第8話「凜夜のファン」

 買い物を終え帰宅して、スマートフォンを確認する。

(おっ、新しいのある)

 歩いている途中、通知音が鳴った気がしたのでもしかしたらと思ったが、やはり凜夜の新作音声がアップされている。

 タイトルは『カウンセリングのロールプレイ』。

 さっそくイヤホンをして聞いてみることに。

『――どうぞ、そちらの席に座ってください。今悩んでいることはありますか? 気分の落ち込み……対人緊張……と。私と話していてどうですか? そうですか。もしかしたら学校関係者ではない相手の方が気楽に話せるのかもしれませんね。この病院にいる間、君の行動で人に迷惑をかけるようなことはなにもありませんでしたし、自信を持っていいんじゃないでしょうか』

 いつもに比べて大人っぽい演技だ。

 病院のカウンセラーという清潔感のある設定と、凜夜の清楚な声質がマッチしている。

『――逆に気分が落ち込まない、いい気分になる状況ってありますか? あ、ゲームがお好きなんですね。では、一番落ち込んでる時の気分をゼロとしたらゲームをやってる時はいくつぐらいになりますか?』

 聞きながら、これもプレイリストに登録しておく。

(凜夜君としては珍しい役だな。こういうネタってどこで仕入れるのかな?)

 勉強熱心な凜夜のことだ。どこかしらで学ぶ機会があるのだろう。

 凜夜放送の時間が近づいてきたので、待機画面を開く。

 今はまだ学校の授業が本格的に始まっていないということもあり、放送の頻度が高い。

「みなさん、こんばんは。須藤凜夜です」

 学校で聞くのと変わらない声質でありつつも、優しげに語りかける凜夜。

『お姉ちゃんからのお小遣いだよ』

 プレゼントにお金を割いたので、今回のスペチャは五百円にしておいた。

「今回はささやきでお届けしようと思います。眠くなったら寝てくださいね。ささやきだから、話の内容は当たり障りのないことがいいですかね。みなさんの学生時代の得意科目はなんでしたか? 僕は――」

 凜夜はこしょこしょとした声で話を続ける。

 七海は眠気を誘発されながらも、凜夜の声を聞き逃したくないので、どうにか意識を保とうとSNSアプリを開いた。

 すると、凜夜の『春らしい景色が見られました』というつぶやきと共に桜の花の写真がアップされていた。

(凜夜君と一緒に花見とかしたいな……)

 現状では夢のまた夢だが、いつかは実現したい。

 そのためにも明日はプレゼント攻勢だ。


 と、思っていたのだが。

 プレゼントを買った翌日、凜夜は学校を欠席していた。

(あれ? 昨日普通に凜夜放送やってたのにな)

 まあ、急に風邪を引くこともあるだろうと、この時は深く考えなかった。


 さらに次の日。

 朝、校門前で凜夜を待つ。

「あ! 凜夜君!」

 待ち人の姿を認めて声をかける七海。

「君も飽きないね」

 無愛想にだが、こちらがなにか言うまでもなくカバンを渡してくれた。

 七海はそれを丁寧に受け取り、脇に抱えつつ、自分のカバンからプレゼントを取り出す。

「あたしからのチョコ受け取って! 手作りとかじゃないけど、その分いいお店で買ったからおいしいと思うよ」

「今年のバレンタインは終わったよ」

 やはりというべきか、うれしそうな顔は見せてくれない。

「そ、そうだけど……。甘いもの好きだよね? 口に合わなかったら捨ててもいいから、受け取ってほしいな」

 少しの沈黙を挟んで、凜夜が答える。

「勝手にカバンに入れといて。気が向いたら食べるから」

 それだけ言うと、スタスタと歩いていった。

 彼の言葉に従い、教室でチョコレート入りのカバンを凜夜に返す。

 続けて、凜夜が自習を始めるより早く、机の上に化粧水のビンを並べた。

「この中に凜夜君の肌に合いそうなのってあるかな? よかったら使ってほしいんだけど」

「僕が選んだの以外はどうするの?」

「うーん? どうしようかな……。まあ、あたしが適当に使うよ」

「君の肌に合わなかったら?」

「あたしの肌はまあなんでもいいんだよ。なにも使わないよりはマシだろうし」

 要は凜夜のためになればいいのだ。

「ずいぶん非効率なプレゼントだね」

「でも、凜夜君、どんな化粧水使ってるかとか聞いても答えてくれないと思って……」

 前もってプレゼントを買うことを告げていたとしたら、いらないと言われてしまっただろう。さっさと現物を持ってくる方が、まだ受け取ってもらいやすいと思ったのだ。

「生放送で聞かれたら答えたけどね。甘いものが好きってのも、プロフィール見て知ったんでしょ」

 意外な反応に七海は瞬いた。

「生放送なら教えてくれたの?」

「仮にもスペチャでお金もらってるから、そのぐらいは」

 声優としての凜夜は、どこまでもファンに対して優しい。

 凜夜放送は、スペチャをせずにタダで聞くこともできるし、音声作品も無料公開のものがいくつもある。人々に癒しを届けたいというのは本心なのではないか。

 どうして学校ではそれをしてくれないのだろう。

「とりあえず、これもらっとくよ」

 凜夜は、乾燥肌に適した化粧水のビンを手に取った。

 残りを片付けながら、七海が尋ねる。

「そういえば、昨日はなんで休んでたの?」

「……関係ないでしょ。少なくとも、君には縁のない話だよ」

 たかが一日学校を休んだ程度でクラスメイトにまで理由を説明する義理もないが、妙に気になる表現をされた。

 もっとも、体調不良だったのなら、今、元気そうにしている時点で特に問題はない。

 深く詮索するのはやめておこう。

「じゃあ、僕は予習始めるから」

「あっ、うん。時間取らせてごめんね」

「……プレゼントして謝るとか変な人」

 ボソッとつぶやく凜夜の元を離れて、七海は自分の席につく。

「ねーねー、七海」

 女友達が話しかけてきた。

「須藤君ってさ、なんのアニメに出てるの?」

 少々答えづらい質問だ。

「いや……アニメには出てないかな……」

「え? 声優って、あのアニメに出る声優じゃないの?」

 いわゆるアニメオタクでなくとも、声優と聞けばアニメを連想するだろう。もしくはゲームを。

「んー、なんて説明したらいいかなー」

 七海が悩んでいると。

「ちょっと聞いてよー!」

 また別の女友達が涙目で教室に駆け込んできた。

 七海たちのところにやってきて、まくし立てる。

「アタシ、隣のクラスの北大路きたおおじ君に告白したんだけどさ。『俺とお前じゃ住んでる世界が違う』とか言われたの! そりゃ、どう見てもイケメンで釣り合わないのは分かってるけど、向こうからそれを言うっておかしくない!?」

 どうやら振られたことについて愚痴りたいらしい。

 彼女も七海同様、無謀な告白に挑戦してしまったようだ。

(あ……)

 この話を聞いて、七海は気付かされたことがあった。

(凜夜君は、あたしが話しかけたらちゃんと答えてくれてる。素っ気ないけど、そんなにひどいことは言わないし……)

 多少バカにされることはあるが、テレビで見るような毒舌の芸人に比べて柔らかいぐらいだ。

 どちらかというと凜夜は、自分がそこまで愛されていると信じられずにいるようだった。

 もしかしたら彼には心を許せる誰かが必要なのではないか。

 自分がそれになれるかはともかく、そんな気がしてきていた。

 昼休み。

 七海は約束通り牛乳を買うため、購買部に向かっていた。

 廊下ですれ違った女子たちの話し声が耳に入る。

「須藤凜夜君ってかわいいよねー。私、ファンになっちゃったよ」

「うんうん。ちょっと陰のあるとこがまたいいよね。そのうちファンクラブ設立されるんじゃないかな?」

「できたら私、速攻で入るよ」

「いっそアンタが作ったら?」

「それもいいかも。あはは――」

 さっそく学校内に凜夜のファンを自称する者が現れ始めた。

 だが、彼女らは凜夜が声優だとは知らない。

(あたしはあんな軽い連中とは違う! 一介のファンを超えて恋人になるんだ!)

 根拠のない自信。ユアチューブで凜夜のチャンネルに登録しているので、既にファンクラブ会員のようなものだというのに。

 買い物を終え、教室に戻ってくる。

「凜夜君! 買ってきたよ!」

「ああ、うん」

 凜夜はカバンから財布を取り出す。

「ん? おごりじゃないの?」

 互いにきょとんとした表情になった。

「本気にしたの? クラスメイトに無心するつもりはないよ」

 どうやら、今のところ凜夜にとっての七海は、ただのクラスメイトということらしい。

「いやいや! これもスペチャみたいなもんだから。一日百二十円なんて全然大したことないよ」

「そうなんだ」

 特別感謝しているという風でもないが、納得はしてくれたようだ。

 近くの席を借りて、凜夜の前で弁当を食べながら話しかける。

「牛乳好きなの?」

「まあ、それなりに。身長低いし」

「え? 低くはないと思うけど」

 高身長ではないが、童顔との釣り合いを考えたらちょうどいいぐらいではないか。

 といっても、本人は気にするのだろう。あまり踏み込まない方がよさそうだ。

 それよりもっと重要なことがある。

「自己紹介の時、なんで声優だって言わなかったの?」

「同人声優なんて世間の人は知らないし」

 確かに七海の友人も同人声優は知らなかった。

 凜夜は美少年なので女子からけなされることは少ないだろうが、逆に嫉妬した男子からアニメに出演しない程度の声優であることを揶揄される恐れはある。

 七海にとって凜夜は神だし、ファンもたくさんいるが、学校内で声優としてのネームバリューが通用するとは考えにくい。

 声優としての彼を評価する人はいくらでも増えてほしいと思う反面、競争相手が増えると自分が不利になるというのは困ったものだ。

「うーん。音声作品って出演声優のファンなら、商業のドラマCDよりお買い得なのになー」

「まあ、一人の声優がしゃべり続けるっていうのは、一部の人にだけすごく受けるんだろうね」

 こうして凜夜と一対一で話しているのも幸せな時間だ。

 七海は欲張りなので、恋人になってほしいと思っているが、とりあえずは地道にいくしかない。

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