第32話「最高のナイト」

 清水心療内科、診察室。

 今日も凜夜の通院に付き添っている。

「見て見て、おっちゃん。これ、凜夜君を守ってついた傷なんだよ。いわゆる名誉の負傷って奴だね」

 七海は、清水医師の前でTシャツをめくって傷痕を見せびらかす。

「な、七海さん、さすがにはしたないんじゃ……」

 隣にいる凜夜は困惑気味だ。

「それは立派だね。身体に傷がついたことうれしそうにする女の子も珍しい気がするけど」

 清水医師はあきれ半分感心半分といった調子で笑っている。

「あたしは、そんじょそこらの女子とは違うからね!」

 高らかに自慢する七海に屈託はない。

「はは。確かにね」

 初めて会った時から清水医師は七海に他の女子と違ったものを見出していただけに納得したようである。

 これは、笑いの種にすることで、凜夜が気に病まなくて済むようにするという七海なりの気遣いだ。

 もう少しマシなやり方はないのか、と言われそうだが、これでも知恵を絞ってはいる。

 事実、七海のこうした言動を見て知り合いは皆安心したようであった。

 凜夜の病状は落ち着いているので、これまで同様の薬を処方してもらい帰途につく。

「七海さんって、どうしてそんなに明るく振る舞えるの?」

 凜夜が不意に尋ねてきた。

「ん? あたしそんなに明るいかな?」

「うん。僕の目に狂いがなかったら無理をしてるって訳でもなさそうだけど……」

「凜夜君の目に狂いはないよ。そもそも、普段からお芝居をやってる凜夜君にバレないような演技があたしにできるはずないし」

 彼がそう言ってくれるなら、自分は明るいのだろう。

 特別称えられるほどかどうかはともかく、明るいことが自分の数少ない取り柄だとは思っている。

「僕はさ……演技で明るい役をすることはできるけど、内心ではいつもネガティブなこと考えてしまうから。どうすれば七海さんみたいに前向きになれるのかなって」

 まるで凜夜の方から憧憬の念を持たれているかのように感じて、七海は手を横に振った。

「凜夜君があたしみたいになっちゃったらファンのみんながガッカリするよ。あたしより凜夜君の方がずっと魅力的なんだから」

 明るいのが取り柄だと思ってはいるが、いわゆる陽キャと陰キャを比べて陽キャの方が優れているなどとは思っていない。

 多少陰があるぐらいの方が異性を惹きつけられる。そのことは、デートの際に、こんながさつそうな女が凜夜のような美少年と釣り合うはずがない、と言われてしまったことからも明白だ。

 容姿の差による部分もあるにはあるだろうが、それだけでは説明がつかない。七海の顔立ちもそう悪いものではないのだから。

「そうかな? 誰かのために行動を起こせる七海さんの方が、なんていうか……人格者なんじゃないかと」

 自分が凜夜以上に真理を見極められているなどと考えるのはおこがましいが、それでも七海はさとすような口調で告げる。

「あたしはバカだからさ、身体張るぐらいしかできないけど、凜夜君は賢いでしょ? 凜夜君の演技が上手いのも、勉強ができるのも、あたしが遊んでる間努力してた結果なんだから自信持っていいと思うよ。っていうか、あたしは今の凜夜君が好きだから変わらないでほしいな」

 七海が気持ちを伝えると、凜夜は程良い笑顔を取り戻してくれた。

「ありがとう。じゃあ、今まで通りのやり方で七海さんの助けになれるようがんばるよ」

 十分すぎるほどの言葉だ。凜夜の声を聞くことで、七海もまたがんばれる。

 音声作品があれば、四六時中凜夜と一緒にいられる。普通の恋人とは一風変わった関係だ。

 気付くと凜夜の住むマンションの前まで来ていた。

「今日はお母さんいるの? いないんだったら少しだけでも、部屋に入れてもらえたらなーって」

 音声作品のファンではあっても、こういうのは別腹。いくらでもそばにいたい。

「あー、今日はちょうどそろそろ――」

「凜夜?」

 凜夜が言い終わるより早く、答えが目の前に現れた。

 凜夜と質感の似た黒髪で、会ったばかりの頃の凜夜のような冷たさをまとった中年女性だ。

「あ、母さん」

「病院から帰ってきたところ?」

「う、うん」

 凜夜は七海を隠すように移動してぎこちなく答える。

 まさか鉢合わせになるとは。

 しかし、これも良い機会なのではないか。

(お母さんにいい印象持ってもらわないと……!)

 突然のことで頭が真っ白になりかけたが、ここで失敗してはいけない。

 まずは名乗るところから。

「凜夜君とお付き合いさせていただいてる東山七海です! 二年前からずっと凜夜のファンでした!」

 前に出て、勢いよく頭を下げる七海。

 凜夜の母はというと、冷めた目でこちらを見据えている。

「『お付き合いさせていただいてる』って、それはあなたが勝手に決めることかしら? 私はなにも聞いていないのだけれど?」

「あ、いえ、それは……」

 もう高校生なのだから、交際するのに親の許可が必要ということもないはずだが、以前凜夜が言っていた通り過保護な性質なのだろう。

 それならそれで、別のアプローチをしなければ。

「えっと……凜夜君のことが好きです! お付き合いさせてください!」

 もう一度深くお辞儀をする。

「……この前刺されたというのはあなた?」

 肯定や否定の返事ではなく、事実の確認をされた。

「あ、はい……」

 殺人未遂の事件だっただけあって、さすがに凜夜の母の耳にも入っていたか。

「襲ってきたのは凜夜のファンだったそうね」

「はい……」

 七海は犯人を純粋なファンと認めていないが、この場合は肯定するほかない。

「犯行動機は凜夜に恋人ができたことに反感を持ったから、ということだと聞いたけれど」

「はい……」

 七海の声は尻すぼみになっていく。

 凜夜の母が言わんとしていることが分かっているからだ。

「その恋人というのがあなたね?」

「そう……だと思います……」

 凜夜の母の目つきがさらに鋭くなる。

「つまりあなたと一緒にいたせいで凜夜が危険な目に遭ったということではありませんか?」

「それは……はい……」

 七海が死の淵で悔やんでいたことを再び突きつけられた。

 自分なりの意志を持つには至ったが、万人を納得させ得るものではない。

「ちょっと、母さん!」

 七海が弱気になっているのを見かねてか、凜夜が口を挟む。

「襲ってきた人と七海さんは同じ放送を聞いてただけで何の関係もないんだよ!? それなのにまるで七海さんを悪者みたいに――」

「その放送というのは声優とかいう活動の一環ね?」

「そうだけど……」

 七海に対するよりは口調が柔らかくなったが、凜夜の母の機嫌は悪いままだ。

「勉強に支障がないようだから許していたけれど、危険なことになるなら声優なんてやめてちょうだい」

「それとこれとは今関係ないよ! 七海さんとは僕が自分で付き合うって決めたんだから」

 凜夜の反論にも母親は首を縦に振らない。

「声優として活動した結果としてこの子と交際して事件になったんでしょう? 無関係では済まされないわ。お母さんとしては、声優もやめて、ファンだっていうこの子とも別れて、進学のための勉強に専念してほしいの。分かるでしょう?」

 今度は凜夜が追い詰められている。

 ここで自分が引き下がる訳にはいかない。

「お母さん! 凜夜君にはたくさんのファンがいて、作品や放送を楽しみにしてるんです! 凜夜君自身も誇りを持ってその活動をしてます! もう二度と危険には晒させませんから、声優活動を許してください!」

「あなたにそんな約束ができるの? 人の命に関わる話なのよ?」

 凜夜の母は、一介の高校生の手に負える状況ではないと言っている。

「実際に死にそうになったのは僕じゃなくて七海さんなのに七海さんのご両親は僕のこと責めなかったんだよ!? それなのに母さんは七海さんのお見舞いにもこないで――」

 凜夜も必死に訴えるが、まだ届かない。

「この子と付き合ったせいで襲われたんでしょう? それで守ったからといって恩を売られても困るじゃない」

 よその子供相手にひどい言い方をする親だが、凜夜を大切にしたい気持ちは七海にも痛いほど理解できた。

「他の人と付き合っても襲われてたよ。むしろ一緒にいたのが七海さんじゃなかったら今頃僕は死んでたんだよ」

「声優というのをやっているからおかしな人に狙われるのだから、まずはその活動をやめるべきよ」

 問題点は二つ。

 一つは凜夜が声優を続けるか否か。

 もう一つはそのファンである七海と交際するべきか否か。

 逃げ道として、声優活動をやめて、こっそり七海との交際だけは続けるという選択もあるにはあるが、それは七海の矜持が許さなかった。

「お母さん。凜夜君がアップしてる動画って見たことありますか?」

 七海から『お母さん』と呼ばれる度に眉根を寄せる凜夜の母。

「少し見たことはあるけれど……」

「コメントは読みましたか?」

「そこまでは」

「だったら見てください! 凜夜君がどれだけがんばってるか、どれだけ慕われてるか分かるはずです!」

「…………」

 凜夜の母も特に反対はしなかったので、七海は何が一番心に響くか凜夜と相談する。

 話し合いの末、つらい境遇にある人を応援する詞の歌動画と、凜夜の体調が回復した時の生放送の記録を見せることにした。

 歌を聞いている間、凜夜の母はかすかに目を潤ませているようでもあった。愛する息子の成長が如実に表れているのだから当然の反応だ。

 生放送のコメントを見ている時も感心した様子だった。事件の犯人のように過激な行動を取るのではなく凜夜に温かいメッセージを送っていることから、声優ファンという存在に対して抱く印象が変わったのかもしれない。

 凜夜の母は、声優について知らなかっただけだ。ファンと同じく凜夜の幸せを願っている。

「こうして活動ができるのは七海さんみたいなファンがいるおかげなんだよ」

 イヤホンを外した凜夜の母は、息子の言葉にいくらか耳を傾ける姿勢にはなったようだった。

「――確かに有意義な活動ではあるようね」

「じゃあ……!」

 喜びかけた七海に対し、凜夜の母は言葉を付け加える。

「でも危ないことに変わりはないでしょう? 万が一のことがあったら取り返しがつかないわ。そこだけはどうにかしてくれないと……」

 母親として、凜夜のしたいことをわざわざやめさせたい訳ではない。ただ、安全の保障がほしいのだ。

「きっと凜夜君やあたしを襲おうとする人がいるのは、あたしがファンのみんなに認められてないからだと思います。だから、これから凜夜君の隣にいてもみんなが納得する人間になってみせます!」

「七海さんは今、僕と同じように動画サイトを使っての配信をやってるんだ。七海さんのがんばりを疑うなら、その動画を全部見てみて」

 無策の精神論ではなく、展望を持った上で努力していることを二人で強調した。

 今度こそ、七海の覚悟が凜夜の母に伝わったようだ。

「私が凜夜を任せても安心できる人間になってくれるのね?」

「はい! 凜夜君を傷つけさせることは絶対にしません!」

「そう。なら、しばらくは見守らせてもらうわ」

 凜夜の母は、ひとまず七海の宣言を受け入れてマンションの中に入っていった。

「ふう……」

 緊張でこわばっていた身体が一気に緩む。

「ありがとう、七海さん」

「凜夜君こそ、かばってくれてありがとう」

 七海が一人で主張するだけでは、どんな言葉も届くことはなかった。他ならぬ凜夜が七海を愛してくれていたからこそ母親を説得できたのだ。

「それじゃあ、また明日学校でね」

「ちょっと待って」

 そろそろ帰るべきかと思って歩き始めたところ、凜夜に呼び止められる。

「どうかし――」

 振り向いた七海に寄り添った凜夜は、そっとくちびるを重ねてきた。

(――‼)

 完全な不意打ちだ。

 くちびるを放した凜夜が、今度は耳元でささやく。

「僕の一番のファンで最高のナイト、そして恋人……。僕も七海さんのこと大好きだからね」

 それは、どの音声作品でも聞いたことがないほど甘いものだった。

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