第11話 ミカド様
いつものように自転車を駐輪場に預けてから幸美とふたりで学校へ続く長い坂道を上ると、校門で見知ったふたり組の姿を見つけた。
「少女坂さんと、秋塚さんだわ」
幸美に言われるまでもなく華実も気がついていたが、その口調を聞いた感じでは彼女にも意外なことだったようだ。
ここからでも見間違いようのない空色の髪の少女は、右手を空にかざしたままボーッと立ち尽くしている。夏の熱い陽射しを浴びながらも、噂に聞くアイルランド近衛兵か、いっそ置物のように微動だにしていない。
その傍らに立つ真夏は上級生の男子から、なにやら苦情を言われているようなのだが、困っているのはむしろ、その上級生のように見えた。
「ミカド様だわ」
幸美のつぶやきに華実もうなずく。有名人なので当然ながら知っていた。貴公子然とした甘いマスクと落ち着いた佇まいで女生徒から絶大な人気を誇る二年生だ。
名前は
日頃は常に人好きのするような柔和な笑みを絶やさぬ彼だが、今はなにやら興奮しているように見える。
気になって足早に近づくと、ふたりのやり取りが聞こえてきた。
「いったいこれまでどこで何をしていたんですか?」
「千里を連れて日本を一周りしてきたのよ」
「なんのためにそんなことを」
「実は伊能忠敬さんに対抗して日本地図を完成させようと思ったの」
「なんでこの時代になって伊能忠敬ですか? 地図なんて、そこらの本屋でも売ってるでしょ」
「それはそうだけど、その地図が本当に正しいかどうかなんて自分の目で確かめなきゃ判らないでしょ? みんな迂闊なのよ。知り合いでもない人が作ったものを盲目的に信じるなんて。だからわたしは真実を確かめるべく旅に出たの」
「……それで、地図は完成したんですか?」
「三歩で飽きちゃった」
どう見てもすっとぼけている真夏の態度に、北斗が深々と溜息を吐く。
「信じられません。まさか日本に居たなんて……。トレーサーはいったい何をしていたのやら」
「トレーサー……?」
華実がつぶやくと、それが聞こえたのか真夏がこちらを向いて手を振ってきた。
「おはよう、華実、幸美」
それを見て北斗が華実たちに顔を向ける。そのときには彼はもう、いつもどおりの落ち着いた表情を取り戻していた。ただし、真夏が次の一言を発するまでだ。
「紹介するわ。この人は三角北斗さん。円卓所属の悪者よ」
真夏の言葉に華実はギョッとしたが、北斗も似たような顔をしている。
「円卓!?」
華実と幸美が揃って声をあげたのを見て、北斗がまたしても深い溜息を吐く。
「真夏お嬢さん、どうしてそういう用語を平然と人前で口にできるんですか」
「失礼ね。平然と口にしているわけじゃないわ。喜々として口にしているのよ」
口を尖らせる真夏を見て、北斗はあきらめたように肩を落とした。それでも一言苦情を言う。
「なお悪いです」
しかし真夏はそんな言葉などどこ吹く風で華実と幸美を手で指し示す。
「そんなことより、御角さん。見てよ、この娘達。すごい上玉でしょ?」
「まだ治ってなかったんですね、そのご病気は」
呆れ顔の北斗を尻目に真夏は舐め回すような視線をふたりに向ける。
「やっぱり、そっち系の人!?」
ドン引きするように身を引く幸美。華実は隣で苦笑いを浮かべた。真夏なりの冗談だということは分かっているつもりだ。
「いえ、本気ですよ、この人は」
心を読んだかのように北斗が言った。
「もうっ、御角さんってば冗談ばっかり」
その口調が、いかにも白々しく聞こえたので、なんとなく華実は身の危険を感じて一歩下がる。それを見て真夏が悲しそうに俯いた。
「はぁ~、すっかり警戒されてしまったわ。まだ手込めにもしてないのに」
「されてからじゃ、手遅れでしょ!」
華実がツッコミを入れても真夏に動じた様子はない。あっさり気持ちを切り替えて、今度は華実と幸美を北斗に紹介する。
「美少女コレクターの御角さんは、もう知ってるでしょうけど、こちらの可憐なのが武蔵幸美さんで、こちらのエロい美人が千木良華実さんよ」
「誰が美少女コレクターですか!?」
「エロい美人ってなに!?」
北斗と華実がほぼ同時に声をあげる。
その後ろで少し考え込むようにしていた幸美が北斗に向かって口を開いた。
「御角先輩って、確か地球防衛部でしたよね?」
その問いかけに北斗が答えるまでには、やや不自然な間があった。
「まあ、不本意ながら」
「地球防衛部にまで円卓の人間が……」
想定外のことに驚く華実。真夏が安心させるように告げてくる。
「ああ、御角さんなら大丈夫よ。悪者ぶってはいるけど根はバカ正直なお人好しで、名作アニメをこよなく愛するピュアピュアボーイだから」
「僕が知らない御角さんの話はやめて下さい」
冷たい声音で告げられても、やはり真夏には気にする様子がない。
「あのね、御角さん。華実は地球防衛部に何か相談したいことがあるみたいなの」
「地球防衛部に?」
北斗の視線が華実に向けられる。なにもかも見通そうとするかのような冷徹な視線に華実は小さく息を呑んだ。やはり、ただ者ではない。
「つまり、地球防衛部に相談があるにも関わらず、円卓には知られたくないということでしょうか?」
意地の悪い質問をしつつも声に険は感じない。だが、その目は笑っていなかった。夏にも関わらず冷たい汗が背筋を伝い落ちる。なんとか返事を返そうと口を開きかけた華実の横から真夏が北斗に告げる。
「そのとおりよ、御角さん。だから、それについて華実の許可無しには上に報告しちゃダメ。もしこれを破ったら、かなりひどいことをするからね」
一方的な物言いに、それまでの緊張感は嘘のように霧散した。北斗はげんなりした顔を真夏に向ける。
「僕にも立場というものがあるのですが?」
「立場よりも命の方が大切でしょ?」
「報告したら僕を殺す気ですか!?」
「そうは言ってないわ。違うとも言わないけど」
「それは、言ったのも同じです!」
興奮する北斗に真夏はマイペースに告げる。
「華実はもうわたしのモノなの。だから、どうとでも言い訳は立つでしょ」
とんでもない言いぐさに華実は引きつったが、北斗は小さく息を呑むと意外な言葉を口にした。
「そういうことであれば、まあいいでしょう。僕も命は惜しい」
「どういうこと? そもそもあなた達って、どういう関係なのよ?」
華実が訊くと真夏は相変わらずの軽い口調で答える。
「御角さんは、元々うちの所属なのよ。その才能を円卓に買われて畑の大根みたいに引っこ抜かれたのだけど、そういう場合でも元居た組織の不利益になることはしてはいけないことになっているの」
「円卓が強大になるにつれて、いつの間にか有名無実化していますが、確かに明文化されたものですから、言い訳は立ちます」
補足するように北斗が続けた。
華実としては円卓の構成員を含む地球防衛部に賭けるか否か迷いはしたが、ここまで来てあきらめるわけにもいかない。迷った末に北斗を信じることに決める。より正確には彼が約束を守ると保証してくれた真夏の言葉をだ。
「ところで少女坂さん達は、どうして学校に来ているの?」
幸美が訊ねたことで、ようやく華実もそのことに思い至ったが、真夏の答えは単純だった。
「教科書を受け取りに来たのよ。昨日届いていれば手間がなかったのだけど、一日遅れでね」
「なるほど、転校生だもんね」
「終業式に転校してくる人なんて他に聞いたことがありませんけどね」
北斗の皮肉に真夏はとくに反応せず千里に向き直った。そのまま声をかけようとしたところで、固まったように動かない千里に気づいて苦笑する。
「またフリーズしてるわね」
「彼女はなにをしてるんです? まさか光合成とか言いませんよね」
北斗がやや嫌味っぽく言ったが、これにも真夏は反応しなかった――と思ったのは気のせいで、さりげなくかかとで北斗のつま先を踏みにじっている。それでも北斗は涼しい顔で耐えていたが、こめかみから一筋汗が流れ落ちたことに華実は気づいていた。
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