第15話 都市伝説について


「お疲れ様」


 千里が告げると、真夏は淑やかな笑みでうなずいてから、もう一度水面に視線を向ける。


「さすがは陽楠市ね。霊脈の上に位置しているだけあって、出てくるマリスもスケールが違うわ」

「霊脈ってなに?」

「霊脈は世界を循環する気の流れのことよ。この陽楠市は、それが交わる土地だから、霊的な力が高まる傾向にあるの。この手の場所は怪異が多発する反面、魔術の儀式を行うには最適な場所だから、昔は組織間で奪い合いになったらしいわ。そのせいで円卓によって不干渉区域に指定されたのよ」


 当然ではあるが幸美としては魔術云々はともかく、その前の部分が気になった。


「か、怪異が多発してるの!? この町って!?」

「ええ。出現しやすいうえに強大化しやすいわ」


 なんてことのないように語る真夏だが、幸美にとっては深刻な話だ。同時に気づいたことが一つあった。


「よそより危険な場所なのに円卓はお役所仕事……なるほど、それで地球防衛部か」

「だから言ったでしょ? 怪物退治をしてるって」

「ええ……」


 生徒の大半はおかしな部活だと思ってバカにしているが、それが事実なら、彼らは本当に正義の味方だ。幸美個人はバカにしたことはないものの、おかしな部活だとは思っていた。反省の必要は大ありだろう。


「さて、用事も済んだし、そろそろ帰りましょうか」

 涼しい顔の真夏に告げられて、幸美はへなへなと近くの石に座り込む。

「悪いけど少し休ませて」

「そうね、激戦だったし」

「一方的な勝利だったし、そもそも戦ったのはあなただけでしょ」


 ゲッソリした顔で幸美が指摘すると真夏はくすくすと笑った。あらためて眺めてみても息ひとつ切らしていない。本当に同じ人間なのかと疑いたくなるくらいだ。しかし、もし普通の人間でないのなら、千里の正体を明かしながら、自分のことだけ秘密にするとは思えない。

 どちらにせよ超人には違いないが、アレだけの力を見せられてもなお、幸美の中には真夏に対する恐怖心や嫌悪感はまるで湧いてこなかった。


「少女坂さんって、不思議な人ね」

「そう?」

「わたしはさ、無力な小娘だから、さっきの怪物が本当に怖ろしかったのよ」


 水中から巨体がそそり立ったとき、幸美は震えあがってなにもできなかった。


「それなのに、あの怪物を簡単に退治してしまった少女坂さんのことが、わたしは少しも怖くないの。単純に考えれば少女坂さんのほうが、あの怪物よりも危険なはずなのに」


 やや後ろめたい気持ちで本音を口にする。それでも真夏は顔をしかめることもなく、穏やかに微笑んだままだ。


「それはわたしが不思議なのではなくて、あなたが特別だからよ」

「特別?」

「たぶん、あなたは本能的に理解しているんだと思うわ。本当に危険なのは強い力を持つものではなくて悪なるものだってことを」

「悪なるもの?」

「たとえば、あなたよりずっと弱い子供でも、ナイフ一本あればあなたを殺すのは簡単なことよ。いえ、たとえ手ぶらでも階段から突き落とすだけでも、人を殺すには十分なことだわ」

「なるほど、そう考えると強い弱いってのと危険かどうかは単純には結びつかないのね」


 納得する幸美。そんな彼女を真夏は眩しいものを見るような目で見つめた。


「こんな理屈を語ったところで、普通の人は受け入れないのよ。なにより人は未知を怖れるから、わたし達みたいな異能の力を持つ者は、それだけで怖いはず。だけど、あなたはわたしを怖れない。それはあなたが賢明なだけでなく善良である証拠だわ」

「それは持ち上げすぎよ」


 照れて視線を逸らす幸美。


「実際、愚かな円卓はそれができずに星見先輩を敵に回したわ。危険な力を持つというなら自分たちだって同じなのにね」


 真夏がその話題を口にしたことで、幸美は華実のことを思い出して顔を上げた。青空をバックに佇む緑の山の上に高圧線が走っているのが見える。なんとはなしに、それを眺めながら、思いついたことを口にする。


「千木良さんの悩みごとってなんなのかしらね」

「星見先輩が魔女と知った上で相談するってことは超常現象が絡んでいるのは確実でしょうね。例えば、今みたいな怪物を見つけてしまったとか、都市伝説の実在に気づいたとか」

「都市伝説か……」

「なにか思いつくものがあるの?」


 いつの間にか横に座っていた千里に訊かれて幸美は指折り数える。


「いろいろあるわよ、この町には――って、そういえば、この町って怪異が起きやすいって話じゃ……」


 都市伝説の内容を思い返しているうちに顔から血の気が引いていった。言うまでもなく都市伝説には怪談の類いが多い。


「人死にが出るような話なら、さすがに円卓が調査しているわ」


 気楽に言う真夏に幸美は疑念の目を向ける。


「でも、円卓ってお役所仕事でアテにならないんでしょ?」

「普通はね。だけど、ここには御角さんがいるから大丈夫よ。たとえ他の職員が協力的でなくても、星見咲梨と地球防衛部を焚きつけて早々に対処しているはずだわ」

「あの人って信用できるの?」

「ええ。御角さん本人は自分の良識に自信がなさそうだけど、あの人は絶対に悪人にはなれない人よ」

「高く買ってるのね。少女坂さんのところを抜けて、よそに行っちゃった人なのに」

「それは普通のことよ。円卓は裏社会ではエリート中のエリートで、こっちの世界の若者にとっては憧れの的だもの」

「憧れねえ……」


 ここまでの話を聞いたところ、幸美には円卓という組織があまり良いものには思えない。もちろん良くない部分があるからといって、それが円卓のすべてというわけでもないのだろうが。


「御角さんも本当は迷っていたのよ。だから、わたしは仲間たちと一緒に彼の背中を押してあげたの」

「笑顔で送り出したってことね」


 そういう話ならば抜けた相手に悪感情を持っていないのも当然だ。幸美としては、北斗の人当たりの良い笑顔が、かえって胡散臭く思えていたのだが、他ならぬ真夏が信用しているのならば大丈夫だろう。

 足下の小石を拾って幸美はそれを軽く水面に向けて放り投げる。涼しげな音を立てて水面が小さく爆ぜると、ゆっくりと波紋が広がっていった。ふと気づけば、いつの間にか周囲にはセミの声が戻っていて遠くを水鳥が泳いでいる。怪物が消えて世界は平和そのものに見えた。


「ミカド様がちゃんとやってくれてるなら、やっぱり都市伝説は本当にただの噂話ってことね」


 自分を安心させようと口に出して言うと、これに千里が反応する。


「一見、無害なものが怪しいかも」

「嫌なこと言うわね……」


 やや眉をひそめつつも、幸美はふと思い出した。


「そういえば神隠しってのがあったわ」

「なにかしら、それ? 言葉を聞く限り無害に思えないのだけど?」


 不思議そうな顔をする真夏。


「いや、本当に神隠しかどうかは分かんないのよ。なにせ被害者は翌日には必ず無傷で帰ってくるから。ただ、おかしなことに、その人たちにはいなくなっていた間の記憶がないんだって。もちろん嘘を言っているだけで、本当は短い家出かイタズラじゃないかって噂もあるんだけど」

「なるほど……一日限りの神隠しか」


 真夏が興味を持ったようなので、幸美はさらに情報を補足する。


「実際不思議な話なのよ。被害者は男女を問わず、十代の若者ばかり。この町の住人であることと年齢以外には共通点もなく、被害者同士もほぼ面識がない。彼らはある日、決まってひとりでいるときに忽然と姿を消してしまう。ある人は学校への登下校の最中。ある人は塾通いや、遊びや買い物に出かけた道中で。中には自宅から忽然と姿を消した人もいたとか。神隠しが起きる時間帯は日暮れから夜にかけてが多いようだけど、中には早朝や真っ昼間に消えた人もいるんだって」


 説明を聞きながら真夏は両膝に肘を乗せて頬杖をつく。水面に視線を向けたまま考え込むような顔を見せていた。


「確かにおかしな話ね。犯人がいるにしても動機が判らないわ」

「でしょ? なにせみんな無傷で物も盗られていない。もちろんお医者さんが調べても異常はまったく見つからない。近頃じゃ、神隠しの話自体、あまり聞かれなくなったけど、それは被害に遭っても世間体を気にして秘密にしてしまうからで、本当は今でも続いているって噂なのよ」


 実際、翌日に帰ってくるならば学校には病欠届けを出せばすむ。いくら無傷で帰ってくると言われていても、被害に遭ったことが知れれば周囲から奇異の目を向けられかねない。とくに被害者が女の子場合は、保護者もなおさら慎重になるだろう。


「最初の頃は警察も捜査を行ったらしいけど、そんな事情もあって今は何もしてないみたい。もちろん、全部噂だけど」

「たぶん事実でしょうね。彼らが怠慢なわけではなくて、そこまでおかしな事件なら御角さんが気にしないわけがないわ。たぶん、円卓が動いている。その上で未解決だとすれば――その事件、意外に根は深いかも」


 それを聞いて幸美が考えたのは、やはり華実のことだ。


「千木良さんの相談事は、それに関係しているのかしら?」

「分からないわ」


 真夏は片手で前髪をかき分けながら答えた。

 答えられるはずのないことを訊いてしまったことに気づいて幸美は自分の頭を軽く叩いた。怪物や超常の力といった、これまで縁のなかった世界にふれて自分がナーバスになっていることを自覚する。

 気持ちを切り替えようと乾いた砂利を踏みしめて立ち上がると、腕を伸ばして大きく背伸びをした。

 夏空の爽やかさを噛みしめつつ、話題を変える。


「世界は今日も美しいわね~」


 おどけて言ってみせると、隣で千里が大真面目にうなずく。


「うん、とても綺麗だ」


 口元には、はっきりと笑みが浮かんでいて、金色の瞳が空の彼方に向けられている。それは女の幸美から見ても、とても魅力的な笑みだった。

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