第37話 青の世界

 人類の切り札サオシュヤント・システムはロケットを縦に押し潰したかのような形状をしている。全高は十メートル余り。装置の機能と出力を思えば、これでも驚くほど小型されている。

 完成して間もなく、ろくなテストもできていないが、今の人類にはそれをする余裕がない。

 幸いこの国は神獣の現在地より遠く離れているが、音速を優に超えるセラフは度々この近辺にも飛来している。奴らに知能があるかどうかは不明だが、神獣の元に情報を持ち帰っている可能性があった。

 そのためすべてが極秘裏に、そして急ピッチで進められてきたのだ。

 完成したサオシュヤント・システムの周りには、全高二メートル程度の楕円形のポッドが、それを取り巻くようにして配置されている。その数はおよそ百機。決死隊のために急造された時空間航行艇だ。

 もっとも航行艇とは名ばかりで、これそのものには異界に飛ぶ能力など備わっていない。

 異界へのゲートを開く機能は、この基地の方に備わっており、時空間航行艇はそれが開いた穴に向かって投下されるだけだ。

 座標の算出は基地の技術者達が行うため、それに間違いがあれば、時空間航行艇からは手の打ちようがない。それで終わりだ。

 だが、愛海がスタッフとして参加している以上、そのようなミスはあり得ないはずだ。

 時空間航行艇には搭乗員である人造人間ひとりと三体の機械人形マシンドールが搭載されている。装置を起動させるだけならば、そのような備えは無用のものだが、転移先の世界がどんな場所なのかはろくに分かっていないらしく、万が一の場合の備えとのことだった。

 もっとも、たとえそこに敵性存在がいたとしても、人造人間さえいればそれで事足りるはずだ。旧式の機械人形マシンドールが出る幕などないだろう。

 やがて「搭乗」の号令がかかると、決死隊の面々が各々あてがわれた時空間航行艇に乗り込んでいく。

 ナインもまたサオシュヤント・システムの傍らに配置された自分の機体に乗り込むと、訓練通りにハッチを閉めて起動準備を始めた。

 これから行われる時空転移は人類史上初の試みだ。たとえ転移システムに問題がなくとも搭乗者には相当な負荷がかかるらしい。

 人間では確実に死亡するが、人造人間であれば計算上は問題ないとのことだ。もちろん実証されているわけではないが、今さらそれを気にしても始まらない。

 ナインは入念な機体チェックを終えると、モニターに映し出されたサオシュヤント・システムを眺めた。

 説明によれば、それには時空に穴を開けるとともに超重力を発生させて神獣を、そちら側の世界に引きずり込む機能があるという。

 重力兵器は神獣に対して唯一効果があったものだ。傷つけるには至らず、短時間足を止めただけだったが、その事実が人類に希望を抱かせた。

 問題となるのはやはり時空転移の成功率だ。作戦の要であるサオシュヤント・システムが失われれば、その時点で計画は失敗。システムが辿り着いたとしても、人造人間達が転移に耐えられなければ、やはり計画は失敗する。


「とんだ博打だな」


 通信機から聞こえてきた声はセフィロトのものだった。


「ならば賭けに勝てばいいだけだ」


 これは女の声だ。セフィロトと同じく最強のひとりと目されている人造人間で名前はロゼだった気がする。あまり他人に感心のないナインだったが、この女は露骨な悪意を向けてくるため記憶に残っていた。


(賭けに勝ったところでわたし達に未来はないのに)


 内心ではそう思ったが口には出さなかった。

 この作戦に従事する人造人間の多くはマインドコントロールによって軍部の命令に対しては否定的な考えを持てない。自分たちが捨て駒にされることに対する怒りや、死に対する恐怖心は希薄だ。

 中にはナインやセフィロトのような例外もいるが、どのみち拒否権がないのは誰もが同じだった。

 やがてカウントダウンが始まり、作戦がスタートすると格納庫の床一面に巨大な闇が生じる。虹色の光を放つその闇こそが、異界へと通じるゲートだ。

 サオシュヤント・システムと時空間航行艇が重力に従っていっせいにゲートへと落ちていく。


(落ちるなんて旅立ち方からして縁起が悪い)


 ぼんやりとそんなことを考えるナイン。

 ゲートに突入すると機内の計器のうち外部に関するものがすべて停止した。もちろんモニターも死に、外を見ることはもちろん、仲間の存在を示すレーダーさえ機能しない。

 これも説明を受けていたことだが、やはりなにも分からないというのは心細い。それでも身体に変調はなく、重力加速度のようなものさえ感じることはなかった。


(後は運を天に任せるのみか……)


 どこか他人ごとのように考えながら瞼を閉じると、ナインはこれまでの人生をふり返る。

 それなりに楽しい毎日だった気がする。

 愛海は本人が口にしたように、やさしい姉のようで、様々なことをナインに教えてくれた。

 ポルタは物心つく前からずっとそばにいて、いついかなる時もナインを見守ってくれた。

 古い映像作品を見て憧れた恋人も友人も作れはしなかったが、それでもナインにはかけがえのないものがあったのだ。

 それでじゅうぶんだ。自分は幸せ者だ。

 ナインは想いを新たにして、その時を待ち続ける。

 仮に神獣をこれから赴く世界に引きずり込めたとしても、世界にはセラフが残ることになる。

 それでも愛海なら、なんとかするかもしれない。彼女は大丈夫だと言っていたのだ。

 だから、ふたりのために必ず作戦を成功させ、神獣を永遠の闇に封じよう――胸の裡で結んだ瞬間、突然時空間航行艇が大きく揺れた。

 全身に重力が働き出したことに気づいて、ナインは素早く計器を確認する。

 それまで機能していなかったレーダーにサオシュヤント・システムと味方の機影が浮かび上がり、ナインは内心で喝采を上げた。ただし、確認できた友軍機の数は三十機程度で、それ以上反応が増えることはない。

 どうやら残りの七十機あまりはゲートの中ではぐれたか朽ちてしまったようだった。

 胸の痛みを感じながらも、ナインは外の様子を知るためにモニターの再起動を試みるが、壊れてしまったのか反応がない。

 やがてさらに大きな振動が加わり、機体が着地したことを知ると、ナインはヘルメットを手に取って各種計器を確認した。どうやら生存には問題がなさそうだが、それでも念のためにヘルメットを被った上でハッチを開く。

 その瞬間、予想もしていなかった光がナインの目を眩ませた。


(眩しい……?)


 一瞬目を細め――直後に彼女の目は大きく目を見開く。

 青――

 青――

 あざやかに広がる一面の青の世界。

 それは高く高く果てしない奥行きを持ち、無限の広がりを見せていた。

 放心したかのように、ふらふらと機外に出ると、足下から柔らかな生きた土の感触が伝わってくる。

 堪らずヘルメットを脱ぎ捨てると、生まれて初めての匂いが鼻を突いた。草木や土を始めとする無数の匂い。それは生命の匂いだ

 見上げれば夏の陽射しが降り注ぎ、森を抜ける涼しげな風が頬を撫でていく。周囲からは山鳥の声が聞こえ、どこかで名も知らぬ虫達が鳴いていた。

 そこにあったのはナインが夢にまで見た世界。数多の映像作品で目にした、かつては当たり前に存在したとされる世界の姿そのものだった。

 目尻から雫がこぼれ落ちる。

 神の怒りに触れた汚れた世界のために、この美しい世界を滅ぼすことが、ナインの使命だった。

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