第24話「すごい人」

 清水医師と再会してすぐ、元の病院で転院のための紹介状を書いてもらった。

 それを持って清水心療内科を二人で訪れる。

 新たな治療はこれからなので、体調の優れない凜夜に引き続き肩を貸してきた。

 診察室にて。

「まず、神経からくる緊張や不安といったものを抑えるクロナゼパムって薬がある。元々は抗てんかん薬だけど、凜夜君の不調が始まった時の状況を考えると効果は期待できると思うよ」

 創作に力を入れようとしていたのは悪いことではないが、緊張感は抱いていたことだろう。

 不安も、自覚はないにせよ、障害とまで診断されたものが綺麗さっぱり消えているとは考えにくい。

「それからスルピリド。鬱症状に対して使われる薬でもあるけど、胃薬としても使われてる。昔からあった気分障害と現在の吐き気という組み合わせからすると、ちょうどいい薬じゃないかな。この二つで様子を見てみようか」

 清水医師の提案する薬は、まさしく凜夜の病状を踏まえたものだ。

「飲む量はどのぐらいになりますか?」

 凜夜の質問に対して、清水医師は丁寧に答える。

「クロナゼパムが朝と寝る前の二回、零点五ミリを一錠ずつ。スルピリドが三食後に五十ミリを一錠ずつだね」

「あたしにはグラム数のことは分かんないけど、そんなに多い訳じゃないんだよね?」

 症状を改善する薬が出るのは喜ばしいことだが、薬漬けになったりしないかは心配だったので七海も尋ねておく。

「うん。上限からしたらかなり少ない量だし、効果はこのぐらいの量でも実感できると思うから、安心していいよ」

 清水医師は、普通なら積極的に受け入れたくないであろう厄介な病気を持った患者にも真摯に向き合ってくれる。

 初めて会った時に、見て見ぬ振りをしなくて本当によかった。

「分かりました。その二種類を試してみようと思います」

 凜夜の瞳にも光が戻っている。

「一刻も早く治したいということだったね。今回の薬が合っていれば、効果が出るのにそう時間はかからないはずだから、一週間後にもう一度来てもらえるかな?」

 清水医師はこちらの気持ちを汲んでくれている。

「はい」

「うん!」

 凜夜と七海は揃ってうなずいた。


 清水心療内科受診から四日経った辺りで、凜夜から七海にメッセージが送られてきた。

『結構調子が良くなってる。新しい薬が効いてるのかも』

 たった二文だが、何度も繰り返し読んだ。

 まるで自分のことのようにうれしい。いや、もはやこれは自分のことだ。

 返信のメッセージを送る。

『よかった! 無理しないでゆっくり休んでね!』

 喜びを噛みしめながらベッドに転がった。

 なぜ平日の昼間に自宅にいるのかというと、凜夜の病気の件が解決するまでは勉強など手につかないということで学校を休み続けているから。

 次に学校へ行くのは凜夜と一緒に、と決めていた。


 清水心療内科二回目の受診。

 凜夜の自宅前で合流した時点から、彼の顔色は目に見えて改善していた。

 肩を貸したりする必要もなく、凜夜は自力でしっかりと病院まで歩いた。

「なんだか急に楽になった気がします。薬でここまで変わるものなんですね」

 凜夜としても、精神に関わる病気は薬だけで治るものではないと認識していたのだろう。

 清水医師も、そうした一般常識を否定はしない。

「確かに精神疾患は薬さえ飲めば治るというものじゃない。でも、凜夜君のように前向きな気持ちがあるなら、薬で手助けをすることはできる。君は元々、病気を克服するための心構えができていたってことだよ」

 清水医師の言葉は、七海の心にも刺さった。

 凜夜は決して怠けたりしていない。常に活動やファンと真剣に向き合ってきたのだ。

 凜夜の思いが報われたことは、無上の喜びだった。

「ありがとうございます。今の薬を飲みつつ、学校にも復帰しようと思います」

 診察後。処方箋を受け取った凜夜は深く深く頭を下げた。

 七海もそれにならう。

 病院から薬局までの道中で、凜夜は明るい表情で告げてきた。

「合格」

「へっ?」

 なんのことだろう、と一瞬首をかしげたが、続く凜夜の言葉で七海の心はかつてない熱を持った。

「正式に付き合ってもいいよ。正真正銘、東山さんが僕の恋人ってこと。むしろこっちからお願いしたいぐらい」

「い、いいの? まだ十ポイント溜まってないけど」

 にわかには信じられず確認する。

「人とはネットでつながる程度がちょうどいいって思ってたけど、東山さんは裏表がなくてネットでもリアルでも変わらなかったからね。ポイントがどうとか、そんなこともうどうでもいいよ。それか、ボーナス百ポイント」

「ほ、ホントに?」

「うん」

 もう間違いない。確定事項だ。

「よっしゃああああ!」

 七海は拳を振り上げて歓喜のさけびを発する。

 あまりのことに周りからはおかしな目で見られているが、そんなことは気にならない。

 ついにやったのだ。二年間渇望し続けていたことがついに実現した。

「あたし、凜夜君のこと一生大事にするからね!」

 そう宣言して凜夜の肩を抱く。

 彼も嫌な顔はせず、素直に身体を預けてきた。


 数日後、学校の職員室にて。

「自分が何をしたか分かってるのか!? 警察沙汰にまでなったんだぞ!」

 七海・凜夜・和也の三人を前に、担任教師が怒鳴っている。

 凜夜の体調が安定したということで、七海は、生徒の個人情報が記された資料を盗んだ件について自白することにしたのだ。

 隠し通せるとも思っていなかったが、何より凜夜に不誠実な姿は見せたくない。

「すいません……。凜夜君の以外は見てないので……」

「当たり前だ! 悪用する目的だったら即刻退学だ!」

 果たして退学を免れることができるのだろうか。

「すみません。半分は僕の責任です」

「お前は、まあ……本当に病気だったしな……」

 そもそも凜夜は、資料持ち出しという行為について関知していないので責められるいわれはない。むしろ自分に関する資料を盗まれた被害者だ。

 担任も凜夜には怒っていない。

「俺はどのぐらいの罪になるんっすか?」

「東山にそそのかされたっていっても、須藤と違って自分の意思でやったんだから退学にならない保証はないぞ」

 和也まで巻き込んでしまったのは申し訳ないと思う。

「和也は警報器を鳴らしただけで、その間にあたしが資料盗むなんてことまでは知らなかったんです。なるべく寛大な対応を……」

 主犯格が言って認めてもらえるか分からないが、善意で協力してくれた幼馴染をかばっておく。

 担任は、七海たちそれぞれの顔を眺めた上でため息をついた。

「一応、職員会議で退学にはならないように意見するけど、どうなるかは知らないからな」

 いくらか希望は持てる答えを聞き、三人は職員室を出る。

「資料盗んだのも、まず俺が疑われたんだからな。しかもトイレで焼き芋作るバカだと思われたし」

 迷惑をかけただけに和也からも怒られた。

「警報器の鳴らし方はあたしが指定した訳じゃ……」

「ああ!?」

「なんでもない……」

 この借りはいずれ返さねばならないところだ。

 自分たちの処遇については、もう祈るしかなかった。


 その後、凜夜の置かれていた状況などを斟酌してもらい、七海も和也も退学にはならずに済んだ。

 ただし、反省文を書かされることにはなった。

 和也は十枚、七海は五十枚だ。

「五十枚……。い、一体、何をそんなに書けば……」

 放課後、机を前に頭を抱える七海。

「俺らのやったこと、実際犯罪だからな。逮捕されないだけでもマシな方だろ」

 和也の言うことが正論ではある。

 しかし、凜夜はかぶりを振る。

「悪質ないじめすら隠蔽するのが学校だよ? 切実な想いで個人情報を盗んだぐらい、見逃してくれないと困るよ」

 こう言ってもらえるだけでも救われる。凜夜もまた、七海に救われたと思ってくれている。

 悪意に満ちたいじめと、誰かを助けたい一心の盗み、どちらを尊重すべきかは明白だ。

「ってか、十枚だってかなりの量だぞ」

 和也も七海の隣でうなる。

「五十枚はもっとだよ!」

 七海は無駄に元気な声で反論する。かなりの量の五倍はそれ以上。当たり前だ。

 幸い凜夜は無罪となったので、二人を見守ってくれている。

「セリフ多めで二時間以上ある音声作品の台本ならもっと文字数あるよ」

 反省文の経験はないにせよ、凜夜ほどの文才があればそこまで苦労はしまい。

 だが、読み切り漫画のシナリオでも四苦八苦している七海には酷な話だ。

「凜夜君との出会いから書いていいかな? 今までのこと全部書かないと埋まらないと思うから……」

 凜夜にはなんの非もないのに名前を出すのははばかられるが、この一件について語るなら無視できない。

「いいよ。東山さんがどんな気持ちで僕のところまで来てくれたのか読ませてもらうから」

 許可が下りたところで、和也がいったん筆を止めて凜夜に尋ねる。

「凜夜はこいつのどこがよかったんだ?」

 自分も七海を好きになったのに、そのことは棚に上げている。

「ん? 君、僕のこと名前で呼んでたっけ?」

「いいだろ。俺もお前助けるのに協力したんだから」

 七海もそうだが、和也も他人行儀なのは好まない。

 幼馴染である七海の恋人ということで仲間と認めたのだろう。

「それは別にいいけど。東山さんが好きな理由か……。東山さんの言葉を借りるなら、なんか『すごい』からかな」

「というと?」

 七海も気になって身を乗り出す。

 凜夜が七海に好意を持った理由を一番知りたいのは七海本人だ。

「会っていきなり大声で告白したり、やたらめったら貢いできたり、犯罪まがいのことしてまで助けようとしてくれたり、いいか悪いかはともかく『すごい』のは確かでしょ? 誇張抜きに『なんでも』してくれたんだから。そういう人、今までいなかったよ」

 七海の行動に計算らしい計算はない。

 凜夜に対するあふれんばかりの愛情をひたすら表現してきた。

 この正直さは、リアルで出会う人を信じきれずにいた凜夜の心に響いたようだ。

「そっか……あたしもすごかったんだ……」

 声優としても学生としてもすごい凜夜と比べると自分など大したことないかと思っていた。

「東山さんは、僕のために反省文五十枚でも後悔はしてないんでしょ?」

「もちろん。あたしは凜夜君が笑ってさえくれれば、それで満足なんだよ」

 そう答える七海に、凜夜は目を伏せてうなずいた。

「そういうとこ」

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