段々上り
莫[ない]
火の連なり
曲がり角を左折すると、薄暗い通路の奥に上り階段がぼんやりと見えた。そこに向かって私は足を運ぶ。
レンガ造りの道で、その道幅は私の三人分ほどだ。目線より少し上の高さでは等間隔に連なる火が揺れている。
「これで352回目」
灯りを八つほど通り過ぎたおりに、私の肩の上でタポネはつぶやいた。体の構造なら私と似ているが、サイズとなると私より何倍も小さい。
「よく覚えてるな」
「ちょうど指の本数分だからね」
「キモすぎるだろ……」
私は通路の奥へ近づくに連れて、進行方向を水平にずらしていく。そして、階段の入り口左にある壁に背中を貼り付けた。
息をひそめる。
自分の首から脈動が聞こえるくらいに、辺りは静まりかえっていた。その間にタポネが私の右肩から左肩にペタペタと渡る。
「誰もいないよ」
「そうか」
私は、腰の左からぶら下げている剣の柄から右手を放した。
「気に入っている?」
タポネが首をかしげた。彼の小声がかすかに残響している。
「触り心地がいい。それに冷たくない」
「怖じけ過ぎなんだよ」
37回下で拾った剣だ。特別な思い入れはない。
階段を登り続ける。歩くたびにレンガ床が靴底と擦り合って、ザリザリと音を立てた。
踊り場にそって右に周る。青白い四角が上方の奥で光っており、私たちはその出口を目指す。
ようやく上階の床が見えてきた。
「明るいな」
下の階とは様子が違う。
私の背丈より三倍ほどの高さにて、透明な板が、見える範囲までまんべんなく天井として張られている。その板の中には、黒く細長い支えが格子状に通されていた。
「まるで空だね」
タポネが目をキラキラさせた。
「空、ってなんだ」
「空をご存知ない? 下ばっか向いて生きてきた?」
私はタポネを軽くギュッと握る。「グェ」彼は笑みをにじませながらえずいた。
床に敷き詰められたタイルはまだら模様を描いており、磨かれたようになめらかな床を歩いても物音一つ立たない。天井付近から下がった緑色のツタが白壁の上半分を覆っている。
私は剣の鞘を左手でさすった。この剣を拾った階も、ここと似た風景だった。
「また彼らと会うだろうか」
私のつぶやきは誰にも相手されず、天井の向う、青白い光に吸い込まれていった。私は通路の途中で立ち止まる。
「タポネ?」
「シッ!」
私の左耳元にて、彼は小さく歯擦音を立てた。そして訪れた静寂の中にかすかな水音を聞く。どこかで水が流れているのだろうか。
「よく聞いて」
耳をすませば、水流の響きに別の音が混じっていた。コツコツと、硬質な者同士がぶつかっているような音。
私は柄に右手をかけた。滞りなく、剣を静かに抜く。
「どうだ」
「駄目。応じない」
私は剣の切っ先を上げて、中段に構えた。
「ノードか」
私たちは今、一本道の通路にて待ち構えている。背後の警戒をタポネに任せ、私は通路の突き当り、左右へ直角に曲がっている分岐路に剣先を向け続けた。
硬い歩行音が徐々に音量を上げている。
「前から――、だよな」
私は剣を構えつつ、もと来た方へと静かに後ずさっていく。
「挟撃ではない、と思うけど」
タポネもそう判断しているものの、潜めた声には緊張を未だににじませている。その時、視界の向こう、突き当りの壁の右側がわずかに曇った。
影だ。
「セッケル」
「後ろを頼む。いつも通りに」
分岐路の右角から細くて鋭い足が現れた。それらは床を踏むたびに杖のような音を立てている。
そして、全身をあらわにした不審者がこちらの剣先に目を合わした。暗い玉のような目が二つ、頭にめり込むように付いているのが遠くからでも分かる。
「っ、ジスフィー」
今までも似たような外見の者たちと相対したことがある。その時に彼らはジスフィーと自称していた。最近では六回の下で会った。
「穏便に済ませられないか?」
動きを止めてこちらを凝視するジスフィーから目をそらさず、私はタポネに相談する。
「前は大丈夫だったろ」
「彼はイーフを連れていない」
前方のジスフィーが、二対ある腕のうちの二本をこちらに向ける。彼の頭部で顎が左右に開き、隠れていた唇も上下に割れた。
ギザギザした木片を擦れ合わせるような音が通路に響き始める。私は剣の切っ先を下げた。
「彼はなんと言っている」
「――ごめん。分からない」
ジスフィーは鳴き声をやめ、代わりに、こちらに突き出していた上半分の腕を左右とも肘から曲げて、顔を覆った。彼は腰を落とし、下半分の一対の腕を壁に当たらない程度に広げる。
突進の構え。
「来るぞ!」
タポネが私の首元から革鎧の中に潜り込む。私は剣先を上げた。
ジスフィーは私と体躯はそう変わらない。明確な違いは、この俊敏さだ。
前方の彼は、肩から股のあたりまでボロ衣を下げていた。今はこちらを目掛けて走ってきており、後方になびく衣の隙間から堅甲そうな体が覗く。
彼が十数歩先まで迫ってきた。私は剣先を斜め後ろにやり、脇に構える。
間合い。
私が一気に振り上げた剣は、前かがみで突進してくるジスフィーの構えを下から潜って強打した。彼の進行方向が上方にずれる。
経験から、彼らは堅牢そうなその外見に似合わず、軽い体重であると分かっていた。
膝を曲げ、屈んだ私の上をジスフィーが通り過ぎようとし、瞬間、彼の足が私の革鎧に食い込んだ。彼に引きずられ、私は後方によろめく。
その勢いのまま、逆さまのジスフィーが背後から羽交い締めてきた。とっさに私は左腕を顎下に回し、肘を曲げて首を守った。
ジスフィーの特徴である棘を生やした手足が、衣服や革鎧ごしに体へ食い込んでくる。腕を固定されたせいで剣が触れない。
後ろに倒れんで彼を壁なり床へぶつけるしかないか。そう思った矢先。
「動かないで!」
服の内側でタポネが声を上げた。私は関節を固める。
こういうとき、彼はふざけたりしない。
赤熱。
突然、私の足元から前方へと影が伸びた。うなじと耳の裏側が猛烈に熱い。
ジスフィーの手足が先ほどよりも弛緩してきた。棘を慎重に抜こうとしたところ、それよりも早く、黄みがかった橙色の手が私を拘束から解いていく。
背後の足元にて、硬く乾いた音が上がった。振り向いて見下ろせば、背中が縦に割れて、そこから煙を上げているジスフィーが崩れている。
彼の亡骸の向こうには見知らぬ誰かの足を見た。私は顔を上げる。
黄金色に輝く八本の角が頭から生えている、それは見覚えのある面だった。
スフィール、と彼の小さい連れが名乗る。タポネに詳しく尋ねると、角頭をした彼がスフィールで、小さく丸っこい連れがエイトリットだそうだ。
私たちはジスフィーの襲撃をスフィールに助けられたあと、彼に招かれて通路を進んだ。辿り着いた先は、中心に噴水のある小空間であった。
「38回下にもあったな」
「セッケル。やっと5以上も数えられるようになったのね」
よよよ、とタポネがわざわざ口に出した。私は響く足音に耳を済ませることにする。
正方形に近い広場の幅は、持っている剣の十本分ぐらいはある。白い石造の噴水を除けば、その見た目は通路と同じだ。上方からは相も変わらず青白い光が注いでくる。
私とスフィールは壁に背中を預けて、腰を下ろした。噴水に顔を向けて、透き通った水の湧き出るさまを見つめている。
「先程はありがとうございました」
私は右を向き、タポネを介してスフィールにお礼を告げる。タポネがエイトリットに言伝てをし、そのエイトリットを通じてスフィールに話が伝わった。
スフィールは橙色の右手を上げる。私たちはイーフに取り次いでもらいながら会話に花を咲かせた。
そして、スフィールは壁際に置いていた自らの鞘をゆったりと手に取る。
「同じ剣ではございませんか?」
タポネが彼らの言葉を訳した。私はソフィールの表情をうかがう。
顔面、と形容できるものは見当たらない。放射状に生えた八本の角はどれ一つも動いてはいなかった。
水音が広場を支配している。
「正直に言ったほうがいい?」
私はタポネにそっと尋ねた。タポネが私の右首筋をぺたりと触る。
「敵意、は感じられなかったけど」
「なるべく穏便に話しを運んでくれ」
私はやっとソフィールに目を移し、太ももに置いた自身の剣鞘を右指で指しながら、この剣の出処を語り始めた。
タポネが上手く訳してくれることを祈るが、あらましはこうだ。
「この階から三十八回、階段を下りたところにはここと同じような光景が広がっています。私はそこで通りがけに、あなた方と似ている人を見かけました」
あなた方、というのはつまり、ソフィールと似た外見の人々だ。今までの353階層にて、彼らとは何回か顔を合わせていたのだ。
「彼は通路の床にて、うつぶせで倒れていました。私は彼を起こそうとしましたが、身動きの一つもなく、彼のイーフもすでに居ませんでした」
私は左手で鞘をさすった。つばを呑み込む。
「この剣は、当時の私が使っていたものよりも良品に見えました。そこで、そう、これを持っていくことにしました」
エイトリットが私の解せない言葉をソフィールに伝えている。そして、ソフィールは右手を彼の鞘から放した。
私から顔をそらしたソフィールはうつむいて、自身の胸の前で両手を合わせた。私は口をつぐんで、噴水へと顔をそらした。
水は絶えず、広場の中心にて流れに流れ続けている。
静寂が途絶えたのは、私の右隣にて剣を抜く音がしたときだった。私は柄を右手で握る。
「タポネ!」
タポネが私の右首筋をペタペタとまた叩いた。彼は右肩にへばりついたまま、軽やかに笑った。
「セッケル。ビビりすぎ」
よく見れば、ソフィールの左肩でエイトリットも小刻みに揺れている。ソフィールも左手の甲を自身の顔面下部に当てていた。
顔面が熱い。タポネが私の右耳たぶを手で挟んだ。
「大変! 熱でもある?」
エイトリットが先よりも激しく揺れながら、音を発し始める。間をおいてソフィールも肩をとうとう揺らし始めた。
私はタポネを軽くギュッと握る。「キャッ」彼のえずきが広場に響き渡った。
私たちはソフィールたちと少し過ごしたあとに、彼らと別れ、広場を去った。彼らに教えてもらった上階への階段入り口まで足を運ぶ。
着いてみれば、レンガ造りの段々が上まで続いている。
「この青白い光ともお別れだね」
タポネがつぶやく。私は階段を進みながら、剣を抜いた。
「いまはこれがある」
剣身が赤熱し始めたかと思うと、周囲の空気が陽炎で歪み、ついには揺らめく火炎へと変わった。暗い踊り場の足元を赤い光が照らし出す。
「ソフィール様々だね」
「才能もあったんだよ。剣も、前からあったかいな、と思ってたし」
「それは絶対、気のせいだよ……」
階段の出口にたどり着く。見慣れた、薄暗いレンガの通路だった。
「セッケル!」
突然、タポネが左肩で叫んだ。私は剣を中段に構え、火を起こす。
「方向は?」
「いや、火は要らない、要らない」
私が視線を左肩に向ける。彼は私の頭上を見つめ、右手で指さしていた。
「剣身で頭を見て」
タポネの言に従い、私は自分の頭部を剣に反射させた。目を見張る。
黒かった髪の毛が、いまや金色に光り輝いていた。
髪の毛を、恐る恐る触ってみる。心なしか髪質も固くなっている気がした。
「そのうち、角も、生えるんじゃないの?」
タポネの笑い声が左耳でうるさい。私は剣を鞘に納める。
「……いくぞ」
レンガを弱々しく蹴る足音と、軽やかな高笑いが、薄暗い通路の奥へ溶けていった。
〈了〉
段々上り 莫[ない] @outdsuicghost
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