第46話 緋い悪夢
立て続けに四人の仲間が斬り刻まれるのを目の当たりにしてセフィロトは唇を噛んだ。彼は他の人造人間のように油断はしていなかった。むしろ真夏が刀を持っているのを見て警戒を強めたほどだ。
しかし、彼女が静から動へと転じる瞬間に、まるで対応できなかった。
この敵は予測を遥かに超えている。警戒はしていたが、まだまったく足りていなかった。
慌てて迎え撃とうとするが、浮き足だった味方は基本的な連携すら取れておらず、彼の最大の武器である特殊能力の『ヴォーテックス』を放つことさえできない。
それでも仲間たちは混乱しつつも、個々に迎撃を試みていた。
最新鋭の戦車すら一撃で爆砕する熱衝撃波が闇を裂き、超高熱の火炎と絶対零度の息吹が次々に放射される。凄まじい破壊の嵐が崩れ去っていた屋敷の残骸を、さらなる破壊のエネルギーで蹂躙するが、真夏はそのすべてを苦も無くかいくぐって肉薄すると恐怖に凍りつく仲間達を次々に寸断していく。
その刀が特別なのか手にした女が異常なのかは定かではないが、絶大な防御性能を誇るはずの
それでも巨漢の人造人間ダームは臆することなく真夏の前に立ち塞がる。彼の特殊能力は絶対的な防御力を誇る光の壁を生み出すことだ。
「うおぉぉぉっ!」
気合いとともにダームが壁を展開すると真夏は躊躇うことなくそれに刀を振り下ろす。
甲高い音を立てて光の壁が砕け散るが、同時に敵の刃もはじき返していた。そして敵が二撃目を放つ前にダームが新たな光の壁を展開する。
初めて敵が動きを止めるのを見てソーンが喜々として叫んだ。
「よくやった、ダーム!」
ソーンは自分の周囲に、その名の由来となった無数のトゲを生じさせ、それを弾丸のように撃ち出した。それもまた
背後から無数に迫るトゲの雨を真夏は凄まじい動きで回避していくが、さすがにすべては避けきれず、一部は刃で打ち払っていた。
「逃がすかよ!」
自分の優位を確信したソーンが能力を全開にしながら真夏に追いすがる。
さらにその前方に長身の人造人間トゥルゥーが回り込み、手の平を大地にかざし、叫んだ。
「闇に沈め!」
声とともに真夏の前方の大地に黒い染みが広がる。それは何処とも知れぬ異次元へと通じる底なしの穴だ。ソーンの爆撃に晒されている真夏には、それを避けるすべはない。
勝利を確信し口元を歪ませるトゥルゥー。
だが、真夏はその大穴の上を何事もなく駆け抜けると、そのままトゥルゥーの身体を寸断して、さらには見えない壁を駆け上るように宙返りをした。
追いすがっていたソーンは、その光景に絶句する。
トゲによる爆撃は続けていたが、真夏は見えないトンネルの壁を駆け上がるかのように渦を巻いて近づくと、すれ違いざまにソーンに斬撃を浴びせた。
声を上げる暇さえ無いままにソーンの身体が血飛沫を上げて螺旋状に千切れ飛ぶ。
「ソーン!」
無惨な仲間の死を前にしてダームが怒りの声をあげる。その彼を見据えて真夏は今まで無造作に携えていた刀を初めて両手で握った。
それに気づいてセフィロトは声を上げる。
「気をつけろ、ダーム! 何かしてくるぞ!」
彼の言葉どおり、真夏が手にした刀の刃に強力なアイテールが生じる。
忠告を受けたダームは自分の正面に、いくつもの光の壁を同時に展開して攻撃に備えた。
それを見ても真夏は意に介することなく、間合いの遥か手前で刀を振り抜く。
刀身から閃光が迸り、光の壁をまとめて斬り裂いた。愕然とした表情を浮かべたまま、ダームの巨体が斜めに分断され崩れ落ちていく。
「ダーム!」
さらなる仲間の死にセフィロトは怒りとともに大地を蹴る。
特殊能力による攻撃は味方を巻き込んでしまうため、接近して渾身の一撃を浴びせるつもりだった。肉弾戦においても彼は人造人間最強であることを自負している。
接近する彼を見て真夏も、そちらに進路を定めた。
「うおぉぉぉっ!」
全身全霊を込めてセフィロトが拳の一撃を放つ。
だが、真夏はそれをかいくぐると、そのまま駆け抜けて彼の背後にいた別の人造人間を斬り刻む。
慌てて振り向いたセフィロトは、その理由を悟る。
真夏に恐れをなした者たちが、彼女と戦うことを避けて、傷ついたナインに襲いかかろうとしていたのだ。
彼らを容赦なく細切れにすると、真夏はセフィロトを無視して、逃げだそうとしていた残りの者たちも矢継ぎ早に斬り刻んだ。
セフィロトは茫然と立ち尽くす。自分と真夏、そしてナイン以外、立っている者はもうひとりも居ない。いつの間にか彼は最後のひとりになっていた。
刀を左手に提げたまま真夏が、ゆっくりとセフィロトに向き直る。
歯ぎしりしてセフィロトは言った。
「逃走さえ赦さんのか……」
真夏は何も答えなかったが黙ったまま周囲を軽く見回した。それでセフィロトも悟らざるを得ない。最初に逃走さえ赦さず殺戮を行ったのは彼ら人造人間の側だった。
苦い想いを噛みしめながらセフィロトが問う。
「お前は何者だ? ここにいた者たちも決してひ弱な存在ではなかったが、それと比べてもお前は異常すぎる。人間ではあるまい」
長い髪を風になびかせながら佇む真夏の瞳はどこまでも冷たく答えはないかと思えた。だが、やや長い沈黙のあと静かな声音で告げてくる。
「わたしは
「
奇妙に得心してセフィロトは自嘲気味に笑った。
確かに、これはもう悪夢としか思えない。一都市どころか一国家さえ蹂躙可能といわれる世界最強を誇る人造人間の最精鋭部隊が、たったひとりの少女に壊滅させられたのだ。
もし祖国に戻って、こんな報告をすれば頭がおかしくなったと思われることだろう。
だが、この悪夢はどこまでもリアルだ。
セフィロトは顔を上げると静かに構えを取った。
もしこの敵が神か悪魔ならば抗うことが可能かもしれない。だが悪夢には誰も勝てない。勝てるようならば、それは悪夢とは呼ばないからだ。そう思いつつも、セフィロトは瞳に闘志を漲らせて目前の敵を見据えた。
「俺の名はセフィロト。俺の側が恨みというのはおこがましいが、仲間の無念を晴らさせてもらう」
宣言するが、真夏は黙ったまま冷たくセフィロトを見据えるだけだ。
元より答えは期待していない。それでもセフィロトはあえて告げる。
「ゆくぞ!」
セフィロトが全力でアイテールを活性化させると、彼の身体を中心に風が唸りを上げ始める。それはそのまま竜巻と化して庭園を濡らした鮮血を巻き上げ始めた。
真夏は刀を構えるが、風にふれた切っ先から光が飛び散るのを見て眉をひそめる。
これはただの竜巻ではない。セフィロトが誇る、このヴォーテックスは、そこに生じるアイテールをズタズタにして消し飛ばす力を持っているのだ。
もし彼が、この力を積極的に使わなければ、この庭園の制圧も容易なことではなかっただろう。ここを守っていた者たちはそれほどに強敵だった。
「この異能の竜巻はアイテールを消し去りながら、どんな物質をもズタズタに斬り刻む。さあ、どうする?
竜巻が巻き起こす轟音で、その声は届かなかったかもしれないが、真夏は答えるかのように刀を振るい始めた。
セフィロトの強化された感覚は、竜巻の壁越しに敵の動きを捉えていたが、その顔が戦慄に凍りつく。
この敵は信じ難いことに暴風を刃によって切り開こうとしていた。
風を斬り刻むなど誰が聞いてもバカげた話と考えるはずだ。実際、他の者がこんなことを試みたならば、セフィロトも鼻で笑ってみせたかもしれない。
だが、この敵はそれを実行し、しかも現実に風を斬り刻みながら、こちらににじり寄ってきていた。
セフィロトは全身全霊を込めて負けじと風の勢いを強めていく。
破壊的な風の刃と、敵の刃が無数に斬り結び、アイテールの光を飛沫のように撒き散らしていく。
(押されている!!)
信じ難い思いを感じながら、セフィロトは奥歯を噛みしめて死にものぐるいで力を振り絞る。
それでも敵の気配は、ゆっくりと確実に近づいてくる。
背筋を冷たい汗がすべり落ちるのと、血と土砂を巻き上げた風の壁がゆらぎ、敵の白刃が顔を覗かせるのは、ほぼ同時だった。
「バカな……」
愕然とするセフィロトの眼前で、すべてを引き裂いた悪夢が風の壁の内側へと踏み込んできた。血の雨に晒された全身は髪の先まで緋色に染まっていたが、その身体のどこにも傷一つ負っている様子はない。
この間合いでは、もはやヴォーテックスは役に立つはずもなく、セフィロトは風を操る力を解除して、ただ立ち尽くした。
(罪の報いと思えば、そう理不尽なことでもないか……)
覚悟を決めて瞼を閉じるセフィロトだったが、いつまで待ってもとどめの一撃が放たれる様子がない。
怪訝な思いで瞼を開くと、真夏はただ静かに彼のことを見つめていた。
その瞳は殺意を帯び、形相は憎しみに歪んでいると思っていたが、実際にはなんの表情も浮かんでいない。
透き通った瞳は美しく輝いていたが、それはただひたすらに、どこまでも空虚だった。
それでも真夏はセフィロトを見つめて問う。
「これで気は済んだかしら?」
「……なぜだ?」
今の今まであれだけ容赦のない殺戮を行った少女が自分を殺さない理由が解らずに問いかける。答えはやはり静かな声音で返ってきた。
「ここで見逃しても、あなただけは理由のない殺人は行わないから」
「……!」
セフィロトは愕然として、そのままよろよろと後ずさった。
ようやく彼は自分が本当は何と戦っていたのかを悟ったのだ。
神の裁きを受けて滅び去ろうとしている故郷の世界。原因となった人心の腐敗。その腐敗の対極――口に出せば誰もがチープと嘲笑う概念が、ここには厳然として存在していた。
それは腐った故郷を守るために無辜の世界を生贄にしようとして果たせず、あまつさえ無益な殺戮を行った愚者たちを裁いたのだ。
「正義の味方というわけか……。道理でナインを助けたわけだ」
セフィロトはやるせなく笑った。そんなものが存在していると悟ってしまったことこそ、彼にとっては最大の悪夢だったかもしれない。
「だが考えるまでもないことだった。祖国のためと言いつつも、俺たちの所業は最初から悪鬼羅刹の悪行だったのだ。にも関わらず、俺たちはこんな……」
「セフィロト……」
小さな声は真夏の背後から聞こえた。
その声の持ち主――ナインに向けてセフィロトは告げた。
「ナイン、お前は生きろ。お前は正しいことをした。正義の味方に味方されているのだからな」
言い終えると、さらに数歩後ろに下がる。その意図を察して真夏が手を伸ばしかけるが。セフィロトは首を横に振って止めた。
「さらばだナイトメア。俺が言うのもおかしな話だが、ナインを守ってくれて感謝する」
今になってセフィロトは気づいていた。本当は自分もそういう選択をしたかったのだ。だが、結局はマインドコントロールから自由になれず、このような結末を招いてしまった。
最後に一度だけ夜空を見上げる。瞬く星々は人生の最後に見る光景としては悪くないと思えた。そして、今一度ヴォーテックスを発動させると、彼はその力を自分に向ける。すべてを消し去る死の嵐は一瞬にして彼の身体を消し飛ばした。
死闘に幕が下り、静寂が戻った庭園でナインはひとり涙を流し続けた。
彼女が望んだのはこんな結末ではなかった。自分ひとりが犠牲になることで、この世界を救いたかったのだ。
なのに、この結果はどうだろう。屋敷にいたやさしい人々を死に追いやり、自分の仲間達もひとり残らず死に絶えてしまった。
真夏はなにも言わずにナインを見つめている。
未だ刀は抜いたままだったが、それをナインに向けることがないのは明白だ。真夏がそんな女なら当然セフィロトも手にかけていただろう。
だが、今の真夏からはやさしい笑みは消え、瞳にはなんの感情も浮かんでいない。
失くしたものが余りにも大きすぎるのだ。涙を流さないのは喪失感が心を埋め尽くしているからだろうか。
本来ならば自分こそ真夏に声をかけなければならない。そう思うナインだが、込み上げてくる嗚咽を抑えることはできなかった。
真夏はそんなナインに歩み寄ると彼女を背後に庇うようにしながら、すでに原形をとどめていない正門へと顔を向けた。
いつの間にか騎士服を着た男達が姿を現している。それは今さらながらに登場した円卓のエージェント達だった。
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