第30話 見た目は大事

 目覚めた希枝は、まず自分が部室にいることに驚いた。

 意識を失う直前の記憶は、レジナルドという騎士が怖ろしい勢いで斬りかかってきたところまでだ。反射的に大金槌ハンマーでガードしたものの、信じ難い衝撃を受けて意識が飛んだ。

 一緒にいた火惟の実力は知っているが、ひとりであの連中に対処できたとは思えない。部長たちが助けてくれたのだろうか。

 どうにも頭がぼんやりして思考がまとまらない。それでもなんとか身を起こすと、黒髪の少女が希枝の顔を覗き込んでいた。


「まだ動かない方がいいわよ。霊質を揺らされたみたいだから」


 相手がなにを言ったのか希枝は聞いていなかった。思考が停止して背中に冷たい汗が噴き出す。自分でも驚くほどの速さで跳び上がると全力で部室の扉を目指した。

 だが、黒髪の少女――真夏はそれ以上の速さで扉の前に回り込むと残忍な笑みを浮かべる。


「うふふふ……逃がさないわよ」

「ひぃぃぃっ!」


 希枝は尻餅をついて震えあがった。人造人間でも腰が抜けるのだと初めて知ったのはこのときだ。


「なんでいきなり脅してんだよ、お前は」


 横から歩いてきた火惟が丸めたポスターで真夏の頭を叩く。ポカリという間の抜けた音がして彼女は「痛いッ」と呻いた。

 状況が理解できず茫然としていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「大丈夫? レーミア」


 古い名前を呼ばれてふり返ると、思ったとおりの人物が重たそうなカバンを頭に二つ乗せて立っている。それは千里だったが、希枝はまだその名を知らない。


「それ、首痛くねえのか?」


 呆れたように火惟が訊くと、千里は真面目な顔で答える。


「楽な持ち方を研究していくと最終的にこうなった」

「なんでだよ……」


 心底理解できないといった様子の火惟。

 理解できないのは希枝も同じだったが、なんといってもまずはこの状況が理解できない。

 混乱の極みにある希枝に向かって真夏が一歩踏み出す。


「ひぃぃぃっ!」


 再び震えあがって悲鳴をあげる希枝を見て、火惟は再びポスターで真夏の頭を軽く叩いた。


「お前はいったい彼女になにをしたんだ? なにを?」

「失礼ね。なにもしてないわよ。そもそも今日が初対面なんだから」


 不満げに口を尖らせるが、火惟は疑念に満ちた目を向けたままだ。


「真夏が言っていることは本当」


 フォローするように千里が言ったが、続きが良くない。


「彼女がなにかされるのはこれから」

「なにもするなっ」


 火惟がまたもや丸めたポスターを振るうが、真夏は今度はひょいとかわして素早くポスターを奪い取った。


「いい加減になさい」


 逆にポスターを振り下ろす真夏。素早く火惟は身を引いたが、そばにあった会議テーブルが真っ二つになる。


「あっ……」


 やってしまったという顔をする真夏に、火惟は引きつった顔を向けた。


「お前、俺を殺す気か……!?」

「いや~、よく斬れるわね、このポスター」

「なんでそれで机が斬れるんだよ!? つーか、昔も粗末な鎌で怪物を斬り刻んでみせたけど、つまりはそういうことか!?」


 声を張りあげる火惟に千里がしたり顔でうなずく。


「そのとおり。真夏は世界最強の刀を持っているけど、ハッキリ言ってなんの意味もない。どんな得物でも、なんだって斬れるから」

「意味はあるわよ」


 反駁してテーブルの上に無造作に放り出していた刀剣用キャリーバッグを開けると、たった今話題に上った世界最強の刀とやらを取り出してみせる。


「見てちょうだい」


 そう言って柄を握ると、キュポッという間抜けな音を響かせて、それを鞘から外した。


「刃がねーじゃねーか」


 見たままを口にする火惟。


「実はこれはバカには見えない刀で……」

「嘘こけっ。外れ方からして間抜けだったじゃねーか」

「ちっ」


 舌打ちすると真夏は柄を鞘にはめ直して、あらためて抜刀してみせた。

 今度は涼しげな金属音を響かせて、わずかに透き通った美しい刀身が現れる。


「お前……」


 火惟は強ばった顔を真夏に向けた。得意げに笑う真夏。


「やっぱり手品師だったんだな。それでさっきもあいつの大剣を……」

「違うわよ!」


 期待外れの反応に拗ねたように睨みつけてくる。


「この刀は担い手の魂を刃に変える武器なの!」

「魂を刃に?」


 なんとなく凄そうな話に思えるが、火惟にはピンと来ない。

 それを見て千里が補足した。


「魔法武器は数あれど、この世で最強と呼ばれる武器は魂を持つ武器と相場が決まっているのだ。そう、一ドルおよそ二九三円」

「円相場かよ?」


 一言ツッコミを入れたあと火惟は真夏に向き直る。


「けど最強の武器なんてなくても、なんでも斬れるんだろ? じゃあ、やっぱり意味ねーじゃん」

「はぁ……これだからものの価値の分からないガキは……」


 盛大に溜息を吐く真夏。もちろん火惟は言ってやった。


「そのガキはお前と同い年だよ」

「心がガキなのよ。この刀の美しさが分からないなんて」

「お前の言ってる意味って、結局見た目が良いとかそーいうのかよ」

「見た目は大事でしょ。大羽くんだって巨乳美人が好きなわけだし」

「…………」


 言葉が出なかったのは、それが見事に真夏自身に当てはまっていたからだが、たぶん言った本人に自覚はない。

 火惟は心底呆れたように肩を落とすと、置いてけぼり状態になっていた希枝に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。


「悪いな、このバカな女は俺の友達なんだ」

「友達をバカって言うなんて酷いわね、オオバカカイ」

「カが一個余計だよっ」


 ふたりのやりとりを見ているうちに、希枝も多少は冷静さを取り戻す。

 どうやらふたりは仲の良い友人らしい。とくに火惟は、この春引っ越してきたばかりだと言っていたので、おそらくはあの町の住人だったのだろう。

 だが、それはつまり、希枝は火惟にとっても……。


「怖がらなくていいわ。わたしはあなたのことは恨んでいないから」

「え?」

「そもそも、あなたはあの場にいなかったじゃない」

「で、ですが……」


 希枝は躊躇いつつも続けた。


「屋敷の場所や布陣を仲間に告げたのはわたしです」

「そう」


 真夏は穏やかにうなずくと、気後れした希枝の様子に気づいてか、さらに柔らかい口調で言い足してくる。


「当時のあなたの立場なら、それも仕方のないことでしょ。そうしろと言われて断れる立場にはなかったはずだし」

「でも、そのせいであなたは……」

「あなたがそうしなくても、たぶん結果は変わっていないわ。それに、その時のあなたは泉川希枝じゃなくてレーミアだったのじゃないかしら?」

「それは……」

「だけど今のあなたはもうレーミアじゃない。自分の意思で生きることを知った泉川希枝なのよ。だから、あの頃のことはもう忘れなさい。せっかく生まれ変わったのに、つまらない痛みを引きずって未来に影を落とすのは、もったいないわよ」


 温かい言葉が胸に染み入り、希枝の涙腺を刺激する。気がつけば熱い雫があとからあとからこぼれ落ちていた。


「悪夢さん……」


 ずっとそう記憶していたせいで、思わずおかしな名前で呼んでしまう。


「いや、真夏よ。少女坂真夏」


 名乗ったあとで真夏はふと得心したようにうなずいた。


「そういえば、離れた場所の情報を見聞きできるのよね。そっか、それであのときのアレを見ていたのね。……なるほど怖がられるわけだわ」


 繰り返しひとりでうなずく。それをジト目で見ていた火惟は、希枝に向き直ると溜息交じりに告げた。


「よく分かんねえけど、人造人間っていうのは本当だったんだな」


 今まで隠していた自分が悪いのだが、それでもやはり彼に知られたことはショックだった。


「いや、実はデマカセだ。わたしたちが人造人間だというのは中二病的設定に過ぎない。ようするに思春期の若者にありがちな妄想だ」


 場を混乱させそうなことを言いだしたのはもちろん千里だ。もっとも火惟はさすがに騙されなかった。


「そっちがデマカセだろ。つーか、中二病ってなんだ?」

「どうやら、我々の言語をこの世界に浸透させるには、まだまだ時間がかかりそうだぞ、希枝よ」


 言ってることは意味不明だが、人間の名で呼んでもらえたことは素直に嬉しい。


「泉川はともかく、こいつの方は、なんか人造人間って気がしないな。言うことが相当変だし、むしろ宇宙人みたいだ」

「心外だな、オオバカ」

「大羽だ」


 ふたりがバカなやりとりを続ける横で真夏が希枝に手を差し伸べてくる。怖々とその手を取って立ち上がると、ほぼ同時に部室の扉が開いて咲梨たちが現れた。


「あれ?」


 部室にいるのが意外だったのだろう。咲梨が驚いた顔を見せるが、後ろのふたり――北斗と華実は中の顔ぶれを見てさらに驚いていた。


「真夏?」

「真夏お嬢さん?」


 目を丸くするふたりに真夏がバカ丁寧に頭を下げる。


「お邪魔してます」


 一方千里は、いつの間にか奥のパイプ椅子に足を組んで座っていて、どこか不敵な笑みを浮かべている。


「どうやら役者が揃ったようだな。それでは始めようか」

「えーと、なにを?」


 部で一番エキセントリックなはずの咲梨が、普通に戸惑いを見せていた。まったく気にせず千里が続ける。


「もちろん、推理ショーだ」

「なんでいきなり探偵なんだよ?」


 火惟がツッコむがもちろん効果はない。


「悪魔のような御業で会議テーブルを容赦なく惨殺した犯人はこの中にいる」


 千里の宣告を聞いて、咲梨はようやくテーブルの有様を見て声をあげた。


「ちょっと、なによこれ!?」

「斬り口を見れば分かるとおり、凶器は丸めたポスター」

「分かるか、んなもん」


 もっともなことを言ってから、火惟はいつの間にか自分の手にその凶器が握らされていることに気がついた。


「ホント、素早いな、お前!」


 真夏はそっぽを向いて素知らぬふうを装っている。


「真犯人は――」

「いや、もう判りました。こんなことができるのは真夏お嬢さんだけです」


 口にしたのは北斗だ。

 おかしなやりとりについて行けずに、しばらく立ち尽くしていた華実は、会話が途切れたところで我に返ったかのように真夏の方へと歩み寄った。


「どういうことか、説明してくれるかしら?」

「そうね、お互いに」


 笑顔でうなずく真夏を北斗は痛ましげな顔で見つめていた。

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