第54話 異界への門
敵が動いたのは八月に入ってすぐの夜だ。
華実がそれを感知したのは、日中の修行でかいた汗をシャワーで流し、自室で涼んでいた時だった。
慌てて咲梨に電話かけて子細を伝えると、母親には友達と星を観てくると伝えて家を出る。最近は御無沙汰していたが、少し前まで天体観測にはまっていると話してあったこともあって、気をつけるようにと念を押されただけで面倒な詮索や追求はなかった。
一安心だが、不自然さを感じなくもない。本来の華実は子供の頃から破天荒な子供だったが、年頃になった今でも夜歩きをさせることに抵抗はないのだろうか。
少しばかり気になったが、今は目の前の問題に集中するべきだ。
ダリアと
咲梨がそれを解析して異界の月面都市「セレナイト」への道を開けるようになれば、神隠しの源泉を止めることが可能になる。
もし咲梨の力を以てしても、ゲートが解析困難なものだった場合は……。
いや、最初からネガティブに考えても始まらない。その場合はその場合で、またみんなで話し合うだけだ。今の華実はひとりではない。それを忘れてはいけなかった。
(まずは行動よ!)
胸の裡で気合いを入れると、自転車に跨がって全力でペダルを踏みしめる。
気温はさほどでもないが、夏の夜は湿度が高い。こうして下り坂で風を受けている間はともかく、止まればすぐに汗だくになりそうだった。帰りの上り坂のことなどはもちろん考えたくもない。
この辺りは比較的民家が多いが田舎町の夜は静かなものだ。虫の声は絶えず響き、時折どこかの飼い犬に吠えられるが、通行人や車とすれ違うこともない。
だからというわけでもないが、このとき華実は自分の姿を盗み見る視線に、まるで気づいていなかった。
神隠しの予兆を感知してからゲートが開くまでの時間はおよそ三十分。
今回はやや距離が遠く、場所が山の上のため、自転車で間に合うかどうか不安だった。
しかし、華実が集合場所に辿り着いたとき、そこには見慣れないマイクロバスが待ち受けていた。
「こちらです」
北斗が手招きしていることに気づいて、自転車を降りると駆け寄って乗車する。
車内にはすでに全員が揃っており、華実が乗り込むとバスはすぐに走り出した。
「この車は?」
「地球防衛マシン一号だ」
真顔で答える千里は無視して運転席を覗き込むと、ハンドルを握っているのは円卓の騎士マーティンだった。
騎士服にマントを着て羽根付き帽子を被ったままなので、どことなくシュールだが、彼は真剣な表情でハンドルを握っている。
「すまない。情報が師に漏れたようだ」
マーティンの言葉に華実は驚いた。
「師って、レジナルドに?」
「たぶん、さっきの電話を盗聴されたのよ」
苦々しく答えたのは咲梨だ。
「師は先行して目的地に向かったようだ。おそらくはヘリを使って」
マーティンの言葉を聞いて華実は頭を抱えた。彼らが
「あなたはどうして残っていたの?」
「私はすでに師とは別行動を取っている。協力は要請してあったのだが、やはり君らに肩入れしているのが気にくわなかったらしい」
それを聞いて火惟は呆れ顔を浮かべた。
「あのオッサンらしいぜ」
千里はうなずいた上で、マーティンに視線を向けた。
「でも、マーティンは、わたし達のために地球防衛マシン一号を用意してくれた。いい人だ」
「いや、私はかつて君を捕らえようとした愚か者だ。今さらではあるがすまなかった」
「いいよ。もう過ぎたことだし」
「やさしいな、君は」
答えるマーティンの微笑みは、どこか悔恨を感じさせるものだった。
華実は思う。考えてみれば奇妙な縁だ。かつての事件に関わった者たち。真夏と千里、マーティン、そして希枝。その後バラバラに生きてきた者たちが、引き寄せられるかのように同じ世界に端を発した事件に関わっている。さらに真夏と火惟、真夏と北斗にも接点があった。もしかしたら気づいていないだけで他にもそういう繋がりがあるのかもしれない。
考えてみれば華実と咲梨を出会わせてくれたのも真夏だった。
(まるで彼女が運命の糸を手繰り寄せているみたいね)
錯覚なのは判っているが、そんなふうに思えてしまう。
車内に姿を捜してそちらに視線を向けると、真夏は神妙な顔をして窓の外に浮かんだ三日月を眺めていた。
いつもとはどこか様子が異なる気がしたが、華実の視線に気づくと見慣れたやさしい笑みを返してくる。
(これも考えすぎか……)
そう思って視線を戻すと北斗が意味ありげな目を彼女に向けていることに気がついた。
気にはなったが、そのタイミングで火惟が声をあげる。
「光だ」
彼の視線を追って窓の外に目を向けると、目的地の辺りでなにかが光り、次いで爆音が響いてきた。
「すでに戦いが始まっているようですね」
北斗の言葉を聞いて、マーティンが言った。
「ちょうどいい」
ハンドルを切ってマイクロバスを横道に入れる。
「どうする気?」
咲梨の質問にマーティンは、ほくそ笑んだ。
「迂回する。重要なのはゲートの発見だ。戦いなど師に任せておけばいい」
「なるほど」
楽しげな顔でうなずく咲梨。
「お主も悪よのぉ」
千里に言われてマーティンは苦笑した。
横道とは言ってもアスファルトで舗装された車道で道幅こそ細いがマイクロバスが走る分には問題ない。マーティンはライトを消しているが、夜目が利くのか、それ以外のスキルか、華実には判断できなかったが、まるでスピードを落とすことなく車を走らせ続けた。
そのまま戦いの場から小さな森一つ挟んだ辺りまで進むと、そこに車を止める。
扉を開けて外に出ると、山の上の気温は麓とは違って肌寒いくらいに冷えていた。
地球防衛部員は、それぞれに武器を手にしてトレードマークでもある紺のマントを羽織る。
真夏は自らの刀である聖刀玄双を。千里は部室の倉庫から金色の大鎌を持ってきていおり、ふたりとも咲梨から手渡された紺のマントを素直に身に纏った。
「さて、問題はゲートがどこに開いたかだけど……」
周囲を見回す咲梨に真夏が手招きをする。
「こっちよ」
「分かるの?」
驚く一同に真夏は黙ったままうなずくと、そのまま背を向けて先頭を歩き始めた。
真夏のその姿に華実はやはり違和感を感じる。どこか元気がない気がするのだ。彼女を見つめるその視線に気づいたのだろう。北斗が歩み寄って華実に耳打ちした。
「今日は真夏お嬢さんの誕生日なんです」
華実は静かに息を呑んだ。そして納得する。去年までなら真夏はこの日、家族や大勢の友人に囲まれて過ごしていたはずだ。普段どれほど気丈に振る舞っていても、やはり彼女もつらいのだろう。
(集中しよう。こんなところでヘマをして彼女の傷になるわけにはいかない)
もはや華実も差し違えての勝利など望みはしない。
真夏が自分を大事に思ってくれているのならば、たとえ他の誰に恨まれようと生き続ける。そんな決意をするほどに、いつの間にか彼女に惹かれていた。
先導する真夏に従って一同は暗い木々の間を無言のまま歩き続ける。
レジナルド達の戦いの音は、ここまで響いているが、それ以外は静かなものだ。この季節、本来なら虫たちがうるさいほど声を響かせているはずだが、やはりこの山に立ち込めた殺気を感じ取って息を殺しているのだろう。
見上げれば木々の隙間から尖った三日月が顔を覗かせている。この世界の月に恨みはないが、華実はなんとなく月そのものが好きになれない。セレナイトに乗り込み、神隠しを終わらせることができたならば、いつかはこれを素直に美しいと呼べるのだろうか。
考え事をしていると前を歩くマーティンが真夏に囁きかけるのが聞こえてきた。
「君の
真夏は答えないが、マーティンは気にせず囁き続ける。
「これは推測だが、君の力はもっと身も蓋もなく空間に作用するものではないか? その感覚ゆえに君は今、空間の異常を感じ取って、そこを目指しているのだ」
一瞥したものの真夏は答えることなく歩き続けた。マーティンもそれ以上確かめようとすることなく歩き続ける。
そのまましばらく進んだところで、ふいに真夏が口を開いた。
「能力で感知しているのはあたっているわ」
「そうか」
マーティンが答えて、あとはそのまま進んでいく。
このふたりは、かつて一戦交えた間柄だが、今はお互いそれに拘泥する様子は見られない。
レジナルドやその部下達を見ていると、円卓の騎士は高慢で面子に拘るイメージがあるのだが、やはり人それぞれということなのだろう。
(人それぞれか……)
華実はもう一度月を見上げた。
この世界の人々がディストピアと呼ぶ異世界。華実の故郷。そこで暮らす人々は誰も彼も救いようのない愚か者にしか思えなかった。
仮にその判断が決めつけや傲慢な思い込みでなかったとしても、華実がその世界で出会った人間など人類全体から見れば一握りだ。
(どこかにはいたのかしら? 出会えて良かったと思えるような人間が……)
だとしてもすべては後の祭りだ。華実は世界を見限ってセレナイトシステムを完成させ、自分も生者であることを捨てて、そこに跳び込んだ。
それから間もなく世界には滅びの使者が降り立ち、人類は滅びの坂道を転がり落ちていった。
(まだ生き残っている人間はいるのかしら……?)
セレナイトに人間が通れるゲートを開く力があるならば、生き残りをこちらの世界に移住させることも可能に思えるが……。
「きゃっ」
考え事をしていた華実は、いつの間にか立ち止まっていた火惟の背中にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
慌ててあやまったが、火惟は頭上を見上げたままポカンとした顔を浮かべていた。見れば他の者たちも同じように上を見上げている。
(ゲート!)
当然の答えに気づいて華実が頭上を見上げると、そこに虹色の光彩に包まれた奇妙な大穴が開いていた。
それはまさしく空間に開いた穴で側面からでは観測できない。おそらく頭上からでも見えはしないだろう。確認できるのは常に一方向で裏はない。そのため、これまで容易には見つからなかったのだ。
「これがゲート? ……しかし、これは?」
眉をひそめる北斗の隣で、咲梨が深刻な顔でうなずいた。
「ええ、これは科学の産物じゃない。間違いなく魔法によるものよ」
「魔法!?」
驚きに華実が目を見開く。ディストピアに魔法使いなど存在しない。少なくとも華実にとって、それは常識だった。
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