第39話 赤い花

 裏社会にその名を轟かせる恒覇創幻流の総本山は往時市という片田舎に存在していた。

 その流派は国内最大の秘術組織――東条家に属する流派であり、宗家を務めているのも当主の父にあたる男だった。

 少女坂おとめざか真夏まなつは、その東条家当主の娘であり、恒覇創幻流宗家の孫娘にあたる十五才の少女だ。

 幼い頃から道場に出入りしていた真夏は十三才で免許皆伝となった天才剣士だが、実際にはそれ以前に、それだけの実力を備えていた。

 授与が遅れたのは本人が悪目立ちするからと固辞していただけだ。

 結局、友人に押し切られる形で受託したものの、真夏にとって肩書きなど大して意味のあるものではなかった。

 真夏は長い黒髪と藍色の瞳を持つ美しい娘で、裏社会表社会を問わず、異性の人気を集めていた。しかし、彼女はなぜか美しい少女にしか興味を示さず、本人もまた同性の少女達から好かれる傾向にあった。

 とくに東条家で同世代の少女達は真夏を姫と呼んで慕い、常日頃から彼女の周りは花園のように華やかだった。

 その中でも真夏のお気に入りはマリンブルーの髪を持つ同い年の少女で、名前を夏庭涼香といった。

 肩口にかかる程度のどちらかといえば短めの髪をした涼香は、見るからに利発で真面目そうな少女だ。彼女もまた異性の人気を集めていたが、真夏は涼香を自分の恋人と公言してはばからず、彼女に近づく男達をいつも追い払っていた。

 そんな真夏の好意を涼香はやや困ったような顔で受け止めていたが、困っている理由は、それが迷惑なわけではなく明らかに喜んでいる自分に対してだ。

 涼香自身は決して同性愛者ではないつもりだし、他の女にはときめきを感じたことはない。分析できない自分の心理に日々悩んではいたが、真夏のことで悩むのは決して苦しいことではなかった。

 東条家一門の中でも涼香の属する夏庭家は古くから癒やしのエキスパートとして知られていて、涼香もまたその道を邁進していた。とくに彼女の作る霊薬は裏社会に流通しているどんな薬よりも質が高いと評判で、ゆくゆくはその専門家になることが期待されてはいたが、本人の志望は真夏直属のエージェント――プリンセス・リヴォルヴァーだ。

 そのため毎日のように道場で汗を流して拳法の修行に明け暮れていた。

 夏休みも終わりに近づいたある日のこと。涼香がその日の修行を終えて純和風の美しい庭園に出ると、咲き誇る赤い花の前に真夏が立っているのを見つけた。

 ゆっくり背後から近づくと、そのまま横に回り込んで顔を覗き込む。

 当然のように涼香の接近に気づいていた真夏は満面の笑みを浮かべたまま視線を涼香に向けた。


「今年も綺麗に咲いたでしょ」

「これって西洋の花よね」


 今さらではあったが、涼香がなんとなく思ったことを口にすると真夏はくすくす笑いながらうなずいた。


「子供の頃にわたしがせがんだのよ。本で見たこの花が気に入って。お爺ちゃんは純和風の庭園に西洋の木ってどうなんだってぼやいていたけど、反対はしなかった」

「あの人、真夏には甘いからね」

「そうね」


 可憐な微笑みを浮かべて真夏は近くに置かれていた大きな石に腰を下ろした。それを見て涼香も隣に座る。

 並んで空を見上げると、傾いた陽射しがゆっくりと空を黄金に染め始めていた。


「綺麗ね」


 つぶやく真夏にうなずきつつも、涼香は思ったことを口にする。


「見せかけの美しさだけどね」

「見せかけ?」

「どんな綺麗な景色も黄金も、誰かのためになにかをするということはないわ。だけど、人間の中には利害得失など考慮もせずに命懸けでなにかを守る者が少なからず存在する。本当に美しいのはそういった心を持った存在よ」


 言い終えると、真夏は面白がるような視線を向けてきた。涼香は急に気恥ずかしさが込み上げてきて慌てて言い訳をする。


「いや、なんとなく思ったことを口にしただけで……」

「涼香のそういうところ、わたしは好きよ。あなただけは人間の醜さも美しさも、ちゃんと理解している」

「いや、わたしだけってことはないと思うけど……」


 照れくささに視線を逸らすと、真夏が眺めていた赤い花の群れが目に映った。


「ま、まあ、夕空もあの花も綺麗なことは綺麗よね。とくにあの花は真夏に相応しいし」

「わたしに?」

「ええ、あれって情熱の花でしょ。あなたにピッタリだわ」

「それって、情熱的に愛して欲しいってこと?」


 やや妖しい笑みを浮かべて真夏が顔を近づけてくる。それをやや邪剣に押しのけながら涼香は慌てて説明を付け足した。


「生き方の話よ。この前だって大羽くん達を助けたでしょ。当たり前のように」

「わたしはできることをしただけよ。誰かのために命を懸けたことなんて一度もないわ」

「それはあなたが強すぎるから、そう錯覚しているだけよ。もし必要とあらば、たとえ神様が相手でもあなたは逃げたりしないわ」

「なるほど、涼香はわたしのそういうところに惚れたわけね」


 イタズラっぽくウィンクしてくる真夏を半眼で睨みつつ、涼香はあえて言ってやった。


「そのとおりよ」

「え?」

「わたしはあなたのそういうところに恋をしているの。誰よりも情熱的で正しくて、自分を絶対に曲げたりしない。だから、これからもずっと、そのままのあなたでいてちょうだい」

「涼香……」


 頬を朱に染めて自分を見つめてくる愛しい少女の姿に涼香もまた頬を朱に染めつつ……そっぽを向いた。照れくささに負けた形だ。

 真夏はしばらく黙り込んでいたが、やがて意を決したように息を吸い込んだ。重大な一言を口にしそうな気配を感じて、涼香は期待と不安の入り混じった想いで、その時を待つが、ちょうどそのタイミングで山の向こうで爆発音が轟いた。

 鳥たちがいっせいに山から飛び立つのが見える。ふたりは慌てて立ち上がると、目を凝らして耳をそばだてた。

 道場の北側にはいくつもの山が連なっているが、その音の発生地はかなり遠く、ここからでは目視できない。

 ただし音だけは散発的に響いていて、しかもそれはかなり異常なものだった。


「爆音に雷音にその他諸々の轟音……聞いたことのない音まで混じっているわ」

幻想能力ファンタジアか魔術か……どちらにせよ戦闘音なのは確実ね」


 断定すると真夏は主屋に向かって走り出す。


「真夏!?」

「涼香はみんなに知らせて! わたしは先に行って様子を確認する!」

「こらぁーっ!」


 涼香は護衛も連れずに出て行こうとする想い人の背中に向かって叫んだが、真夏はあっという間に主屋に駆け込んでしまった。

 おそらく刀を取りに行ったのだろう。そして、それを手にしたあとは再び降りてくることなく窓を開けて空を駆けていくのは目に見えている。

 真夏の幻想能力ファンタジアは空を走ることを可能とするものだからだ。

 やむを得ず涼香は言われたとおりに道場に向かうが、そのときにはもう異変に気づいた人々が集まりつつあった。

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