第14話 発想と表現が素晴らしい

 追いついてきた千里から鍵を渡されて、ようやく幸美は自分が自転車に鍵をかけ忘れていたことに気がついた。意外に気の利く千里に感心しつつ、きちんと礼を言ったあと、彼女と並んで真夏の後を追いかける。

 もっとも真夏はふたりを待っていてくれたので慌てる必要はなかった。

 危険だから帰れと言われないか不安だったが、真夏はとくに気にしたふうもなく、ふたりを先導するように、怪物が押し広げた道を軽い足取りで進んでいく。

 千里もだが、真夏は先ほど受け取った教科書を満載したカバンを提げている。見るからに重そうだが、気にしている様子はなく、ふたりとも動作は軽やかなものだった。

 幸美個人としては、ただでさえおっかなびっくり慎重に進みたいところなのだが、真夏はどんどん進んでいくので置いていかれないようにするだけで精一杯だ。

 しばらくは会話もなく――幸美に話をする余裕がなかったためだ――怪物の通過によって横倒しになった木々の跡を黙々とたどっていくと、やがて本来の進行方向とは異なる場所に続く大きな横道を見つけた。


「ここね」


 真夏はひとり言のようにつぶやくと、まったく迷いのない足取りで、そちらに進んでいく。

 背の高い木々が道の両脇に立ち並び、どこからともなくセミの声が響いている。季節柄気温も高いが流れ落ちる汗は、暑さのせいばかりではない。顔の汗をハンカチで拭ったところで、幸美はふと気づいて声をあげた。


「って言うか、あなた達なんでそんなに涼しげなの?」


 ふたりとも汗ひとつかいている様子がない。


「わたしは暑さに強いのよ。ほら、真夏って名前だから」


 あっけらかんと言ってのける真夏。理屈になっていない気もするが、とりあえずこちらは置いておいて幸美は千里に視線を移した。


「あなたは塚さんなんだから、暑いのは苦手なはずでしょ」

「塚とは墓のことだ。つまり、秋は死んだ。わたしは永遠の夏の申し子」


 またしても名前ネタで誤魔化されて不満げな顔つきになると、千里は軽く咳払いして言い直した。


「本当のところを言うと、わたしは人造人間だから平気」

「ああ、なるほど」


 幸美は笑顔でうなずいてから、即座にかんしゃくを起こしたように叫ぶ。


「ふざけないで! そんな人間ソックリの人造人間なんてあり得ますか! だいたい人造人間っていうのは、こう身体の左右が赤と青の非対称で中の機械が見えてて……」


 幸美の頭には有名な特撮ヒーローの姿が浮かんでいる。千里もそれは知っていたようで、淡々と言い返してきた。


「彼の身体は機械だけど。わたしは人間と同じで有機化合物で構成されているから」

「有機……有機野菜? オーガニックってこと? 難しい設定ね。SFかしら?」

「いや、わたしは食べ物じゃないから」


 千里が小さくパタパタと手を振って否定する。そんなふたりのやりとりを見て真夏がクスリと笑った。


「千里に気に入られたみたいね」

「そうなの?」

「間違いないわ。だって千里が自分のことを他人に話すなんて初めてのことだもの」


 真夏に言われて幸美は首を傾げる。今の会話のどこに『自分のこと』が含まれていたのだろうか。考えてみて思い当たることはひとつしかないが、それはあまりに……


「人造人間は嫌い?」


 問いかけてくる千里は真顔だった。相変わらず表情は曖昧だが、どことなく不安げにも見える。普段から冗談ばかり口にしている千里のことだから、これもまた冗談ではないかと思ったが、それにしては真夏が否定してこない。

 信じ難い話ではあるが、それを真実だと認めた上で真面目に答える。


「嫌いじゃないわ。少なくともそれを理由に、わたしは秋塚さんを嫌いになったりはしない。絶対にね」


 しっかりと告げると、千里は嬉しそうな笑みを浮かべた。普段はボーッとした顔がデフォルトだが、感情が動けば色々な表情を見せるようだ。しかも、その笑顔はあまりにも魅力的で、幸美は思わず見とれてしまった。


「他言無用よ」


 真夏に念を押されてうなずく幸美。普通は話せないような話を――むしろ一般人には話してはいけないような話を平気で聞かせてくれる真夏だったが、この件に関してはめずらしく口止めしてきた。

 つまり、千里が人造人間だというのは、やはり事実なのだろう。常識では考えられない話だが、超常の力を統べる裏社会ならば、そんなことも可能なのかもしれない。

 重大な秘密が語られたにしては深刻さのカケラもないままに一行は歩き続ける。

 道といっても怪物が通った跡に過ぎず、当然段差だらけで歩き難い。それでも進みづらい場所では真夏と千里がごく当たり前のようにサポートしてくれるので、問題なくついて行けた。

 それでもスタミナ不足だけはどうにもならず、途中で何度も休憩を挟んだが、これもまた絶妙なタイミングで真夏の方から提案してくれた。


「限界が来たら言ってね。お姫様抱っこで運んであげるから」


 何度目かの休憩のあとで真夏に告げられた時は、断固として首を横に振って自分の足で進むことを誓った幸美だが、その次の休憩であっさり音をあげて、今は千里に背負われている。

 ことさら真夏のお姫様抱っこを断ったわけではないのだが、自然とこういう流れになった。おそらくは小柄に見えても人造人間である千里の方が、真夏よりも力持ちだからだろう。もちろん千里の荷物――教科書満載のカバンは真夏が提げている。

 両手に重たい荷物、肩には刀剣用のキャリーバッグと見るからに動きづらそうだが、やはり当人は気にした様子もなく、すいすい進んでいく。

 歩き始めてから、いったいいくつの山を越えたのか。せいぜい二つか三つだろうが、幸美としては六つも七つも越えたように思える。それでもようやくゴールらしき場所に辿り着いたようで、突然視界が開けて静かな水面が姿を現した。

 湖というほどでもないのだろうが、そう呼びたくなるような広々とした池だ。岸辺の砂は白く、水は澱みのない綺麗な青で、夏の陽射しを浴びてキラキラと輝いている。こんな場所が山の中に隠れていたことを初めて知った。

 美しい風景に心を奪われて千里の背中から降りると、足の疲れも忘れて水際に向けて駈け出していく。

 このとき幸美は、あれほどやかましかったセミを含め、野生動物の声が一切聞こえなくなっていることに、まったく気がついていなかった。


「危ないよー」


 背後から真夏ののんきな声が聞こえるが、声のトーンのせいもあって危機感を抱かない。


「なにが?」


 それでもふり返ると、真夏は両手の荷物を地面において、肩にかけていた刀剣用キャリーバッグから愛刀を取り出すところだった。

 しばらくキョトンとして見ていたが、理解が追いついてくると全身からどっと冷や汗が噴き出してくる。

 背後で轟音が轟いたのは、次の瞬間だった。

 反射的に振り向くと、いくつもの水柱が天に向かって高々と延びていく。

 水しぶきが雨のように降り注ぐ中、微動だにできない幸美の前で、水柱の中から見覚えのある竜頭を備えた巨大な首が姿を現すのが見えた。それも一本や二本ではない。


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 美少女にあるまじき悲鳴をあげながら大慌てで真夏たちの方に駆け戻ると、錯乱したように捲し立てた。


「で、出た、出た、出た、少女坂さんっ」

「六本首の邪竜か」


 相変わらず緊張感のない真夏の声を聞きながら、もう一度怪物に視線を戻すと、どうやら首の数は五本で、それぞれの首は亀のような巨大な身体から生えているようだった。


「うん? 六本?」


 幸美が訊くと横から千里が答えを返してくる。


「頭の一つは昨日潰したから、一本は尻尾みたいになってる」


 言われて観察すれば、確かに首の一本は水面に浮かんでいて、その先がなくなっていた。


「か、勝てるの? あれ全部に勝てるの!?」

「どうかしら?」


 首を傾げる真夏。


「こういう時はしっかり安心させてよ! わたしは最強だから、どんな怪物相手でも無双するとか言って!」

「発想と表現が素晴らしい」


 千里が感極まったように言う。真夏はふたりを庇うように前に出た。


「そうは言われても、マリスの厄介なところは実際に戦ってみるまで、能力がハッキリ判らないところなのよね」


 言葉の割には緊張感のない顔で邪竜を見上げる。その視線の先で五つの竜頭が一斉に口を開いた。歪に並んだ凶悪な牙の奥から、超高圧の水流が迸る。


「ひょえぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 またしても素っ頓狂な声をあげる幸美。戦車でさえ容易く押し潰すであろう怒濤の水圧がのしかかってきたのだから無理はない。

 しかし、真夏は慌てることなく刀を無造作に振った。それだけで襲いかかる水圧が小さな飛沫になって霧散する。


「弾き返した!?」


 唖然とする幸美だが、真夏の回答はさらに非常識なものだった。


「いいえ、水分子を塵以下に斬り刻んだだけよ」

「…………」


 しばしの沈黙を挟んで幸美はゲッソリした顔でつぶやく。


「もうなにを言われてるのか解らない」


 真夏が強いのは知っていたが、それは想い描いていた強さよりも優に頭二つは上――程度であれば、まだ素直に感動できた気がするが、これはもう完全に次元が違っていて驚きを通り越してしまった。


「千里、幸美をお願い」

「了解」


 短いやりとりをして真夏は水面の敵に向かって走り出す。どちらかと言えば大人しめの文系少女といった風体の大和撫子は躊躇うことなく水面に足を踏み入れると、そのまま水上を駆けて怪物との間合いを一気に詰めていった。

 驚く暇も無いままに幸美は千里に抱えられて横に跳ぶ。

 竜頭が再び吐き出した水流が、今し方まで立っていた場所に突き当たり、爆音とともに激しく土砂が舞い上がった。茫然とその光景を見やる幸美だが、千里は一っ飛びで尋常ではない距離まで離れており、水飛沫さえ届かない。

 一方、真夏は水面を蹴って遥か頭上、竜頭の高さまで跳び上がっていた。敵がそれに反応するよりも早く刀を手に攻撃に移る。

 一瞬にして竜頭の一つが細切れになった。崩れ落ちる残骸は水面に辿り着く前に、さらに細片と化して風に巻かれて消えていく。

 いったいどんな速さで刀を振れば、あのような芸当ができるのだろうか。これが裏社会の戦士にとって当たり前の芸当とは、さすがに思えない。


「やっぱり最強の無双ヒロインじゃないの?」


 緊張感を喪失した幸美に千里がうなずいた。


「真夏に勝てるものなんてどこにもいない。彼女を敵に回すのは逃れようのない悪夢に直面するに等しい」

「悪夢……か」


 幸美にとっては竜頭との遭遇がそれだったが、その怪物にとっては真夏が悪夢ということだ。

 怪物はもはや幸美たちに構う余裕を失くしている。

 残る首を空中の真夏に向けるが、真夏は空中でさらにステップを踏むと、またもや頭の一つを解体した。


「少女坂さんって空が飛べたの?」

「あれが真夏の幻想能力ファンタジア。思うがままに空中に足場を作れる能力ってことになっている」

幻想能力ファンタジアか……。空中を歩けるなんてメルヘンチックで羨ましいけど……」


 少し話し込んでいる間に戦いは早くも終わりかけている。

 優雅に空を舞う大和撫子は最後に残った竜頭も容赦なく寸断すると、そのまま水上の胴体に向かって頭から落ちていった。もちろん意図的な落下だ。

 激突の瞬間、刀を振ると亀にも似た巨大な甲羅が真っ二つに裂け、頭をすべて失った怪物は悲鳴をあげることもできないまま水底へと没していく。

 ふわりと水面に着地した真夏は、しばらくの間、沈みゆく怪物を見つめていたが、それが完全に滅びたことを確認すると、刀を鞘に戻して踵を返した。

 静寂を取り戻した水面をゆっくりと歩いて幸美たちのところに戻ってくる。風に揺れる長い黒髪が陽光を浴びてきらめいていた。その姿は幻想的なまでに美しくて幸美は思わず見惚れてしまった。

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