第22話 科学者ふたり
突然の来客は開口一番こう言った。
「自分が何を造ろうとしているのか、あなたは本当に解っているの!?」
非難がましい――というほどには悪意は感じないが、目の前のその女は嘆くような瞳を
その女は夏実が唯一自分以上と認める存在、霊子科学の申し子とされる天才だ。
名前は
立場上、こんなふうに、よその国においそれと足を運べる身の上ではないはずだが、あらゆる監視の目をくぐり抜けて夏実を訪ねてきたらしい。もちろん、かいくぐったのは自国の監視ばかりではなく、この国の監視網もだ。
夏実もまた厳重な警備下、あるいは監視下に置かれていたのだが、どうやらこの女にとって、この程度の芸当は朝飯前のようだ。
とりあえず苦笑して夏実が答える。
「それは楽園計画のことを言っているのかしら?」
「ええ、まさしくその話よ」
「それならば、もちろん誰よりも理解しているわ」
楽園計画――それは文字どおり、すべての人類を幸福に誘うための計画だ。
その楽園は人造の魂を持った巨大な人工知能セレナイト505によって管理され、そこに接続した人間には現実すら凌駕する仮想世界が与えられる。
仮想世界は接続した人間の深層心理によって構築され、どのような形にも自在に変化するのだ。
ある者にとっては現実世界の延長。
ある者にとっては外宇宙にまで人類が進出したSFさながらの世界。
またある者にとっては魔法が実在する幻想的な世界として構築される。
もちろんそこにあるすべては住民も含めて現実ではないが、接続した人間がそれに気づくことは決してない。それは違和感を感じられないように意識を操作されているのではなく、その仮想世界が本当の意味で現実さながらだからだ。
そこで出会うすべての人間は本物の人間と同じように思考し、彼ら自身自分たちが作り物であることに気づくことはない。
世界にはあらかじめ用意された歴史が存在し、ある意味ではそこは人の手が造り出した新たな宇宙とさえ呼べるものだった。
現実と異なるのは、そこに接続した人間の人生はセレナイトによって制御され、どんな望みであれ必ず叶うということだ。
人道的な望みはもちろんのこと、邪悪な欲望や退廃的な願望であっても、すべてが例外なく成就する。
もちろん、あまりに容易く叶ってしまえば、人間はかえって興ざめするため、適度な困難や試練が用意されるが、それは必ず乗り越えられるようにできていた。
そして接続した人物がじゅうぶんに満足した時点(多くの場合は寿命を迎えたところ)で、世界は再びその時点での深層心理に応じて再構築される。それは以前と同じような世界かもしれないし、まったく別の世界かもしれなかった。
繰り返される終わりなき幸福のループ。どんな夢も叶い、どんな愛も成就する永久の楽園。それが月面都市セレナイトなのだ。
ただし、都市とは言っても、そこに生者は存在しない。
セレナイトに接続し、楽園に入り込むためには肉体を捨てなければならないからだ。
当然ながらこのとき、記憶さえ手放さなければならないが、この行き詰まった世界では、それでもなお楽園に行きたがる人間が意外なまでに多かった。
希望者は世界中から集められて、現在でもすでに数百万の人間が予約をすませている。
もちろん目の前の女も、そんなことは百も承知のはずだが、それでも彼女は首を横に振った。
「それは楽園じゃない。人類の墓場よ」
言い放たれた言葉を、夏実は笑みを浮かべたまま受け止める。それを見て愛海の顔色が変わった。
「あなた、解ってて……」
口元には笑みを浮かべたまま、しばし目を伏せると夏実は軽くうなずいた。
「誰とも繋がらず、世界とも関わらず、永遠に夢を見続けるだけの楽園なら、あの世と変わらないものね」
あの世なるものが実在するのかどうか、実際のところ、魂の秘密を解き明かした今も明らかになってはいない。それでも魂が実在する以上、それに近いものがあったとしても不思議ではない気がした。
「でもね、ドクター愛海。言わせてもらえば、人類なんてものはとっくの昔に滅び去っているのよ。遺伝子プールから造られ、その遺伝子すら改造されて、目覚めた時には頭の中に社会に適合するための知識と記憶を植えつけられているわたしたちが人類だなんて、錯覚にしたってナンセンスよ」
「だからといって無価値だとは言い切れないでしょ」
愛海のこの言葉を夏実はアッサリと否定する。
「いいえ、価値なんてないわ。醜悪で退廃的で、自らの手で世界から色を消し去ってしまったニセの人類なんて」
言いながら夏実は窓の向こうに広がる灰色の世界を見つめた。
そこには空の青も、海の青もなく、大地には草木の一本も生えていない。それはまるで、これから夏実が計画のために赴く月世界のようでさえあった。
「でも、あなたは――」
言いかけた愛海の言葉を遮るように夏実が口を開く。
「解っていないのはあなたの方よ、ドクター愛海」
「わたしが?」
「こんなどうにもならない世界に、あなたはよりにもよって人間を生みだしてしまった」
「それは……」
困惑の表情を浮かべる愛海には構わず、細かな説明を加えることなく夏実は一方的に言い放つ。
「あの子だけが、この世界で唯一の人間だわ。たとえ人工的に造られたのだとしても、あの子だけが人間の条件を満たしている。それはひどく酷なことじゃないかしら?」
「…………」
愛海は何も答えなかったが、おそらく夏実の言いたいことは理解していたのだろう。もはやそちらを見ることもなく、深刻な顔をして何事かを考え始めているようだった。
結局、この後も建設的な話し合いをすることのないままにふたりは別れた。
それぞれの選択が、いずれ思わぬ形で交わることになるなど気づくこともなく。
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