第50話 変化

 小高い山の上に建てられた星見咲梨の住居は秘密の訓練にはもってこいの場所だ。

 正門のある麓から真っ直ぐに伸びた階段を上ると、広々とした庭があって、華実はそこで模擬刀を手に剣の修行に打ち込んでいた。

 真夏は恒覇創幻流の中でも教導剣士と呼ばれる指導の専門家で、人を鍛えるのが非常に上手い。彼女が作成してくれた基礎的なメニューをこなし、剣の型を習い、ときには剣を打ち合うことで、華実の技量は日々確実に高まっていた。

 魂と肉体の不一致による危険性を指摘されて、幻想能力ファンタジアの使用禁止を言い渡された時は、表向きには了解しつつも、内心では従う気などなかった。

 たとえ自分の意思でないとはいえ、華実は他人の身体を奪い去って生き長らえている罪人だ。

 贖うためには元凶を断ったうえで死ぬしかない。敵と差し違えることこそ華実にとっての本望だった。

 しかし、真夏から過去の話を聞かされたあと、華実は北斗から言われたのだ。


「真夏お嬢さんは一度、大切なものの一切を失いました。あなたはそんな真夏お嬢さんが新しく見つけた大切なものの一つです。それを知ってもなお、あなたがお嬢さんの傷になることを選ぶというなら僕はあなたを軽蔑します。そんなことは絶対に赦さない」


 それを告げにきた彼の顔からは普段の落ち着きも余裕も消えていた。

 一年前の事件の真相は彼にとってもそれだけショックだったのだろう。

 もちろん彼は真夏が大切な人々を失ったことは、とっくに知っていたはずだが、その経緯を知ったことで、より実感として痛みを感じ取ったのだ。

 華実にとっても、それは例えようもなく痛ましい話だった。

 これまでは自分が背負ってしまった運命にしか目が行っていなかったが、真夏と千里はそれ以上に重いものを背負って生きている。

 その上で彼女たちはまだ華実の未来まで拾い上げようとしてくれているのだ。

 他人の事情は他人のもの、自分には関係ない。

 華実はずっとそう思って生きてきた。

 しかし、この期に及んで、そんなふうに割り切ることはできない。

 犠牲者のために死を選ぶか、生者のために生き続けるか。

 その二択を並べたとき、華実は気づいた。

 これは究極の選択などではない。

 犠牲者のためという考え方には明らかな欺瞞があるからだ。

 華実の死を望んでいるのは罪の意識から逃げようとしている自分自身で犠牲者ではない。

 分かりきった話だ。死者は何事も喜びはしない。だからこそ死はこんなにも重く悲しいものなのだから。

 対して華実の生を望んでいるのは生きた人間だ。

 喜びもすれば笑いもし、悲しければ涙も流す。しかもその生者は華実にとって大切な友人だった。

 今さら生きることを望むのはおこがましいことだとは思う。

 神隠しの犠牲者となった人々の遺族が事件の真実を知れば、それこそ華実の死を願うかもしれない。

 それでも華実は真夏を傷つけたくはない。

 きっとこの世の誰よりもやさしい、あの娘の心の傷にはなりたくなかった。

 ならば、もう生きるしかない。

 たとえそれが罪の上塗りだったとしても、生きて真夏に寄り添うしかない。それを果たせず、彼女の指の隙間から、零れ落ちていってしまった人々のためにも。

 ただし――


(セレナイトとの決着だけはつける)


 かつて華実が造り出してしまった巨大な人工知能。異世界の月面都市に佇み、機械人形マシンドールを使って神隠しを引き起こすその元凶だけは、なんとしてでも叩き潰さなければならない。

 奴らと全力で戦い抜き、その上で生き延びる。

 そのためには今よりもずっと強くなる必要があった。

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