第8話 ふぁひほふる?
朝のホームルームで転校生が紹介されたとき、華実は心臓が凍りつくような想いを味わった。
秋塚千里と名乗った少女の姿が、あまりにも機械人形に酷似して見えたからだ。
見慣れた紅い装甲服は身につけていないが、体型まで酷似しているようだ。機械人形は、その顔の造形こそ個体ごとに差異があるが、首から下は共通である。
焦る気持ちを抑えながら、華実はそいつの様子を観察し続けた。
担任教師が簡単な話をして、クラス全員が終業式のために体育館に移動するが、もちろん、その間も目を離さない。
もしアレが機械人形だとしても、こんなところで騒ぎを起こすとは考え難いが、目的もなく生徒に紛れ込むはずもない。
考えられるのは次のターゲットの物色だ。もしそうならば早めになんとかする必要がある。
こんな状態で式に集中できるはずもなく、気づいた時には学長の話も終わり、校歌斉唱が始まるが、千里に唄っている様子はない。転校生のため歌詞も曲も知らないのかもしれないが、表情も変えずに平然と佇む様は、やはりロボットを思わせた。
いや、むしろこんな日に転校してくるあたり、人間ではないがゆえの非常識さとも考えられる。
閉式となり、全校生徒がゾロゾロと体育館を出て各自の教室へと戻りはじめる中、千里はふいに方向を変えて体育館の裏側に向かって歩き出した。
華実は慌ててそれを追う。
人混みを掻き分けて人の流れから抜け出すと、魔力こそ使わないものの、出せる限りの速さで走って角を曲がった。
「――いない!?」
辺りには隠れられそうな場所もなく、慌てて走り抜けて次の角を曲がるが、そこにも人影は見当たらない。
こちら側まで来れば隠れられそうな場所はあったが、それにしても移動が速すぎる。やはり人間ではない――そう考えた瞬間、突然背中をつつかれて、華実は飛び上がった。
「きゃあっ!?」
仰天しつつも振り向いて反射的に身構える。格好の悪さに羞恥を覚え、赤面する華実の眼前に、問題の人物――秋塚千里が立っていた。
その顔を見て再び青ざめるが、千里は襲いかかってくることもなく、手にしたノートの切れ端を、そっと華実に差しだした。
「え……?」
訳が分からないまま受け取り、目を落とすと、そこに「秋塚千里」と名前だけが書かれていた。
「え……?」
もう一度繰り返して、目の前の少女の顔を見る。変わらぬ無表情な顔のまま、千里はボソリと言った。
「サイン」
「サイン?」
「わたしのことずっと見てたでしょ」
「え、ええ……」
「だから、サインをあげる」
「え? あー、そういう意味」
ようやく理解が追いついて華実はうなずいたが、状況に対してはなおさら困惑を深めていた。そんなことなどつゆ知らずといった顔で千里がつぶやく。
「まさか転校初日に、わたしのファンができるとは」
「いや、違うから」
否定すると千里の表情がようやく変化した。ギョッとしたように、こちらを見つめてきたのだ。
「じ、じゃあ、変質的なストーカー……」
「いや、それも違うし!」
「なら、どうしてわたしを
千里は目を細めて小首を傾げる。思いっきり不審者に向ける顔つきだ。
「それはその……少し確かめたいことがあって……」
他に言いようもなく答えると、千里はとりあえず素に戻って尋ねてきた。
「確かめたいことって?」
「いや、それは……」
さすがに華実としても、自分の考えが的外れだったことには気づいていた。機械人形は基本的に口は利かないし、こんな風変わりな思考はしないだろう。
それでも念のためと思い、華実はそっと手を伸ばすと千里の頬にふれた。
不思議そうにそれを眺める千里のほっぺたを軽くつまむと左右に引っ張ってみる。人の肌と同じように柔らかい。
「
抗議されて頬を放した華実は続いて視線を相手の首から下に向けた。
考えてみれば機械人形の頬が、どんな素材でできているのか華実は知らない。
あるいは必要とあらば柔軟に変化させて人間のふりをすることも可能かもしれない。
千里が身につけているのはブレザーの制服で、華実が着ているセーラー服とは形状こそ違うが、色彩には統一感がある。これは、この陽楠学園の一風変わった特徴で、男女ともに、それぞれ二種類の制服が用意されているためだ。男子ならば詰め襟かブレザーで、女子ならばセーラー服かブレザーのどちらかを選択するようになっていて、生徒の中にはファッション感覚で両方を交互に着る者も少なくない。
だが、今問題なのは制服ではなく、その中身だ。
千里が本当に機械人形ではなく人間ならば、その身体は柔らかい生身のはずだ。
確かめるべく、華実は手を伸ばすと千里の胸をギュッとつかんだ。
「なに、これ? 大きい!」
傍から見た限り、むしろ膨らみは乏しく思えたが、実際には吸いつくような弾力があり、華実の小さな手からこぼれそうなほどだった。着やせと考えるにしても、これは極端過ぎる。
「ひやぁぁっ!」
千里があげた悲鳴に華実は我に返る。
「いや、これは――」
慌てて言い訳しようとしたところで、いきなり背後から伸びてきた手に羽交い締めにされてしまった。
「ええっ!?」
仰天しつつ首だけ動かして背後を確認すると、そこにはもうひとりの転校生の姿があった。
確か真夏といったか。千里にばかり気を取られて、彼女には全く注意を払っていなかったのでうろ覚えだ。
「まったく、うちの子になにしてくれるの? 仕返しにあなたのモノも揉みしだいてあげようかしら?」
大人しそうな顔に、どこか意地の悪い笑みを浮かべると、華実の脇から前に伸ばした指先を妖しげに動かす。
「少女坂さんって、そういう趣味の人だったの?」
さらにもう一つの声が加わったが、こちらには聞き覚えがあった。学級委員の武蔵幸美だ。
「千木良さんもクールで格好の良い人だと思っていたのに、まさか痴女だったなんて」
「違う! これには事情があるのよ!」
赤面しつつ否定するが、そうすると当然訊かれることになる。
「事情ってどんな?」
「それは……」
本当のことなど、とうてい答えられるはずもない。
「分かるわ。千里が可愛かったので揉んでみたかったのね」
ぜんぜん分かっていないことを言うと、真夏はさらにとんでもない言葉を付け足してくる。
「わたしも同じよ。さっきから、その膨らみを蹂躙したくてウズウズしてるもの」
「や、やめて、お願いだからっ」
焦ってふりほどこうとするが、真夏は巧みな力加減で華実の動きを完璧に封じてくる。決して怪力ではなく、さほど力を込めているようには見えないのだが、まるで逃れることができない。
「慣れてるわね、少女坂さん」
「うん、真夏は女の子を襲うのが得意だから」
幸美のつぶやきに答えたのは、もちろん千里だ。まだ微かに頬を赤らめていたが、とりあえず気を取り直したらしい。
一方の華実は本気で身の危険を感じていた。
(この際、少しだけ魔力を使って――)
怪我をさせないように細心の注意を払いながら華実は魔力を練りはじめる。
しかし、その途端、真夏は華実のうなじに息を吹きかけてきた。
「ひっ……」
集中が途切れて魔力が霧散する。
「ダメよ、人前でそんな力を使っちゃ」
真夏に囁かれて華実は慄然とした。
(魔力を使おうとしたことを見抜かれた!?)
自分以外に魔力の使い手が居る可能性については以前より考えていたのだが、この一年あまり、どんなに探しても見つからなかった。そのため、いつの間にか失念していたが、やはり存在していたということだ。
「あなた……いったい何者なの?」
自分の迂闊さを呪いつつ、震える声で華実が訊いたとき、横手から新たな声が響いた。
「こらこら、なにをしているのかしら、あなた達?」
視線を移せば上級生らしき女生徒が腕を組んでこちらを睨みつけている。
プラチナブロンドのストレートヘアと大きな赤い目が印象的なとんでもない美人だ。怒ったような顔をしていても、どこか可憐な雰囲気があって、それほど迫力はない。
「もしイジメだったら、わたしは怒りますからね」
上級生の言葉に真夏が答える。
「違います。友達に新しい世界を教えようとしているだけです」
「そんな世界は知りたくないっ」
華実が真っ赤になって叫ぶと、真夏は意外にアッサリと腕を放した。弾みでバランスを崩すが、彼女はやさしく腕を引いて支えてくれた。
礼を言うべきか抗議すべきか、迷いながらも華実が顔を向けると、真夏もこちらを見つめてきていた。目と目が合って息を呑む。彼女の瞳はドキッとするほど美しくて、吸い込まれそうな想いを味わう。
「続きは、またの機会にしましょうね」
紡がれた言葉を聞いて我に返った華実は思いっきり真夏を睨みつけた。
「イヤよっ」
トゲトゲしく告げても真夏は涼しい顔で受け流すだけだ。たおやかな微笑には悪意のカケラも感じられず、華実は毒気を抜かれた気分になる。
そんなやり取りを見て、上級生は苦笑した。
「なんだ、じゃれてただけなのね。それならそれでわたしも参加できたのに」
微妙に引っかかるつぶやきを残して背中を向ける。
「誰かしら、あの魔女?」
去りゆく上級生の背中を見送りながら、真夏が幸美に訊ねた。
「二年の
「魔女って言ったわよね?」
今度は華実が訊く。やはり幸美もそこが引っかかっていたらしく、好奇心を宿した眼差しを真夏に向けた。しかし、真夏はそれには答えず、その名前を反芻しているようだ。
「星見咲梨、星見咲梨か。なるほど、この学校の生徒だったのね」
「魔女という表現についての説明を求む」
しびれを切らしたように訊いたのは華実でも幸美でもなく千里だった。
「興味があるなら、あとで教えてあげるわ。でも、今は教室に戻らないとね」
それを聞いて華実も、まだホームルームがあることを思い出した。
真夏は人懐こい笑みを浮かべると無遠慮に華実の手を握って歩き出す。一瞬振り解こうとしたものの、この人物を敵に回すのは上手くない気がした。
あきらめたように溜息を吐くと、情報を引き出すためだと自分に言い聞かせて、華実はそのまま歩き始める。
「わたしは華実。千木良華実よ」
「うん。よろしくね、華実」
笑いかけてくる真夏の瞳は不思議な光を宿しているようで、華実は吸い込まれそうな想いを味わう。少なくともこれまでの人生の中で、こんな目をしている人間には出会ったことがない。
考え込む華実に隣を歩いていた真夏は、ふいに囁いた。
「大丈夫。わたしはあなたの味方よ」
なんの事情も知らない相手に、こんなことを言われれば思わず反発したくなるのが華実の性格だ。なのに、このとき華実は無意識のうちに安堵したようにうなずきを返していた。
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