第29話 熱く生きたい

 泉川希枝は人間ではない。

 裏社会の人々がディストピアの名で呼ぶ異世界で造られた人造人間だ。

 型式番号PS-101D。タイプ・レーミアと呼ばれる量産型で偵察及び探索を目的として造られた量産型だった。

 今よりおよそ一年前に裏社会を震撼させた事件の関係者で、事件のドサクサの中で逃走し、運良くこの世界の善良な夫妻に拾われ、養女として迎えられた。

 泉川希枝はその時に授かった名前だ。

 養父たちは裏社会にある程度のパイプを持っており、そのツテもあって無事に一般社会に融け込んだ希枝は、この春に晴れて高校生となった。

 本来、量産型であるタイプ・レーミアには自由意思以前に自我を持つことさえ許されていない。生まれてすぐに刷り込まれる疑似記憶に従って国家のためにのみ活動する生きたロボットに過ぎなかった。

 しかし、希枝にはロールアウトした直後から自我が存在していた。もちろんこれは本来の仕様に無い機能。つまり希枝はエラー品だったのだ。

 もしそれを誰かに知られれば、即座に処分されるのは確実だった。

 だから彼女は自分に心があるのをひた隠しにし、それこそロボットのように黙々と任務に従事し続けた。

 そんな希枝が、この世界で生まれて初めての自由を手にした時、感じたのは漠然とした戸惑いだった。

 国家から解放されることなど、夢にも思ってもいなかった彼女には、まず自由の価値が解らなかった。あらゆる重圧から解放されてホッとしたのは間違いないが、どこか心細くもあったのだ。

 与えられる使命もなく、自分が何をしていいのか分からず、しばらくは惰性のように動いていた。

 それでも養父に勧められるままに高校に入学した時、なにかを始めるべきだと考えて部活に入ることに決めた。

 もちろん運動部では力を制限するのが難しいため、文化部をあたることに決めて、文化部棟に足を運ぶ。

 そこに、彼がいた。

 大羽火惟――それは希枝の初めての友達で、戦友で、秘かに淡い想いを寄せる初恋の人だった。

 希枝と同じく真新しい制服に身を包んだ火惟は、たまたまそこで出会った希枝に問いかけてきた。


「なあ、君。地球防衛部の部室がどこか知らないか?」

「なんですか、それ?」


 無感動に――実際にはそんなこともないのだが、ずっと感情があることを隠していたため、感情を表現するのが苦手だった――問い返す希枝に、火惟は苦笑した。


「知らないのなら、まあ当然の反応だな」


 ひとりで勝手に納得したあと、軽く首を捻りながら説明する。


「いや、そういう俺もよくは知らねえけど、その名の通り地球の平和を守る部活らしいぜ。新入部員募集のポスターを信じるなら――だけど」

「地球の平和? 軍隊ですか?」


 希枝の祖国でも軍部は世界平和のためというスローガンを当たり前のように掲げていた。もちろん、建前以上のものではなかったが。

 しかし高校の部活が軍隊なはずもない。幸い火惟は冗談と受け取ったらしく笑いながら言葉を返してきた。


「軍隊だったら意味はないな。俺がなりたいのは正義の味方なんだ」

「正義の味方?」


 祖国は正義という言葉も好んで使っていた。もちろん祖国どころか、希枝が知る限り、あの世界には正義など存在しなかったが。


「子供染みてるだろ?」


 自分で言ったあと、火惟は窓の外に遠い目を向けた。


「けど、俺はそういう生き方をしてみたいんだ。損得なんざ関係なく、やさしい誰かを守るために、ただ全力を尽くす」


 熱っぽく語る火惟に希枝は不思議そうな顔を向けた。彼の考え方を特殊と捉えたわけではない。ただ、このときの希枝には自分の意思で何かに真剣に打ち込む人間の気持ちが理解できていなかったのだ。

 だから、ごく自然に訪ねた。


「どうしてですか?」


 聞きようによっては突き放すかのようなこの言葉に、火惟は気分を害することもなく律儀に答える。


「理由はいろいろあると思う。生まれ持った性格とか、ガキの頃に見たテレビの影響とか、自分が前にそんな奴に助けられたことがあるとか、まあいろいろな。けど、今はそんなことを忘れちまいそうなくらい、一つの衝動で胸がいっぱいなんだ」


 照れた様子も気負った様子もない。火惟の笑顔はどこか誇らしげでさえあった。


「衝動?」


 問いかける希枝の瞳を火惟が真っ直ぐに見つめてくる。微かに心音が高鳴るのを自覚したが、その理由に察しがついたのは、ずっと後のことだ。

 胸を張って火惟が答える。


「熱く生きたいんだ。誰よりもずっと」

「熱く……」


 魅入られたように火惟を見つめる。受け止めた言葉そのものが、もう熱を帯びているようだった。

 熱い衝動という言い回しは知っていたし、漠然と理解もしていたが、それはこれまでの人生の中で希枝が一度も抱いたことのないものだ。

 ディストピアでは、ただ死にたくないから生きていた。ここに来てからは生きているから生きていた。

 しかし、そんなものは本当の意味では生きているとは言えない。生きながら死んでいただけだ。

 そんな自分の心理を言葉として理解したのは後のことだったが、この瞬間、希枝の心には確かに火が灯ったのだ。

 自分も熱く生きたい。目の前のこの男のように。心の底からそう思った。

 それが火惟とともに地球防衛部の部室の扉を叩いた、希枝の入部動機だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る