第53話 ブーゲンビリア
すべてを失った――度々そう評される真夏だが、実際にはすべての親類縁者を失ったわけではない。そもそも立場上、人との繋がりが多すぎるため、あの日も全員がそこに集まっていたわけではなかった。
彼女の祖父、秋塚
恒覇創幻流は対人ばかりではなく、神秘の力を操る者や
同様の流派は世界中にいくつも存在しているが、恒覇創幻流は、その中でも最高峰とされていて、時には円卓十二騎士が教えを請いに来ることもあった。
春生はこの流派の宗家で、千里の義父でもある。
裏社会では剣聖の名で呼ばれていて、その実力は円卓十二騎士に匹敵するという噂まであるが、春生自身はこれを否定している。
ただし、その内容は――
「匹敵ではない。遥かに凌駕しておるわ」
とのことで、中には思い上がった年寄りと嘲る者もいるが、当の十二騎士達はこれを否定していない。
実際、もし一年前の事件の折、彼が往時市を留守にしていなければ、すべてが変わっていた可能性が高い。
不可抗力ではあるが、春生はその事実を苦々しく思っていて、深すぎる悲しみを抱くことになった孫娘に対して深い罪悪感を抱えていた。
もっとも、その孫娘は再会した時も泣きついてくることなどなく、以前と変わらぬ振る舞いを見せていた。
それがなおさらつらい。
真夏は涙ひとつ見せることがないが、あの日以来、あそこで失われた人々のことを話題にしようとしない。その事実が彼女の胸に刻まれた傷の深さを証明していた。
いったいなにを支えにして踏み留まっているのかは春生にも判らないが、真夏は今も春生の目の前で明るく笑っている。門下生が拾ってきた犬の頭を嬉しそうに撫でていた。
「柴犬っぽいけど、あなたは雑種ね。やっぱり犬は雑種がいいわね。雑種最高」
血統を重んじる東条家を否定するかのような物言いをする孫に苦笑しつつ、春生は努めて明るい声をかけた。
「どうじゃ? 千里とは上手くやれておるか?」
「うん。あの娘はやさしくて良い子よ。おまけに面白いし」
「そうか、それはなによりじゃな」
うんうんと、うなずきを繰り返す。
春生としては孫達と、ここで一緒に暮らしたいのだが、真夏は千里を普通の社会に馴染ませたいからと、それを断って陽楠市のマンションで千里とふたりで暮らしている。
もちろん春生は即座に手を回してマンションの周囲の部屋や近隣の家に東条家のエージェントを送り込んで、密かに護衛するように命じたのだが、即日バレて護衛は断られた。それでも入居したエージェントを追い払うまではしなかったので、せめて自宅に居る時だけでも厳重に警備せよと命じてある。
おそらくは真夏も祖父の気持ちを汲んで、その程度は了承してくれたのだろう。
「ところで、顔を見せに来てくれたのは嬉しいが、もしかしてなにか別の用事もあるではないか?」
昨今、真夏が妙な事件に首を突っ込んでいることを春生はもちろん把握している。それでも知らぬふりができているのは彼女の実力を知っているからだが、それでも祖父としては理屈抜きで心配になるものだ。
真夏は立ち上がって名残惜しそうにしている犬から離れると、春生の立つ縁側まで歩いて、そこに腰を下ろした。
広々とした純和風の庭園は、かつての総本山を思い起こさせるが、それも真夏がここで暮らすことを拒んだ理由なのかもしれない。
「今日はお爺ちゃんの顔を見に来ただけです」
ニコニコと表現したくなる笑顔を見せると、真夏はおどけた仕草で付け足した。
「急に思いついたから、千里は一緒じゃないけどね。あの娘ったら、最近は社会に馴染む訓練とか言って、ひとりでよく出歩いてるのよ」
「ほほう、それは感心じゃな」
「まあね。でも、車を撥ねたりしないか、ちょっと心配だわ。あの娘、ぼけーっとしてるからね」
「普通逆じゃろ」
呆れたように言ったが、戦闘用に造られた人造人間であれば、その程度で傷を負わないのは当然だ。もっとも、千里以外の人造人間であれば、そもそも車に撥ねられるなどというヘマはしないだろう。
しかし千里は普段から物珍しさに気を取られて電柱にぶつかるなど意外にドジだ。
それを思えば事故は心配だが、撥ねられても目を回す程度で、間違っても相手の車を撥ね飛ばすことはないだろう。本人にその気があれば話は別だが、意味もなくそんなことをする少女ではない。
「まあ、良い。せっかくだし、スイカでも食っていけ。よく冷えてて美味いぞ」
「うん。ありがとう、お爺ちゃん」
明るく笑う孫娘にうなずきを返してから、近くにいた数人の門下生に声をかけて、スイカを持ってくるように頼む。
せっかくだし、今日は全員に振る舞ってやると告げると、彼らは足取りも軽く廊下を駆けていった。
その後ろ姿を真夏は笑顔で見送っていたが、一瞬そこに隠しきれない翳りが浮かんだ。おそらくは失われた門人達のことを思い出したのだろう。
痛ましい想いを感じる春生だったが、ここで自分まで沈んだ顔を見せれば、孫の負担が増すばかりだ。
「どうじゃ、真夏? この庭、あの辺りが少し寂しいと思わぬか? せっかくじゃし、なにか植えようと思うのじゃが」
話題を転じるために適当に振った話だが、真夏の返事は早かった。
「ブーゲンビリア」
「うん?」
うろ覚えではあったが春生は小首を傾げる。
「あれは鉢に植えるものではないのか?」
「地植えもできるわよ。あそこは日当たりも良いし、ちょうどいいんじゃないかしら?」
「そうか。では、植木屋に相談するとしよう」
うなずく春生の隣で真夏はまだなにもない庭の一角をジッと見つめている。その眼差しがどこか遠くを見ているように見えたことで、春生もようやくその木について思い出した。
それは、かつての本山にも植えてあった赤い花が咲く木だ。
当時も真夏にせがまれて植えたはずだが、一年前の戦いで見る影もなく消し飛ばされてしまった。
思えば、真夏はその木の側で友人達とよく話し込んでいた。
気丈に振る舞っていても、やはり淋しいのだろう。
少しでも慰めになればよいと考え、春生は植木屋に話を通すべく、早速電話に向かった。
春生がその場を離れるのと入れ替わりに真夏に近づく者がいた。
東条家の中でも呪術を専門とする神庭一族のひとり、神庭殊那だ。
神庭家最強の術者である彼女は、真夏直属のエージェント、プリンセス・リヴォルヴァーでもある。
常日頃からたおやかな笑みを絶やさぬ大和撫子で、頭の後ろの大きなリボンがトレードマークだ。着物を普段着としていて今も落ち着いた柄のものを身につけている。
ゆっくりと自然な動作で歩み寄ってきた殊那に、真夏は世間話でもするかのように告げた。
「戦力を集めておいて。お爺ちゃんにはまだ気づかれないように」
「かしこまりました」
一礼して立ち去ろうとすると、
「殊那」
と呼び止められる。
「はい?」
「冷えたスイカを持ってきてくれるらしいから、一緒に食べましょ」
もちろん敬愛すべき人物に誘われて断る理由などあるはずがなかった。
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