第31話 騎士の理想

 都心からは遠く離れた陽楠市も中心地にはビルが建ち並び、それなりに開けたイメージがある。それでも都会と呼ぶには値せず、せいぜいが中都市といったところだ。

 しかし、そこから快速列車に十分ほど揺られれば、高層ビルが林立する臨海都市に出ることができる。

 その海沿いの一画に国内最大規模のシティホテルが存在していた。

 採算を度外視して建築されたこの施設は円卓を始めとする秘術組織の人々のために用意されたものだ。

 一般客も入らなくはないが上層エリアは常に貸し切り状態になっていて、平時はほぼ無人である。

 ホテルを運営管理しているのは、この地方を拠点とする秘術組織、東条家だ。彼らは国内では最大規模を誇る組織で、組織間の会合が開かれる時のために、ここを用意していた。

 現在、ホテルの最上層区画には円卓本部より派遣されてきた人々が滞在している。

 実戦部隊はもちろんだが、裏方を務める非戦闘員も大勢含まれていて、今は技術者らしき者たちが慌ただしく走り回っていた。

 おそらくは回収された機械人形マシンドールの残骸を円卓本部のラボへと輸送するための準備に忙しいのだろう。

 あの後、レジナルドは一言も口を開かないまま、今は自室にこもっている。ただし、ひとりでいるわけではない。彼は自分の身の周りの世話をさせるために綺麗どころのメイドや看護師を連れてきているからだ。

 師が何をしているのかなどマーティンにも判りきっていたが考えたくはない事柄だ。


「女に逃げるなど騎士としてあるまじき行為だ」


 思わず口に出たが、そう大きな声でもないので誰も聞いてはいないだろう。訊かれていたとしても、今さら気にすることでもないが。

 溜息を吐くマーティンの脳裏に、かつての師の姿が浮かび上がる。

 それはまさしく騎士の鑑。英雄という言葉が相応しい男だった。

 直接目にしたわけではないが、十二騎士に抜擢された時も、奢ることなく他の騎士の規範となるような振る舞いをして、数々の難事件に立ち向かい、危険な怪物を数多く仕留めたと聞く。

 実際、マーティンが弟子入りしたばかりの頃は、レジナルドはまだ噂通りの英傑だった。

 それが変わってしまったのはいつ頃だろうか。

 切っ掛けは先代のアーサーの前で行われた御前試合にて、若き騎士カーライル・ライルに敗れたことだったように思う。

 後日、師の雪辱を果たそうと、マーティンは修行を積み、見事カーライル・ライルを試合にて打ち負かしたが、それは師の自尊心をさらに傷つけただけだった。

 若き騎士達の台頭に衰えを感じたことが原因であるならば、それには同情めいた気持ちにも感じるが、同時に失望もさせられる。

 真夏が指摘したとおり、今のマーティンはレジナルドを超える実力を身につけているが、それこそ師の指導の賜物だ。むしろ、弟子をそこまで鍛え上げた自らの手腕を誇りに思ってもらいたいと思うのは当然だろう。


「人は変わるということか……」


 マーティンも知らぬわけではない。人は様々な理由で変わっていく。

 彼の伯父は真面目な小役人だったが、ギャンブルに手を出して身を持ち崩した。

 かつて肩を並べて戦った十二騎士のイグダーは、実戦で年端もいかぬ少女に後れを取ったことで酒に溺れるようになり、作戦行動中、実力を発揮できずに戦死した。


「人の心とはかくも弱いものなのか……」


 陰鬱な表情でつぶやくが、同時に疑問が浮かび上がる。


「なら、あの娘はどうして変わらぬのか……」


 初めて出会ったあの夜、真夏の瞳に宿っていたのはどこまでも冷ややかな光だった。

 なにもかも失い、絶望していたのは間違いない。

 それでも躊躇うことなく刀を振るい、先刻再会したときには、すっかり以前の彼女に戻っていた。


「彼女こそ、変わらずにはいられない理由があったはずだ。それでも変わらずにいられるとするならば、その強さはどこから……」


 ひとりごちたところで自分が目的の場所に辿り着いていたことに気づく。

 思索を打ち切って苦笑いを浮かべると両開きになった豪勢な扉をノックした。

 チャイムの類いが付いていないのは円卓の騎士などという古めかしいイメージにホテル側が配慮した結果だろうか。どうでもいいことを考えていると、すぐに中から声が返ってくる。


「入りたまえ」


 威圧的ではないが貫禄を感じる声だ。

 扉を開けて中に入る。室内はどことなく王の間を連想する広い部屋だ。南側には高い天井まで届く大きな窓が並び、その前に声の主が立っていた。

 青い瞳を持つ白人の男性で年の頃は四十に届くかどうかだが、全身に生気が漲っており、実年齢以上に若々しい。日本人から見れば長身だが、それほど大柄ではない。

 騎士の頂点に立つ者でありながら、周囲を威圧するようなところはなく、穏やかな紳士といった印象を受ける。

 今は正装しておらず、ビジネスマンのように品の良いスーツを身につけているため、なおさらその印象が強い。

 それでも、見る者が見れば、その身体が鍛え抜かれた戦士のものであることに気がつくだろう。

 彼こそが、当代のアーサーだった。

 代々受け継がれるその名を持つことこそが円卓を統べる者の証だ。十二騎士のひとりにも数えられるが、彼だけは他の騎士と対等ではない。

 それは単に円卓の王というだけでは留まらない。この世界で、どれほどの地位や権力を手にした者でも彼にだけは逆らえない。つまり、彼こそが世界で唯一の覇者ということだ。


「報告は聞いた。レジナルド卿にも困ったものだな」


 開口一番、アーサーはそれを口にした。

 マーティンは小さく溜息を吐く。いかに師が堕落したとはいえ、反逆者として処断されるのは忍びない。

 やむを得ず弁明を行おうと口を開きかけるが、アーサーはそれを手で制した。


「いや、心配は無用だ。彼女からなにも言ってこない限り、問題にするつもりはない」


 それを聞いてマーティンは安堵した。真夏が円卓に抗議してくることなどまずあり得ない。もし仮にレジナルドが邪魔になったならば、円卓に任せることなく実力で排除するだけだろう。

 この世に世界の覇者たるアーサーを怖れない唯一の例外がいるとすれば、それが彼女だった。

 その事実をどう捉えているのか、アーサーは姪の話でもするかのように、その話題を口にする。


「ところで、どうだった? 彼女の様子は」

「私が最初に出会った夜とは、当然ながら印象が異なっていますが、むしろ資料で見たとおりの彼女に戻っているようです」

「そうか。一度くらい会っておきたいところだが、会うと嫌な顔をされそうだからな」


 嘆息すると、アーサーは大きな窓の外に広がる景色へと目を向けた。

 マーティンは、ゆっくりと歩み寄って、その隣に並ぶ。西日を浴びて輝く街並みは、任務で世界中を渡り歩いているマーティンの目にはこぢんまりとしたものに見えたが、それでも調和を感じ、素直に美しいと想える。


「東条家のお膝元……か」


 なんとはなしに呟くと、アーサーも同じ景色を見下ろしたまま問いかけてきた。


「マーティン、君は東条家の成り立ちを知っているかね?」

「いえ……?」

「彼らの始祖たちは、いずれ未来に現れる神なりし者を迎え入れるべく組織を立ち上げたそうだ」

「神なりし者……ですか?」


 マーティンは神という言葉に眉をひそめた。

 この世界には事実として神なるものの声を聞き、その力を借りて奇跡の技を行使する者も存在しているが、魔術師たちの見解に寄れば、その神の正体は信仰という共通認識がアイテールに作用して生じた力の集合体とされている。

 もちろん神を信じる人々は、これに激しく異を唱え、彼らと魔術師たちは水面下で根深い対立を続けている。

 一方で世界を構築する法則システムには負のアイテールが増えすぎた場合に、それを浄化するために出現する『神獣』と呼ばれる破壊神のごとき存在が確認されているが、こちらは負のアイテールを生成し続ける反作用として生じたもので、本当の意味での神とは無関係だと考えられていた。


「神の実在の真偽はともかくとして、ディストピアは神獣の現出を招いてしまった世界だ。それと再び事を構えるとなると、最悪それにまつわる存在と対峙することになるやもしれん」

「まさか、それは……」


 アーサーは無言でうなずくとマーティンに向き直って続ける。


「この事件、おそらく我らの手に余る。彼女の力が必要だ」

「協力を要請するのですか?」


 マーティンのと問いにアーサーは首を横に振る。


「いや、我々が彼女に協力する形を取るのが理想だろう」

「それは……」


 考えるまでもなくレジナルドが承服するはずがない。もちろんそれはアーサーにも分かっていたのだろう。


「これより君は彼女と行動を共にしたまえ。もちろん必要に応じて支援は最大限に行う」

「しかし、彼女の方が承服するかどうか……」

「ならば、まず地球防衛部の信用を得ることだ。どうせ彼女は彼らと行動を共にする」


 それもまた容易なことには思えなかったが、マーティンとしても彼らには興味があった。

 先刻、レジナルドが泉川希枝を連れ去ろうとした時、赤毛の少年は師に

 マーティンはその姿に騎士の理想を見た気がしたのだ。

 ゆえに断る理由など始めからなかった。


「了解しましたアーサー。勅命、謹んで拝命いたします」


 恭しく一礼するとアーサーは満足げにうなずいた。

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