第22話「通院」
張り込み八日目にしてようやく凜夜が現れた。
熱中症の危険と隣り合わせで待ち続けた甲斐があった。
(凜夜君……)
喜んでばかりはいられない。
今の凜夜は、歩くのも遅く、時々うつむいて目を押さえるような動作をしている。明らかに不調だ。
急いで隠れはしたが、こちらを気にする余裕もなさそうだった。
見つかる心配はないにしても、つらそうな凜夜を見ているだけでいいのか。
(どうしよう……。話しかけるか……?)
下手に今話しかけても彼の負担になるかもしれない。まずはどこの病院のどの科を受診するのかを確かめよう。
凜夜の足取りはフラフラしていて、道中何度も身体を支えてあげたい衝動に駆られた。
(いや……慎重にいかないと……)
目的を見失ってはいけない。凜夜を助けてみせるのだ。
中途半端なところで逃げられたりしては、すべてが水の泡となってしまう。
駅に着いた凜夜はICカードを使って改札を通った。
どの駅で降りるのか分からないため、七海は一番高い切符を買って後を追う。
電車の中では、凜夜はつり革につかまってなんとか立った状態を維持しているようだった。
(凜夜君、あんなに調子悪そうじゃん! 誰か席譲ってよ!)
距離を取りながら凜夜を見守っているが、他の乗客の冷たさに憤慨することになった。
老人・妊婦・障害者だけでなく、普通の病人も優先座席の対象にすべきだ。
電車を降りる頃、凜夜の足取りはさらに重くなっていた。
今の彼は、電車で移動するだけでも一苦労なのだ。
どのタイミングで声をかけるかは考えなければならないが、少なくとも帰りは家まで送ってあげよう。
駅からしばらく歩いて凜夜が入ったのは、大きな総合病院だった。
広くて人も多かったので、受付にも行かずに凜夜を追いかけていてもさほど怪しまれずに済んだ。
そして、凜夜が向かったのは――。
(精神科……?)
どう見ても身体の調子が良くないようだったのだが。
(凜夜君に何があったんだろう……?)
急に精神を病むようになったのだとしたら、陰でひどい嫌がらせでも受けていたのではないか。
もしそうだとしたら、気付けなかった自分が不甲斐なくて仕方ない。
「番号が表示されるまでお待ちください」
整理券を渡された凜夜は、長椅子に座って目をつむった。
少しの間休息を取っていると、症状は落ち着いてきたようだった。
「ん……? 東山さん……?」
目を開いて周りを見た凜夜は七海の存在に気付く。
「あっ……」
柱に隠れていた七海だが、凜夜のことが心配になりすぎて身を乗り出していた。これでは見つかるに決まっている。
凜夜は立ち上がって七海に近づいてきた。
「どうして東山さんが……」
「あー、いや、き、奇遇だね……」
さすがにこれでごまかせるとは思っていない。
「どうやってか知らないけど、君のことだから僕の後についてきてたんでしょ」
こちらに冷ややかな視線を送る凜夜。
「ま、まあ、そうなんだけど……。あっ、それより、立ってるのしんどいよね。座って座って」
これ以上彼の身体に負担をかける訳にはいかない。
二人並んで座り、できる限り楽な体勢を取ってもらう。
「凜夜君、精神科にかかってたの……?」
デリケートな問題なので、おそるおそる尋ねる。
「そう……だけど。そもそも、なんで君がいるの?」
凜夜にも、会話をする余裕ぐらいはできてきたようだ。
「なにか凜夜君の力になれればと思って……」
何ができるかは分からなかったが、恋人として、ただ待っていることはできなかった。
「でも、僕がこの病院に来てること知ってる人なんて学校にいないはずだよ」
凜夜の疑念に対して、七海はここに至るまでの一切合切を打ち明けることにした。
説明をする間、凜夜には目を閉じて休んでいてもらう。
「――で、ここに着いたの」
七海の話が終わると、凜夜は再び目を開けて七海の顔を見た。
「よくそこまでのことしたね。ストーカーで捕まるかもしれないところだよ? 精神障害者の僕が言うのもなんだけど、君、頭おかしいんじゃない?」
これは聞き捨てならない。
もちろん七海の評価ではなく、凜夜についてだ。
「おかしいのはあたしだけで、凜夜君はまともだよ!」
凜夜は気遣いもできるし、優しい人物だ。精神障害を理由に『頭がおかしい』などとしては差別以外の何物でもない。
「それに、あたしが捕まって凜夜君が助かるなら本望だよ!」
「いや、助からない場合に訴えられて捕まるんでしょ」
あきれ顔でつっこみを入れる凜夜だが、少しして笑い出した。
「なんだか緊張がほぐれたよ」
確かに血色が良くなっている。
ほんのわずかでも助けになれたようだ。
「それで、精神科にかかってる理由と学校を休んでる理由を知りたいんだよね?」
「あ、言いたくないことはいいよ。話せることだけで」
「隠すほどのことでもないから一通り話すよ」
そうして凜夜は物憂げに語り始めた。
「まず、僕が精神科にかかってるのは中学の頃からずっとだよ。コミュニケーションが苦手で、憂鬱な気分になることも多かったから。障害自体は生まれつきだと思うけど」
以前、自分のことを根暗だと言っていた凜夜だが、それが精神障害だとまでは知らなかった。自分の考えの甘さがつくづく嫌になる。
「そっか……つらかったんだね……。あたしが気安く話しかけてたのも良くなかったかな……?」
「それはまあいいよ。三年も通院して、最低限の会話はできるようになってたから」
凜夜によれば、一見そこまで暗くない人が鬱病などの精神疾患を抱えているのは珍しくないとのことだ。気を使いすぎるからこそ、人前では明るく振る舞ってしまう人もいると。
ただ、凜夜に関しては、明るく見えるにせよ暗く見えるにせよ、そこまでの苦痛は感じなくなっているらしい。
「いずれにしても、対人緊張とか気分の落ち込みっていうのは、今の問題じゃないんだ」
今になって学校を休まなくてはならなくなった理由。
七海は固唾を吞んで続きを聞く。
「学校を休み始めたのは、急にめまいとか吐き気の症状が出てきたから。今も立ってしゃべるとしたらキツいと思う。もちろん身体のことだから、最初は内科を受診したんだけど、そこで胃カメラとかやっても異常なしってことで、原因が分からないんだ」
めまいと吐き気――まさしく、凜夜が家を出てからここに来るまで感じていたであろう症状だ。あの様子だとかなりのものだろう。
しかも原因不明ときた。
「初めは寝たきりみたいな状態になってて、本当にこのまま死ぬのかなって思った。でも命に関わる病気ではないみたい」
道理で外部との連絡を絶っていた訳だ。
人と話す余裕など全くなかったに違いない。
生放送休止のお知らせをしただけでも凜夜の義理堅さが窺える。
「内科で異常が見つからないなら、多分精神的なものが関係してるんだろうってことで、今日はこっちに来たんだ」
身体がつらそうなのに精神科に来た事情は分かった。
「それに症状が出始めたのが――」
話の途中で、凜夜は『うっ』と口を押える。
「大丈夫!?」
七海は彼の背中をさすってあげる。
やはり苦しそうだ。無理に話をさせるべきではないかもしれない。
「すみません! 凜夜君、すごく体調悪いみたいなんです! 横になってもいいですよね!?」
看護師の許可を取って、凜夜を長椅子に寝かせる。
その傍らにしゃがみ込んで顔色を見ると、いくらか楽にはなったようだった。
診察までは時間がある。身体を休めてもらおう。
「最後に放送をやったあと、新作の台本を書き始めて、その日の夜中ぐらいから気分が悪くなったんだ……」
急いで話さなくてもいいのだが、凜夜としては聞いてもらいたいようだった。
凜夜は氷嚢代わりのように手の甲を額に乗せながら続ける。
「東山さんが喜ぶようなものを――って意気込んでた時のことだから、精神的な緊張はあったし」
「凜夜君……」
そんなに七海のことを思ってくれていたのか。
せっかくの気持ちが、このような体調不良で台無しにされてしまったかと思うと、やり場のない不満が募る。
もしも病気に形があったら、昔とは比較にならない勢いで争っていたところだ。
「とにかく今は凜夜君の身体が第一だから。無理しないで」
「ありがとう……。でも、東山さんは待っててくれても、今の時代、普通のファンは一度逃すと戻ってこない……。僕は……早く活動を……再開したいんだ……」
声優としての活動は凜夜の誇り。病気のせいで凋落することは耐えがたいと語る。
言いたかったことは言い終えたようで、このあとは黙っていた。
七海も静かにそれを見守る。
十五分ほどして、やっと診察の順番が回ってきた。
ここの医師が現況を打開する手段を提示してくれればいいのだが――。
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