第35話 決死隊

 肥大化した科学の力で神秘を暴き、魂の秘密に手を届かせて、老いすら克服した現在の人類に敵がいるとすれば、それは同じ人類だけのはずだった。

 実際、戦争はこの時代においても、常に世界のどこかで起きていた。

 だが、彼らはそれだけでは飽き足らず、近年では時空を越えて別の世界に侵攻するという、夢物語のような構想まで抱いていたのだ。

 現時点においては問題が山積みでプランの域を出なかったが、それでも近年のうちに実現できることを疑う者などいなかった。

 だが、滅びの使者は、それに先んじて世界に舞い降りた。それも人類の想像を絶する形で。

 神々しく光り輝く四枚の翼を備えた巨大な竜。金属質の外殻はどこか鎧染みて見えるが、生物なのか機械なのかも定かではない。

 それは彼らの超々科学技術を以てしても、まったく解析不可能な未知の存在だった。

 灰色の雲を吹き飛ばして昏い空から舞い降りたる竜の姿は、まるで神話の具現のようだったが、実際にそれを目の当たりにしたとき、人々は例外なくそれがなんであるのかを

 アストラルテクノロジーを以てしても、未だ手の届かない、魂の深い領域に刻み込まれた記憶が囁くのだ。


 ――あれは御使いだ。人類に裁きを下すために現れた神の獣だと。


 神など信じぬはずの人々が、口々に神の名を叫びながら、恐慌をきたす様は傍から見れば滑稽ですらあっただろう。

 ある者は逃げ出し、ある者は跪いて許しを請うたが、神の獣は無言のまま、すべてを薙ぎ払うのみだった。

 そうなれば、たとえ畏怖を感じる相手だとしても、人類としては生き延びるために戦いを挑む他はない。

 だが、様々な超兵器を駆使して、地軸を歪めるほどの攻撃が敢行しても、神獣には傷ひとつつけることができなかった。

 神獣は報復であるかのようにヒト型をした全身鎧の兵士――後に人類によってセラフと名づけられたモノを喚び出すと、それを世界中に放つ。

 光り輝く天使にも似たそれもまた恐るべき戦闘力を秘めた殺戮の使者だったが、最強クラスの人造人間を複数ぶつければ、まったく倒せない相手ではなかった。

 もっとも被害の方が遥かに大きく、いずれジリ貧になるのは目に見えている。

 なによりも神獣には傷ひとつつけるすべがなく、最終的な勝敗など始めから判りきった戦いだった。

 人類とセラフが死闘を繰り広げる中を、神獣はゆっくりと歩いていく。進路上にあるすべてのものを塵に変えながら。

 絶望が世界に蔓延していく中、それでも人類は生き延びるための最後の計画を立案した。


 ――サオシュヤント計画。


 それはあらゆる攻撃手段が通じない神獣を、異世界に放逐するという起死回生の試みだった。

 この作戦にナインが参加することになったのは、単純に人手が不足していたことと、作戦の立案者が彼女の生みの親であることが関係していたようだ。

 計画の概要自体は単純なもので、作戦の要となるサオシュヤント・システムとともに、百人の人造人間達が異世界に転移し、そこでマニュアルに従ってシステムを起動するというものだ。

 問題は現在の時空転移技術は不完全で、転移の成功率がせいぜい三十パーセントしかないということだ。しかも転移は完全な片道切符で、たとえ作戦が成功しても作戦に従事した人造人間には元の世界に帰還するすべはなかった。

 それはつまり、たとえ作戦が成功したところで、人造人間は神獣とともに、そこに取り残されるということだ。そうなれば待っているのは怒り狂った神獣による確実な死だろう。

 決死隊といえば聞こえが良いが、人造人間には最初から拒否権など与えられていない。事実上の捨て駒だった。

 システムの完成には多少の時間を要したものの、神獣の動きが遅いことが、ここでは幸いした。


「あれは、わたしらを嬲ってるのよ」


 神獣について愛海がそうコメントしたことがある。

 だとすれば神獣にも人と同じような心があり、油断も慢心もするということだろうか。

 少しばかり、そんなことを考えたナインだったが、その後すぐに決死隊の合同訓練に参加することになり、余計なことを考えている暇などなくなってしまった。

 その時になってナインは、たくさんの他人との出会いを経験したが、友人と呼べるような相手と巡り会うことがなかった。そもそも頭数欲しさに選ばれた実験体だ。誰からも歓迎されていないことはハッキリしていた。

 作戦の準備が始まってからもナインに対する愛海の接し方に変化はなかった。相変わらずやさしくて、忙しい中でも必ず一日に一度は顔を見せに来る。

 ナインには愛海のことを恨む気持ちはない。実験体の名目で造られた自分に対して、実のところ愛海はなんのテストもしなかった。

 いったい何を思って自分を造り出したのかナインとしても気になっていたが、今になってそれを訊くと恨み言と思われるかもしれない。迷った末に結局ナインは最後まで、それを確かめることはしなかった。

 やがて訪れた旅立ちの日。特別に一時帰宅を許されたナインは部屋を掃除して、身支度を調えた。例の地下室は散らかったままだったが、迷った末にそのままにしておくことに決める。

 いよいよ施設をあとにしようとしたところで、一つだけ愛海に頼まれていた用事があったことを思いだしてラボに足を向けた。

 霊子認証とカードキーでロックを外して入出すると、二つ並んだカプセルの前に立って、中を覗き込む。

 それぞれのカプセルでは幼い少女が静かに眠り続けている。ナインの妹たち、愛海が開発中の新しい人造人間達だ。

 器はほぼ完成しているが、魂の生成にはかなりの時間を要するため、神獣がここを蹂躙する前に目覚めることができるかどうかは微妙なところである。

 ナインが頼まれたのは、このふたりの名前を考えることだ。

 しばし悩んだ末に、どうせなら強そうな名前が良いと思い、それぞれに「鋼」と「鉄」の字を振り分けた上で「剣」の字を姓に付けておいた。


「うん、カッコイイ名前になった」


 ひとり満足して部屋を出ると、そのままの足で長らく暮らした我が家――巨大な研究施設と、いつもどおり後ろに付いてきていたポルタに別れを告げる。


「さよなら、ポルタ」

「ナイン、オゲンキデ」


 彼もすべてを理解しているようで、古くさい合成音声で答えてくれる。

 軽く手を振って歩き出してから、ナインは何度か足を止めて振り向いた。

 こういう時、普段ならすぐに施設内に戻るはずのポルタが、この日ばかりは、そこに立ったまま、ずっと見守ってくれていたからだ。

 機械でできた彼が何を想っていたのか、もちろんナインには分からない。それでも彼はナインのただひとりの友達で、彼もまたナインのことをそう思ってくれていると信じていた。

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