第12話 ようこそ地球防衛部へ

 地球防衛部のある文化部棟は陽楠学園の中でも一際目を引く豪華な建築物だ。

 一見すると美術館か何かのようで、大きなガラス戸をくぐると中は吹き抜けのホールになっている。左右には曲線を描きながら上へと続く階段があり、ハッキリ言って部活のための施設には見えない。

 噂に寄れば卒業生の寄付金によって建てられたとかで、完成したのはこの春のことだ。

 建物に入った瞬間、華実は奇妙な感覚に襲われ、その原因を探して周囲を見回す。


「ド田舎から上京してきた田舎娘みたいよ」


 幸美の指摘に華実は赤面した。


「いや、なんていうか圧倒されちゃって……」


 とりあえず言い訳を口にすると、幸美もぐるりとホールを見回した。


「まあ、気持ちは分かるわ。わたしも田舎者だから、こんな建物は目にすること自体希だし」

「ええ、本当に」


 うなずく華実の言葉は嘘ではないが、気を取られていたのは別の理由だ。もっとも口で説明するのが難しかったので、とりあえず黙っておく。

 北斗は職員室に用事があるというので、ここまでは幸美に案内してもらったわけだが、これ以上は巻き込むことになりかねない。


「幸美、案内ありがとう。ここからはひとりで大丈夫だわ」


 なるべく突き放すような印象を与えまいと穏やかに告げる。


「うん。右側の階段を上がって突き当たりだから」

「了解」


 軽く手を振って別れると、華実は手すりの付いた階段を上って二階に向かう。

 広々とした廊下には行き来する生徒の姿がまばらで、グラウンドからは運動部員の声が聞こえ、吹奏楽の音色がどこからともなく響いてくる。

 平和な日常の風景。おそらくは彼らにとっては青春の一コマなのだろう。

 華実にはそれがひどく遠いもののように思える。


「この世界に生まれていたら、わたしもそこに混ざれたのかな」


 無意識につぶやくとガラスに映った自分の顔を見て頭を振った。どうにも弱気になっている気がする。表情を引き締めると、あとは脇目も振らず真っ直ぐに目当ての場所に歩いていく。

 そこには木製の扉にプレートが掛かっており、丁寧な字で地球防衛部の文字が書き込まれていた。

 深呼吸をして軽くノックする。


「どうぞ」


 聞き覚えのある声。昨日、体育館の裏で出会った上級生の声だ。名前は星見咲梨。正義感の強い稀代の魔女だと聞いている。

 このとき華実には、この扉が日常と非日常を隔てる境界線に思えていた。ここを越えればもう後戻りはできない。終わりの始まりに続いているのだ。


(望むところよ)


 胸の裡でつぶやいて扉を開ける。


「失礼します」


 木製のドアがなめらかに開くと、明るい陽射しに満ちた室内の輝きが目に飛び込んできた。一瞬だけ目を細めて入室するとドアを後ろ手で閉めて室内の様子を観察する。

 思ったよりも広々としており、東と西に窓がある。壁は白く、床は綺麗に磨き上げられた板張りだった。

 中央には会議テーブルが置かれ、その一番奥に星見咲梨が涼しげな笑みを浮かべて座っている。


「ようこそ、千木良華実さん。あなたが来ることは幸美さんから聞いていたわ」


 咲梨はテーブルの上から一枚の用紙を手にとって立ち上がると、それを華実に差しだした。


「ひとまず用件をここに書いて、下に学年クラスと名前を書いてちょうだい」


 華実は受け取って紙面に目を落とした。すぐに不自然な段差があることに気づいて、そこを爪でめくる。


「ああっ」


 慌てたように声を上げる咲梨。

 用紙の下に隠されていたのは地球防衛部への入部届だった。

 無言のまま華実が疑念に満ちた目を向けると、咲梨はあたふたしながら言い訳してくる。


「いや、それはその、ちょっと騙して入部させようとしただけで……」

「そのまんまですね」


 冷ややかな声で告げる。


「いや、実はうちの学校、部活の存続条件に部員数が五名以上ってのがあるんですよ。今は友達に頼んで幽霊部員で水増ししてるけど、最近悪の生徒会の突き上げがキツくて……」

「それで見ず知らずのわたしを騙して入部させようと?」

「それはなんて言うか……あなたは魔力所持者で組織の人とも面識があるらしいから、戦力として有望かな~って」

「他をあたってください。わたしも他をあたります」


 言って踵を返すと、咲梨は慌ててすがりついてきた。


「待って! お願いだから見捨てないで! 部員が揃わないと大会にも出られないの!」

「大会?」


 華実が振り向くと、咲梨は大まじめに言った。


「地球防衛大会よ。今年は優勝を目指します」

「さようなら、頭のおかしい人は間に合ってます」


 扉に向き直って出て行こうとするが、咲梨は必死になってしがみついてくる。


「ごめんなさい、今のは冗談だけど、部員が欲しいのは本当だからっ」

「わたしにはあなたと遊んでる暇はないんです。奴らがいつまた来ないとも限らないのに」

「奴ら?」


 咲梨が素に戻ったところで、部室の扉が開き、一年生らしい少年と少女が入室してきた。


「ちぃーっす」


 詰め襟を着崩した少年が体育会系のノリで挨拶する。一年生にしては身長はそこそこ高い。肩幅はさほどでもないが夏服の袖から伸びた腕は逞しく、身体はよく鍛えてあるようだった。うろ覚えではあったが、その燃えるような赤毛には見覚えがある気がする。おそらく春の体育祭で一際目立っていた少年だ。

 もうひとりの少女は初対面のようで華実の記憶にはない。無言のまま華実に向かって軽く会釈すると、そのまま横を通り過ぎてパイプ椅子に座る。小柄で華奢な身体付きをしていて、無機的なその顔は、どこか作り物のようにも見えた。

 千里とどこか共通点があるように見える。あるいはこちらの方が千里以上に機械人形に似ているかもしれない。


「あなた達、いいところに来たわ。この娘を取り押さえるのを手伝って」


 咲梨がとんでもないことを言い出したので、さすがに焦る華実だったが、ふたりの一年生はこれに応じようとはしなかった。


「部長、これ以上、部の評判を落とすのはやめてくれよな」


 一年の男子が笑って答えると、続けて女子部員が華実に告げる。


「申し訳ありません。部長は少し頭が残念なんです」


 ふたりに揃って見捨てられ、咲梨はガックリと床に座り込んだ。


「ううぅ……なんて薄情な子達なの。騙して入部させたわたしの恩を忘れるなんて」

「あなた達も被害者ですか?」


 驚いて華実が問うと、幸いと言うべきか一年生たちは首を横に振った。


「いや、ちゃんと自分の意思で入部したよ」

「部長はその場のノリで喋ってますので、いちいち真に受けると疲れるだけですよ」


 ふたりの言葉を聞いて華実はなんとなく真夏を連想したが、こっちの部長の方がよりひどい気がする。

 深々と溜息を吐いて、ついでに華実は天を仰いだ。

 あれだけ深刻な想いを胸にして入室したのに、この展開はいったいなんなのだろうか。呆れるやら情けないやらで、正直もう帰りたくなってきていた。

 そこにもう一度扉が開いて御角北斗が入室してくる。


「おや、もうやらかしていましたか」


 開口一番そんな言葉を口にして楽しげに笑う。そんな彼に向かって華実は結構本気で問いかけた。


「この人、本当に稀代の魔女なんですか? 頼りにしていいんですか? できればこれはニセモノで本物が別にいると言って欲しいのですが」

「ニセモノ!?」


 ショックを受けて声を上げる咲梨。

 北斗は心底気の毒そうな顔で華実に告げる。


「残念ながら、この人が本物の星見咲梨です」

「そうですか」


 肩を落とす華実。


「いやいや、気持ちは分かるけど、ちゃんとやるべきことはやる人だから心配しなくていいぜ」


 一年の男子が見るからに頼もしい笑顔で保証する。華実と目が合ったところで、彼は親指で自分を指さした。


「俺は大羽おおば火惟かい


 続けて一年生の女子が名乗る。


泉川いずみかわ希枝きえです」

「わたしは……」

「千木良華実さんだろ」


 火惟に先に名前を言われて華実はやや驚く。


「わたしを知ってるの?」

「そりゃあ、君みたいな美人なら、たいていの男子はフルネームを頭に入れてるさ」


 セリフの割には異性としての華実に興味がありそうには見えない。


「とりあえず座ってください」


 北斗が会議テーブルのパイプイスをひとつ引いて華実に勧めてくる。やや迷いはしたが、結局華実は席に着いた。隣に北斗が座り、咲梨だけは未だに床の上でいじけていたが、北斗は気にすることなく話を始める。


「さて、華実さんは何か我々に相談したいことがあるとのことでしたが?」

「ええ」


 咲梨の人柄については不安はぬぐえなかったが、ここまで来て今さら後には引けない。気を取り直して華実は一同に向き直った。

 ――その瞬間だった。

 ふいに悪寒を感じて華実は身震いする。

 闇よりも濃く、氷よりも冷たい悪意の感触。もちろん馴染みはある。あり過ぎるほどに。

 それは疑いようもなく異界から訪れる神隠しの兆候だった。

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