第66話 逢えて嬉しかった

 陽楠市の片隅に、その廃工場はひっそりと佇んでいた。

 住宅地からはやや離れた場所に位置しており、裏には小高い山がある。

 以前はごく普通に操業していて車の出入りもあったはずだが、今は見るからに見窄らしく、外装は剥がれ、窓ガラスのほとんどが割れて、なにもかもが錆びているように見えた。

 子供の頃は、この近くの空き地で何度も遊んだものだが、そこももう草木に埋もれてみる影もない。

 暑い夏の陽射しにさらされながら、改めて景色を見回した和人は、寂しさを感じて肩を落とした。


「本当になにもかもが変わっていくんだな。人も、物も、場所も……」


 達観するほどの年頃ではないことは自分でも理解しているが、若者だってそんな気持ちになる時はある。

 こんな場所に人が近づくとも思えなかったが、念のために周囲に人影がないことを確認してから、壊れた門を踏み越えて工場の敷地に入っていった。

 放置されたドラム缶や曲がりくねった配管。そして高々と延びた塔のような設備などが目につくが、実際のところここがなんの工場だったのか和人は覚えていない。

 ただ、子供達が空き地で遊んでいると、時々作業服を着たオジサンが出てきて、お菓子をくれたことを覚えている。


「あいつが、これを見たらなんて言うかな……」


 思い出を共有しているはずの少女の顔を思い浮かべながら、ぼんやりとつぶやく。

 ただ、立ち止まって思い出に浸るには今の季節は暑すぎた。

 流れる汗を腕でぬぐいながら大きな倉庫に移動すると、やはり壊れたままの扉を抜けて中に入る。

 広々としたその空間は染み出した水か油かが点在していたものの、意外に小ぎれいで、天井に設けられていた窓のお陰か、想像していたよりもずっと明るかった。

 しかも、どこからか風が上手い具合に吹き込んできて、暑さも十分に凌げそうだ。


「やっぱ夜とは、ぜんぜん違うな」

「当たり前だ」


 声がした方に顔を向けると、壁にもたれかかるようにして座り込んだダリアが、不機嫌そうにこちらを睨みつけている。

 なんとなく見覚えのある表情に和人は苦笑した。


「なにがおかしい?」


 今度は不思議そうに問われて、和人は歩み寄りながら説明する。


「幼なじみの女の子が、よくそんな顔をしていたからさ」

「恋人か?」

「いや、ふられたよ。なんかあいつ、急に変わっちまってさ」


 和人がやるせなく笑うと、ダリアは神妙な顔でうつむいた。


「そうか……」


 どうやら同情してくれているようだ。

 本人はロボットだと主張していたが、少なくとも知性は人間並みかそれ以上で、間違いなく心を備えている。


「身体の方は大丈夫か?」

「ナノマシンによる自己修復が働いているからな。プロテクター以外は、すぐに元通りになる」

「うーん……よく分からないけど、とにかく凄いってことだな」

「頼んだ物は手に入ったか?」

「あ、ああ」


 和人はカバンを開けて中から布の塊を取り出してくる。


「マントなんて、どこに行ったら手に入るか分かんなかったから、演劇部の後輩に無理を言って朝一で借りてきた」


 広げるとそれは吸血鬼が着そうな赤い裏地をした黒いマントだった。

 満足げにダリアがうなずく。


「いいセンスだ」

「だろ? 君に似合いそうだ」


 ダリアが全身に身につけているプロテクターが黒だったために、そう言ってみたのだが、満足げなその様子を見ると、実際に気に入ってもらえたようだった。

 それにしても、こうして日中の光の下で見る限り、ダリアは黒いプロテクターを纏っているだけの人間のようにも見える。

 昨夜、斬り裂かれた肩口や大腿部の下から金属のフレームが露出していなければ、ロボットだなどという話は、とても信じられなかったに違いない。

 幸い、今はその裂傷もナノマシンとやらで塞がり、表情も昨日に比べて落ち着いたものになっている。


「なぜ、助けた?」


 ふいに訊かれて和人は困った顔をした。とくに理由など考えていない。

 仕方なく腕を組んで首を傾げる。


「なんでだろ?」


 真顔で言うと、ダリアが噴き出した。


「相変わらず、お前はバカだな」

「え?」


 まるで以前から自分を知っているかのような言葉だ。

 和人が見つめる前でダリアが頭部を保護するヘッドギアを外すと紫がかった銀髪がふわりと広がった。軽く頭を振って髪を馴染ませると赤い瞳で穏やかに見つめ返してくる。

 その顔は和人がよく知る人物に似ていた。いや、顔だけではなく、その声もだ。

 ゴクリと唾を飲み込んで、恐る恐るその名を口にする。


「華実……?」


 ダリアは黙ったまま眩しげに目を細めると、混乱して立ち尽くす和人に向かって穏やかに話しかけてきた。


「わたしは彼女をモデルに造られた特殊な機種だ」


 それは華実本人であることを否定する言葉だったが、同時に新たな疑問が生まれる。


「華実をモデルって……なんで、そんな?」


 これには答えず、ダリアは視線を宙に向けた。


「わたしは彼女の敵だ」

「て、敵って……」

「異世界からやって来た侵略者。わたしはその尖兵だ」


 あまりにも現実離れした言葉を並べてくるが、そもそもそれを言い出せば、ロボットなどというダリアの存在自体が和人の知る常識の外にある。


「お前の華実は我らの計画を阻止するために仲間を得て、わたし達と戦っている。お前がふられたのは、その戦いにお前を巻き込まないためだろう」


 あくまでも穏やかに告げてくるダリア。その言葉を否定しようと和人は怯えたように首を左右に振る。


「い、いや、あり得ないだろ。確かにあいつは正義の味方なんてものに憧れていたけど、実際にはただの女子高生だ!」

「和人。この世にはお前の想像を絶する術理が厳として存在するんだ。彼女はそれを手にして本物の正義の味方になった」


 混乱する和人の前でダリアはヘッドギアをつけ直して、ゆっくりと立ち上がる。各部に残されていたプロテクターが冷ややかな金属音を響かせた。

 立ち尽くす和人の手から、そっとマントをつかみ取り、翻すようにして身体を覆う。


「似合うか? 和人」


 面白がるように訊いてくるダリアの姿に既視感を感じながら、なんとか首を縦に振ると彼女は嬉しそうに笑った。


「そうか、ありがとう」


 それだけ告げると背を向けて立ち去ろうとする。


「ま、待てよ!」


 拳を握りこんで勇気を奮い立たせると和人はダリアに向けて声を荒げる。


「どこへ行く気だ!? お前が華実の敵だって言うなら、僕にだって考えが……」


 言葉が尻すぼみとなって消えたのはダリアが嬉しそうな顔で和人を見つめていたからだ。

 そのままの表情で歩み寄ると和人の胸に軽く手を触れて囁く。


「ありがとう。お前に逢えて嬉しかった」

「お前は……!」


 声を上げかけた瞬間、ビリッとした衝撃が身体に走り、和人の意識は闇の中へと落ちていった。

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