第64話 静かな夜
咲梨が帰宅した時、彼女の大切な
時計の針は0時を少し回っており、子供が起きて待つには遅すぎる時間だ。
テーブルの上にはメモが置かれていて、そこには“なにか大切なご用なのだろうけど、あんまりムリしないでね”と書かれていた。
不可抗力とはいえ、心配をかけてしまったことを実感して溜息を吐く。
本当に賢くてやさしい少年だ。自分に懐いてくれている彼が、それでも無理に起きて待とうとしなかったことさえ、義理の姉によけいな気を使わせまいとする配慮であることに咲梨は気づいていた。
愛しい少年の寝顔をそっと盗み見ながら咲梨は思う。
たとえ、どんなに遠く離れても、自分は必ずここに帰ってくる。
仮にそれが別の世界の彼方だったとしても、咲梨がこの少年を見失うことは決してないのだから。
そっと扉を閉じて階段を降りようとした咲梨は、その途中で足を止めた。
真剣な顔をして黙考する。
この事件の裏側にあるもの――まさかの可能性に思い至ったためだ。
「もし、そうだとしたら、この事件の狙いは……」
険しい顔をして窓の外に顔を向ける。
そこには刃物のように尖った三日月が、静かに浮かんでいた。
咲梨が三日月を見上げていた丁度その頃、火惟もまた自室のベッドに寝転がって、それを見上げていた。
希枝を家まで送ったあと、別れ際に聞いた彼女の言葉を思い出す。
「火惟は怖くないの? あんなモノまで出てきて……」
「泉川は怖いのか?」
「ええ……。わたしはアレが都市を蹂躙する様を幾度となく見たことがあるから……」
「そうか……。まあ、そんなに苦手なら無理しなくても……」
「それはダメ。わたしは当事者だから、逃げられない。でも、火惟は……」
最後の言葉が引っかかっていた。
「俺だけが部外者か……。まあ、一般人だもんな」
苦笑して寝返りを打つ。
考えてみれば、あれほど多くの命が失われた現場を見たのは初めてだ。ショックは大きかったし、怖さもある。
だが、だからこそ立ち向かわなければならないのだ。
あの日交わした親友との約束のために。
異世界の脅威にさらされる人々のために。
そして怖くてもなお立ち向かおうとしている仲間のために。
気がつけば再会した初恋の少女のことよりも、希枝のことばかり考えている自分に気づく。
冷静に分析してみても恋愛感情ではない気がしたが、それでも希枝は火惟にとって、かけがえのない存在となっていた。
少女坂真夏はマンションの四階にある自室のベランダから星空を眺めていた。
隣人達はすでに眠りに就いたのか、明かりが漏れる窓は少なく、自室の電気も消してあるため、星を観るにはちょうど良い環境だ。
ただし、満天に浮かんだ星の群れは文句なく美しいが、彼女が本当にそれを見つめているのかどうかは判らない。
あるいは過ぎ去りし日々に思いを馳せているのか。今も心に住まう誰かに語りかけているのか――それは彼女をよく知る人間でさえ、判別がつかないだろう。
先ほどからゆるやかな風が長い髪を揺らし、繰り返し頬をくすぐってはいるが、気にしてはいないようだ。
やさしげな横顔は淋しげでもあるが、悲嘆には暮れていない。
透き通った藍色の瞳は未来を夢見てはいないが、
自らを悪夢と称し、実際にそれに相応しい力を持つこの少女が本当は何者なのか――おそらくそれは本人にこそ解らないことだろう。
だが、実のところそんなことは誰しも同じことだ。
誰も彼もが自分を知らないまま、漠然とした今を生きている。それを理解しているから真夏もまた、それを気にすることはないのだろう。
自分の力に戸惑うこともなく、立場に気負うこともなく、ただ当たり前のように生きていく。
そこに守るべきものがあれば、それを害するものへの悪夢となって剣を振るう。
冷徹に善悪を切り分けながら、見返りも求めなければ、自分を正義と定義するために言い訳染みた理由づけを用意することもない。
いつだって、ごく自然に振る舞ってきたし、そんな彼女を涼香たちは愛していた。そして、そんなふうに自分を愛してくれた人々を真夏も愛している。
たとえ幾星霜の年月が流れたとしても真夏が忘れることはないだろう。
胸の奥に秘めた熱い想いは、あの日、庭の片隅に咲き誇っていた赤い花のようなに、今も変わることなく燃え続けている。
過去は取り戻せず、二度とその手にふれることなく、声すら届かなくとも関係ない。
たとえ手の中に残らなくても、すべてが消えてしまったわけではない。
真夏はそのことを誰よりもよく知っていた。
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