第52話 キャベツに恋する男

 武蔵幸美の実家は商店街の果物屋だ。野菜も置いてあるが決して八百屋ではない。

 そう主張するのは家主の娘――つまり幸美だけだが、八百屋と呼ぶと彼女が怒り狂うため、彼女の知り合いはみんな果物屋と呼ぶように気をつけていた。

 店名は武蔵果実店。一階のおよそ半分が店舗となっていて彼女の部屋は二階にある。

 通りに面した自室の窓から幸美が不審な人物を見つけたのは正午を少し回ったところだった。

 素早く一階に降りた幸美は裏口から外に出ると、ドラマのスパイのように壁に沿うように移動して、道の角に設置されている電話ボックスの影から相手を観察してみた。

 性別は男だ。年の頃は高校生程度。幸美と同じか一つ上くらいか。どことなく見覚えがある気がするが、よく思い出せない。


(優男ふうのイケメンだわ)


 千里に習った言葉を使ってみたが、この時代の女子高生なら、普通はハンサムと形容するところだろう。

 実際、女にモテそうな男ではあった。色白で、ややなよっとした感じがもするが、見た目の印象よりは身体を鍛えている気がする。


(どうやらカタギでは無さそうね)


 とくに根拠もなく決めつける。その方が面白そうだからだ。


(間違いなくスパイだわ。うちの機密情報を盗みに来たのね。なんて卑劣な奴)


 おそらく仕入れ先や顧客リスト。それに売り上げ情報などを盗みに来たのだろう。

 勝手に決めつけて盛り上がっているが、もちろんそんなはずはない。

 ただ、その不審者は武蔵果実店の周りを無駄に行ったり来たりとうろうろして、こっそり中を覗いては大げさに溜息を吐いたりと、あからさまに不自然ではあった。

 それを見て幸美はほくそ笑む。


「ふふ……動きが素人ね、


 つぶやいたところで素に戻って顔をしかめた。無意識に相手の名前を口に出したことで、さすがにそれが誰か思い出したのだ。


「北高のエースじゃない……」


 名前は笹木和人。地区予選で陽楠学園の野球部が対戦した相手だ。野球にはこれといって興味のない幸美だが、クラスメイトのつき合いで応援に行ったので覚えていた。


「うちの野球部はあいつにノーヒットノーランをやられたのよね。色白のエースなんて練習不足のザコだと思ってたのに」


 風の噂に聞いた話だと、その後、北高も二回戦であっさり負けたらしい。エースは優秀でも打線が貧弱で、味方のエラーからの失点で敗れたのだとか。

 それを聞いたクラスメイトは自分の呪いが通じたと小躍りしていたものだ。神秘の力が実在していると知った今では、あまり笑う気にもなれない話だが。


「けど分かんないわね。その野球部のエースが、なんでうちの店を気にしているのやら?」

「お店のキャベツを狙っているとか?」

「なんでキャベツよ? 狙うなら果物でしょ……」


 言い返してから、ギョッとして振り向く。振り向く以前に声から、分かっていた気もするが、いつの間にか幸美の背後に秋塚千里が立っていた。

 いつもどおりのボーッとした顔で和人を眺めている。

 ひとまず視線をそちらに戻すと、幸美は千里の意見について考えてみた。


「仮に商品を狙っているのだとしたら、万引き犯か……」

「そうとは限らない」


 千里はやや真剣な顔をしてみせると、真顔で続ける。


「彼はキャベツに恋をしたのかもしれない」

「キ、キャベツに!?」

「そう、ふぉーりんらぶ」

「それ、色んな意味でヤバくない!?」

「そして彼女キャベツをさらって逃げる」

「駆け落ち!? いや、誘拐かしら!? けど、それってどっちみち万引きなんじゃ!?」

「身請け料が用意できなかったんだね、可哀想に」

「どんだけ貧乏なのよ!?」


 捲し立てるようにツッコミを続けた幸美だったが、もちろん千里の話は真に受けていない。だいたい見るからにモテそうな男だ。彼女のひとりやふたりはいそうな気がする。いや、ふたりもいたら問題だが。

 そんなことを考えていると、背後から突然声をかけられて、幸美は飛び上がりかけた。


「君たち、華実の友達だよな?」


 今度の声には聞き覚えがないが、誰のものかは見当がつく。慌てて振り向けば、そこには思ったとおりの人物が立っていた。


「キ、キャベツに恋する男!」


 言われた男は、しばしポカンとした顔をしたあと、顔を真っ赤にして叫んだ。


「誰がだ!?」


 その肩を千里が軽く叩く。


「そんなに照れるな。愛のカタチは人それぞれだ。通報したけど強く生きろ」

「だから違う! っていうか通報ってなんだよ!? だいたい僕が好きなのは――」

「千木良さんね」


 幸美に指摘されてキャベツに恋する男――もとい、笹木和人は黙り込んだ。

 赤面しているが今度は怒りではなくて気恥ずかしさのためだろう。それでも、やや躊躇い気味に訊ねてくる。


「あいつがどこに行っているのか知らないか?」

「知っていたとしても、おいそれと教えられるわけないでしょ」


 幸美が答え、千里がそれに続ける。


「ストーカーかも知れないしな」

「ストーカー?」


 和人には意味がピンと来なかったらしい。それも当然だ。それは、この世界ではまだ一般的な表現ではない。


「変態とも言う」

「僕は変態じゃない!」

「それじゃあ、千木良さんとのご関係は?」


 今度は幸美が訊いた。


「僕はあいつの恋人だ!」


 和人の答えに幸美は目を丸くしたが、千里は平然としている。もっとも千里の場合少しくらい驚いていても表情が動かないことが多い。一方、幸美は普通に驚いたものの、すぐに疑念の眼差しを向けた。


「本当に?」


 突きつけられた言葉に和人が視線を逸らす。そっぽを向いたまま言い訳するようにつぶやいた。


「も、元だけど、つき合っていたのは本当だ」


 答えを聞いて幸美がさらに追求する。


「つまり、フラれた後も未練たらたらで後をつけ回していると?」

「違う! 僕はあいつが心配なだけだ!」


 勢いよく叫んだものの、そまあと和人は力を失くしたように頼りない足取りで路地の壁にもたれかかった。


「あいつは急に変わっちまったんだ」


 頭に手を当ててつらそうに語る。


「去年の夏に想いを告げて、やっと恋人になったのに、そのすぐあとに別れ話を切り出されて……」


 華実に元彼がいるなど初耳だったが、そもそも幸美には真偽が分からない。チラリと横目で千里を覗き見ると彼女はめずらしく神妙な表情を浮かべていた。


「フラれたのはショックだったけど、それだけなら僕だって、こんなに心配はしない。だけどあいつは、その後から様子が変なんだ。最初は夜遅くに出歩いたりして、それがなくなると、今度はどこに行っているのか、見かける度に生傷が絶えないって感じで……」


 話を聞いて幸美は考え込んだ。

 華実が夜中に出歩いていたのは、怪事件に首を突っ込んでいるためだ。詳細は教えてもらっていないが、最近生傷が絶えないのは真夏から剣術を習っているからだと聞いてはいる。

 ただし、超常絡みの事件は、訳あって秘密にされている。話したところで和人が信じるはずもないが、そもそも話していいものではない。


「悪いけど、わたしの口からは言えないわ」


 幸美が答えると、和人は目に見えて落胆したようだ。その様子から本気で心配していることは伝わってくるが、知りたいのであれば和人本人が華実に訊くしかないだろう。その上で華実が答えないというのであれば、なおさら幸美が教えるわけにはいかない。

 それでも、少しばかり不安を和らげようと思ったことを口にする。


「千木良さんは真面目で思いやりのあるいい人よ。おかしな遊びなんてしてないから安心してちょうだい」


 幸美の言葉を聞いて、しかし和人は苦い笑みを浮かべる。


「真面目で思いやりがあるか……。だから変なんだよ」


 それだけ言い残すと和人は背を向けて頼りない足取りのまま去っていった。


「どういう意味?」


 幸美は首を傾げたが、千里は神妙な顔をしたまま何も言わなかった。

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