を預かってると言ったらどうだ?」


 思いも寄らぬ言葉に血の気が引く。


「あなた、どうして……」

「たまたま拾ったのだ。お前がいらぬと言うのであれば、迎えが到着次第、こいつの身体もセレナイトに持ち帰ることになるが」

「ふざないで! 和人に指一本でもふれたら赦さないから!」

「なるほど、和人というのだな、この坊やは。残念ながら、すでにあちこちふれた後だが、少なくともまだ生きてはいるぞ」


 ふざけた物言いに今度は怒りで頬が紅潮するのを感じた。

 一方的にダリアが告げてくる。


「町外れの廃工場で待っている。この坊やが言うにはとの思い出の場所らしいから、お前なら判るだろ? 彼女のすべてを奪ったお前ならばな」


 それで電話は切れた。

 華実は受話器を置くと、階段を駆け上って自室に飛び込み、金色の刀とマントを手にとって、今度は大慌て手階段を駆け下りる。

 慌ただしい娘を見て母親が怪訝な顔を向けてきた。


「なんだい、そんなに慌てて? なにやら大きな声を出してたみたいだけど……」


 電話の内容を聞かれたのかと一瞬焦るが、どうやら洗い物でもしていたようで、少なくとも詳細は聞いていないらしい。


「友達の呼び出しなの。わたしの家が一番遠いのに、ビリは罰ゲームとか勝手なこと言うから、思わず怒鳴っちゃった」


 笑顔で誤魔化すと、とりあえずは納得してくれたようだ。


「それじゃあ、急がないといけないから」

「あんまり慌てちゃ危ないよ。ただでさえ、うちの前の下り坂はスピードが出るんだから、安全第一で行かないと」

「はーい」


 わざとらしくガッカリしたように肩を落とすと、華実は努めて普通の動作で玄関の扉を開けた。


「それじゃあ、安全運転で行ってきます」

「ああ、くれぐれも車には気をつけてね」


 華実は手を振ってドアを閉じると軽く深呼吸して軽く身なりを整えた。


「ありがとう、母さん。お陰で少し冷静になれた」


 戦いに赴くのに頭に血が上っていては危険なことこの上ない。

 自転車を出して跨がるとマントを身に纏って刀は背中に取り付ける。

 夏の陽射しが降り注ぎ、気温はすでに三十度を超えているが、このマントには耐熱効果もあり羽織っている方が涼しいくらいだ。

 しかも人の認知を狂わせることで見えているのに華実のことを気にしなくなるという便利な機能もある。

 見えていないわけではないので、ぶつかりそうになれば当然のように人は身をかわすが、たとえ武器を持っていようが、返り血で血塗れになっていようが、そのこと自体は誰も気に留めなくなり、知り合いでさえ、それを着ているのが華実であることに気づかなくなるのだ。

 問題はダリアに言われたとおり、ひとりで乗り込むかどうかだ。

 以前の華実ならば当然、なにも考えずにひとりで突っ込んだところだが、今の華実は自分の命の重さを知っている。

 それでもやはり――


「ごめん、みんな」


 和人の命と引き替えにはできない。

 決断を下し、華実はペダルを漕ぎ始めた。


 地球防衛部の紺のマントは前述した理由で隠密性に優れているのだが、その効果が及ばないケースも存在する。

 まずはある程度相手に強い魔力がある場合。直接敵対していて、特別強く認識されている場合。そして、極めて親しい間柄の場合だ。

 実家の果実店で手伝いをしていた武蔵幸美は、商店街を猛スピードで走り抜けていく自転車を目にして眉をひそめた。


「なにかしら? 胸騒ぎがするわね」


 つぶやくと、手に抱えていたスイカを、たまたま近くに居た客に押しつけてからガレージへと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る