第38話 Nein

 深い森の一角に奇妙な銀灰色の物体が直立している。

 やや末広がりになった円柱状のシルエットを持ち、三枚のプレートが花びらのように開いていた。内部からは低い機械音が響き、アンテナの生えた天頂部がゆっくりと回転を続けている。

 これこそが人類救済の要。時空に大穴を開き、超重力によって神獣を、こちら側の世界へと引きずり込むために造られたサオシュヤント・システムだ。

 装置の周りには身体にフィットする赤い装甲服とヘルメットを身に着けた人造人間が三十人余り、それに従うようにして百体近い機械人形マシンドールが後ろに控えていた。

 それをざっと見回して、長い髪の女戦士ロゼが眉間にしわを寄せる。


「結局、辿り着けたのはこれだけか」

「成功率三十パーセントというふれ込みだ、妥当な数だろう」


 セフィロトが無感動に答える。

 その言葉が気に入らなかったのかロゼは不愉快そうに顔をしかめるが、彼にはなにも言わずに小柄な人造人間に声をかけた。


「レーミア、周囲の様子は?」

「敵性存在は確認できません。周囲五千メートル以内には大型の獣などもいないようです」


 レーミアは偵察に特化した量産型の人造人間で遠隔地の情報を探る力を持つ。戦闘力においてはロゼやセフィロトのような特別製には及ぶべくもないが、サポート役としては優秀な最新型だった。


「肉食獣ごとき、たとえそれが恐竜であっても、俺たちの敵ではないがな」


 人造人間ダスティが軽口を叩くが、それをセフィロトが窘める。


「油断は禁物だ。ここが異世界だということを忘れるな」

「ゲームみたいなモンスターでも出るってか?」


 ダスティはなおも軽口を叩くが、その横合いからロゼが冷たい声音で答えた。


「あり得ない話ではないな」

「お、おい……」

「技術部が観測した異世界の中には、魔法としか言い様のない力を操る種族も確認されているのだ。ここにそれがいないという保証はない」


 さすがに薄ら寒いものを感じたのかダスティは小さく呻いて黙り込む。

 その間にも能力を使って探索を続けていたレーミアが、淡々とした口調で仲間たちに報告した。


「モンスターはともかく人間種族は存在するようです」


 ナインはハッとしてレーミアを見た。この情報は誰にとっても無視できるものではなく、他の者たちもレーミアに注目するが、ナインと彼らが気にしていることはまったく別のことだ。

 当のレーミアは無機的な顔をしたまま、能力で得た情報を開示する。


「五千メートルほど先の平地に小さな集落を確認。建築物を始めとする構造物、車両などから推定される文明レベルはせいぜい二十世紀後半です」


 ナインを以外の人造人間達はそれを聞いて安堵したようだ。そんな原始的なレベルでは問題になりようはずもないということだろう。

 だが、ナインにとっては、そんな簡単な話ではない。ここに人間がいて文明を築いているということは、このまま作戦が決行されたならば彼らが犠牲になるということだ。


「二十世紀か……。普通に考えるならば危険なはずもないが、ここはなにが起きるか判らん異世界だ」


 つぶやいてからロゼは一同の顔を見回した。


「装置が稼働するまで、残り三十分といったところだ。その間、我々はなんとしても、これを死守せねばならない」


 指揮官よろしく、人類救済の切り札、サオシュヤント・システムを見上げて続ける。


「こいつを守るために、半径三千メートルの位置に円形状に兵力を配置する。等間隔にな」


 これを聞いてセフィロトはわずかに眉根を動かしたが、異を唱えることはなかった。


「ナイン、お前はわたしとこの場を守れ」


 不自然さを感じながらもナインがうなずく。

 ロゼはそのまま他の者たちに細かい指示を与えていった。

 彼らが機械人形マシンドールを伴って持ち場に散ると、ロゼはそれを見送って満足げにうなずく。

 そして背中に手を回すと、背負っていた鞘から愛用の機械刀を抜いた。それは三段階にスライドして彼女の背丈よりも長く伸びる。

 眉をひそめるナインに、ロゼは機械刀を構えて向き直った。


「システムが稼働すれば、それだけで半径二千メートルは超重力によって圧壊される。そうなれば、わたしもお前も助かるまい」

「だから……?」


 ナインには彼女の言いたいことが本当に分からない。だが、そんなことはお構いなしにロゼは冷ややかに言い放った。


「ドクター愛海は信用ならない。あの女は異常なまでの才覚によって見逃され続けてきたが、国家に対して常に反抗の意を示し続けてきた」


 その言葉で、さすがにナインもロゼがしようとしていることに見当がついた。

 ナインが愛海の密命を受けて装置をどうにかする可能性を考慮して、先に始末しておこうというのだ。

 いくらなんでも考えすぎだが、ロゼがそんな考えに至った理由は察しがつく。彼女の制作者は以前より愛海を一方的にライバルし続けていた男だ。彼が出撃前に、ロゼにその考えを吹き込んだのだろう。そうでもなければマインドコントロールを受けている人造人間が、このような独断専行をするはずがない。

 もちろんセフィロトと同じくワンオフの高性能機であるロゼは、おそらくマインドコントロールのかかりが弱い。それでも国家に逆らえるほどの自由意思は持たないはずだ。そんなものがあればサイコチェックに引っかかって処分されている。

 だが生みの親の命令とあれば話は別だ。それは人造人間にとって、本来は国家や軍部に次ぐ絶対の支配者だ。この優先順位が狂っていることこそ、マインドコントロールが不完全な証拠と言えた。


「無論、わたしとてこの状況で、お前が造反するとは思わない。だが、危険な要素は早めに潰しておいた方が安心だろう? どうせ、あと半時間足らずでどちらも死ぬことになる運命だ」

「だから、みんなを逃がしたの?」


 先ほどの不自然な指示を思い出してナインは訊いた。それぞれの能力や適性をなにも考えていない大雑把な指示は、つまりそういう理由なのだろう。

 ロゼはうなずきはしなかったが、それを前提に語る。


「神獣が落ちてくる以上、早いか遅いかの差だけだろうがな」

「わたし達全員で神獣を倒せれば……」

「夢物語だ」


 切って捨てられるのも当然だった。神獣は、これまで何万という人造人間が投入されて、なんの成果も上げられなかった相手なのだから。


「なら、やはり……」


 俯いてナインはつぶやいた。


「……落ちてこないようにするしかないね」


 それを聞いてロゼの顔が強ばる。

 自分で、その可能性を示唆しながら、彼女自身、本気でこうなるとは思わなかったのだろう。


「貴様は、やはり……」


 呻くようにつぶやくロゼをナインは真っ向から見据える。


「でも、あなたは間違ってる」

「……なに?」

「愛海は関係ない。なぜならこれは愛海に対する裏切りだから。育ててくれた人を見殺しにする最低の選択だから」

「なにを言っている……? なぜそんな選択をする必要がある……?」


 ロゼは自分の背後にそびえ立つ人類救済の切り札を片手で指し示した。


「ここにあるのは人類を救う最後の希望だ! これを破壊してまで貴様は自分の生存を願うのか!? それでも誇り高き人造人間か!」

「あなたはなにも分かっていない」


 ロゼとは逆に稜線の向こう側を指さして告げる。


「人間はここにだって住んでいる。この幼い世界で、きっと穏やかに平和に暮らしている」

「それがどうした!? こんな異世界の原生種族がなんだと言うのだ!? 我ら兵器にとって守るべきなのは祖国だ! いや、たとえ兵器でなくとも、人間でもそう考えるはずだ!」

「それでも、わたしには無理だよ……」


 ナインは俯くようにして首を振ると、顔を上げてロゼを見据えた。


「自らの罪の報いで滅び行く世界のために、無辜の世界を犠牲にはできない」

「貴様は狂っている!」


 理解できないものへの嫌悪感に顔を歪めながらロゼは機械刀を構えた。

 問答は終わりだ。もはや戦って意思を通すしかない。

 お互いが連れてきた機械人形は、今は他の仲間と共に周囲に散っていて、ここには居ない。完全に一騎打ちの形だった。

 ナインはロゼの背後にあるサオシュヤント・システムを見上げる。あれを破壊しなければ、この世界が犠牲になる。この美しい世界と、そこで暮らす罪なき人々のすべてが。

 この選択が正しいことかどうかナインには判らない。それどころか重苦しいほどの罪の意識があった。これは愛海やポルタの未来を奪う行いだ。なのにどうして自分はそうしようとしているのか。

 迷いが顔に表れたのかもしれない。

 その隙を狙ったかのようにロゼが踏み込んでくる。彼女の特殊能力『超加速』は人造人間の能力としてはありふれたものだが、他の人造人間の者に比べると加速力が桁違いだった。

 発動中は身体機能だけでなく知覚も加速して、世界のあらゆる存在が完全に静止したように感じられる。ロゼにとって、それはいわば擬似的な時間停止だった。

 その止まった時間の中でナインにめがけて必殺の機械刀を振るう。勝利を確信した一撃だったが、ナインは無造作に機械刀を片手でつかみ取った。

 衝撃とともに金属が軋む音が響く。驚愕にロゼの目が大きく見開かれる。


「バ……カな?」


 超加速からの攻撃に対応できたことも、機械刀の刃を素手で止めたこともロゼにとっては異常事態なのだろう。

 だが、ナインには取るに足らないことだった。

 世界最高の頭脳を持つドクター愛海が造り上げた人造人間。型式番号XPS-09G――通称、ナイン。その能力は公表されていなかったが、訓練での成績は平凡だった。それは本気を出さないようにと愛海に言われていたからに過ぎない。

 どうして彼女はそんな指示を出したのか?

 まるでこうなることを予想していたようだ。

 いや、間違いなくそうなのだろう。

 彼女は言った。

『道は、あなた自身で選びなさい。あなたが正しいと思った選択なら、それこそがわたしとポルタの願いでもあるのだから』

 さらに記憶を遡れば、こうも言っていた。

『それを甦らせるのは、いくらわたしでも無理なことだけど、それでも――いつかあなたをそこに帰してあげるから』

 青い空を追い求めて、それを目にすることが決して叶わないと知って悲しみに暮れたナインに、愛海は確かにそう言ったのだ。

 込み上げてくる思いを押し殺すかのように握りしめた右手がロゼの機械刀を砕く。


「バケモノか!?」


 愕然とするロゼの身体にナインは自らの拳を叩きつける。

 間一髪、ロゼは超加速によって飛び退くが、ナインは逃がすことなく踏み込んで拳の連撃を叩き込んだ。


「バカな!!」


 信じられないものを見たようにロゼの表情は凍りついていた。

 おそらく彼女は気づいたのだろう。自分が離れた距離とナインが縮めた距離が一致していないことに。物理的な辻褄が合っていないという恐るべき事実に。

 だが、その意味を考察している余裕はなかったはずだ。なにが起きているのか理解できないままにロゼはナインの拳によって徹底的に打ちのめされ、そのまま背後にあったサオシュヤント・システムに叩きつけられた。轟音が響き、システムがわずかに傾く。

 ロゼが装甲にめり込んだまま動かないことを確認すると、ナインは操作パネルに取りついて、システムが暴走するようにセットする。さすがに自爆スイッチは内蔵されていなかったが、これで同じことだ。


「あ、悪魔め……」


 図上から聞こえてきた声にナインが顔を上げると、ロゼが苦悶に満ちた表情でこちらを見下ろしていた。身体はすでにズタズタで身動きもできないが、生命力の高い人造人間だけあって、まだ息があったらしい。


「ごめんなさい。手加減はできなかった」


 戦い始めた時点で、すでに人造人間の誰かがこちらに向かっているはずだ。あるいはレーミアはすべてを見ていたかもしれない。時間をかけるわけにはいかなかったのだ。

 ロゼは擦れた声で呪いの言葉を発した。しかし、ナインに対してではない。


「これで……満足か……ドクター愛海よ……」

「悪いのは愛海じゃない」


 たとえ、こうなることを予測していたのだとしても、選んだのはやはりナイン自身だ。


Neinナイン……」


 怨嗟のこもった声でロゼが呼ぶ。


「お前の名は否定を意味する言葉だ……お前は世界を……否定するために……あの女によって造……られた破壊の……使者だ……」


 それがロゼの最期の言葉だった。

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