【第一章】-学園と生放送-
第2話「奇跡の邂逅」
高校の入学式当日。
七海は朝早くに起きていた。
といっても、高校生活が特別楽しみという訳でもない。
凜夜の音声作品を聞きながらベッドに入るとよく眠れるので、自然と睡眠のリズムが整っているのだ。
ブレザーの制服に着替えて家を出る。
スカートというものには一向に慣れない。自分は全く似合わないと思っている。
「いってきまーす」
七海の髪は太陽に照らされると茶色っぽい光を放つ。
染めているのではなくこれが地毛だ。
今年の春はなんとなく暑い気がする。勉強が苦手な七海からすると、こうして登校するのはどちらかというとかったるい。
日々の糧は、もっぱら凜夜の出演作と生放送を聞くことだった。
なぜ七海が、ここまで凜夜に入れ込んでいるかというと――。
小学生から中学一年生ぐらいまでの七海はケンカばかりしていた。なまじ力があるものだから、どうしても相手を負かしてしまい、相手の家に謝りにいかされることも多かった。嫌みを言ってきた女子を殴ったりもしていたので、とんでもない乱暴者扱いだった。
そんな風に過ごしていたある時。中学二年生になったばかりの頃だったか。暇つぶしに動画サイトを見ていたら、人気急上昇中の動画として凜夜がアップした無料音声が紹介されていた。
試しに聞いてみたところ衝撃を受けた。この世にこんな美声の持ち主がいるのか、と。
初めは『いい声をしている』という点に注目していただけだった。
しかし、安眠にはつながるということで、夜な夜な繰り返し聞くようになっていった。
凜夜は高めの声だということもあり、やや幼い少年を演じることが多い。
音声作品だと主人公にセリフはないが、凜夜の演じるキャラクターが主人公を頼りにしているような描写はよく見られた。
数少ないボイスドラマの出演作でも、やはり主人公に守られつつも精神的な支えとなるようなキャラクターが大半だった。
そうした作品にハマっていくにつれ、弟か年下の恋人でもできたような気分になり、自分の力は大切な人を守るためにあるのだと思えるようになっていった。
音声作品を聞いていると心が落ち着き、他人への怒りなどはどこかへ消えていく。代わりに芽生えたのは人を助けたいという気持ち。
凜夜の声が、七海のすさんだ心を癒してくれたのだ。
生放送での投げ銭も初めのうちは気まぐれでしていただけだったが、自分以外のためにお金を使うという利他的な行動に充実感を覚えられるようになっていった。自分のことしか考えずに暴力を振るっていた頃と今とではまるで違う。
他にも声優はたくさんいるが、七海が変わるきっかけをくれたのは凜夜だ。
それも、彼の声に魅力があったからこそ。
美しくも陰があり神秘的なイメージは七海の心を惹きつけて放さなかった。
凜夜にスペチャで貢ぐためにも、勉強はちゃんとして親から小遣いをもらわなければならない。そう思えば、学校に行くメリットもあるというものだ。
学校に向かう途中、道路の端で頭を抱えている中年男性を見かけた。近くには車が止まっている。
「おっちゃん、何やってんのー?」
声をかけてみる。知り合いではないが、困っている人を放っておかないのが、凜夜――の演じるキャラクター――と結ばれる女主人公だ。
「ああ、お嬢ちゃん。いやね、タイヤが側溝にはまりかけててね。なんとか道路に戻したいんだけど」
なるほど。路上に車を放置したまま応援を呼びにいく訳にもいかなかったというところか。
「あたしも手伝うよ。腕力には自信あるから」
あまり自慢のできた話ではないが、ケンカをしていた頃の名残で身体能力は人一倍高いのだ。代わりに女子力は低いので本当に自慢できないのだが。
ついでにいうと、ルールの中で行われるスポーツもさして得意ではない。
「そうかい。助かるよ」
はまりかけているのは、車の左の前輪だけだ。
七海は、止めてある車と塀の隙間に入ってタイヤの後ろ側を持つ。
おじさんには正面側を持ってもらい、二人がかりでタイヤの位置をずらしていく。
ケンカをやめて以来役に立つ機会がなかった馬鹿力を活かしてタイヤを戻すことができた。
「ありがとう。手が汚れてしまったね。これ使って」
おじさんからティッシュを受け取って手を拭く。
「ウエットティッシュじゃないから十分落ちないと思うけど……」
「大丈夫。どのみちこの手は汚れている……なんてね」
低い声でアニメのようなセリフを言ってみても、年配の人には伝わらないか。
首をかしげたおじさんは、苦笑しながら身の上を話す。
「いやあ、この歳になると腰が痛くてねえ。若い女の子ならともかく、こんなおじさんを助けてくれる人なんてなかなかいないし。お嬢ちゃんは優しいね」
「そういうことならね、声優の須藤凜夜君って子に感謝してあげて」
七海の優しさは凜夜から教わったようなものだ。彼がいなければ、七海は今も人を傷つけるために力を使っていただろう。
「ん? お友達か誰かかい?」
「ちょっと違うんだけど、おっちゃんが助かったのは間違いなくその子のおかげだから」
意味が分かるはずもないが、それでもおじさんは納得してくれたようだ。
「じゃあ、リンヤ君、ありがとうね」
どこに向かってともなくお礼を言うおじさん。
こうして凜夜の名誉をより高めることができたなら満足だ。
「じゃーねー。凜夜君の『凜』は、右下が『
ブンブンと手を振りながら、高校への道を駆けていく。
人助けをした後というのは、ケンカに勝った後よりよほど気分がいい。
高校が近づいた辺りで、今度は見知った人影に出会う。
「なんだ
「おー、七海か。よく合格できたな。お前、バカなのに」
「それはお互い様でしょ」
今、合流したのは、七海の幼馴染の
小学校時代からのケンカ相手でもあった。
軽くパーマを当てたような茶髪で、入学初日から制服を着崩している不良っぽい少年だ。
不良っぽいというより、元不良といった方が正しい。
ただ、根はいい奴。
和也との関係は、彼がケンカに負けないでくれたおかげで続いている。
殴った相手を泣かせてしまえば、親や教師に叱られ、関係はギクシャクしてしまう。
互角のケンカを通して認め合ったからこそ現在も友人でいられているのだった。
これだけ聞くと男子同士の友情のような話だ。
「それより、前に渡したシナリオ読んだ?」
「あー、読んだけどな……。ぶっちゃけ、俺が自分で書いた方が面白い気がするんだよな」
「そ、そんなことないでしょ!?」
なんのことかというと、漫画の原作と作画についてだ。
七海には野望がある。
ここにいる和也と組んで漫画家デビューをしようとしているのだ。
それも、ただ漫画家になるというだけではない。ただアニメ化を目指すというだけでもない。
そのアニメに凜夜を起用することで、直接会おうと考えているのだ。
さらにいえば、凜夜と恋人になることを狙っている。
大それた野望だが、七海は本気だ。
他のほとんどのリスナーがファンの立場で応援するだけで満足している中、七海は無謀な挑戦をしようとしていた。
しかし、絵が描けないので、雰囲気に反して絵心がある和也を頼っている。
「ってか、和也はいまだにケンカとかしてるらしいじゃん?」
「俺は、いじめとかやってるような奴しか殴らない、いい不良だからいいんだよ」
「『いい不良』って……」
矛盾しているようだが、和也が、本当にか弱い人に暴力を振るったりしないのは知っている。
女子とケンカしているところも見たことがあるが、相手も気が強いタイプだった。
七海につられるような形で、不良以外とのケンカをやめたようでもある。
「まあ、不良かどうかはともかく、今の俺たちは漫画家志望だろ? もうちょっと整合性の取れた話考えろよ」
「んー、考えてるつもりなんだけどなー」
はっきりいって、現状の七海は単なる絵が描けない漫画家志望者でしかない。
原作者になろうと思ったら、絵が描ける人に比べてストーリーなりキャラクターなりを作る力が優れていなければならない。あるいは何らかの専門知識を持っている必要がある。
「あれだろ? 須藤凜夜に演じてもらうキャラにばっか力入れて、他が適当になってんだろ」
「う……。それは否定できないかも……」
純粋に面白い漫画を描きたいという人からすれば動機が不純ともいえる。
もっとも、勢いのある漫画を描くには『これが描きたい!』という熱意も求められるので、こういう描き方も間違ってはいないのではないか。
なんだかんだと話しているうちに校門の前まで来た。
そこで見覚えのある女子がこちらに駆け寄ってくる。
「真野君! 高校同じなんだね! 話したいことがあるから、ちょっと一緒に来てもらってもいいかな?」
「ん? いいけど」
和也は微妙に気だるそうな様子で女子についていく。
(あー、こりゃ、告白だな)
和也は結構な美形なので彼を慕う女子は多くいた。和也と同じ高校を受けて落ちた、と泣いている女子を見たこともある。野性味のあるところが評価されているらしい。
二人の後ろ姿を見て思う。
(分かってないなー。男の子は声が命なのに)
和也の声も悪い訳ではないが、凜夜の美声を前にしたら平凡なものだ。
野性的な男子が魅力的というのも、分からないではないが、いまひとつ共感はできない。やはり凜夜の演じているような上品でかわいらしい男子こそ至高だ。
その後、和也と同じクラスだということが判明し、縁の深さを感じながら入学式の行われる講堂に入った。
国歌斉唱を終え、式辞だの祝辞だのを聞いているうちに退屈になってウトウトしていた中でのこと。
「私たちは建学の精神に則り――」
新入生代表のあいさつが行われているようだが。
(ん……。この声、聞き覚えが……)
聞き覚えも何も、毎日聞いている声だ。眠気を誘う、川のせせらぎのように優しげな。
いつもと違うのは、眠気が吹っ飛んだという点だった。
引き寄せられるように壇上に目を向ける。
(おおおお!? なに、あの美少年!?)
そこには、やや童顔で涼しげな目元をした少し陰のある美少年の姿があった。
声を発していたのは彼に違いない。
彼の顔が、パソコンの画面に映っていたキャラクターのイラストと重なる。
「――以上、新入生代表・須藤凜夜」
はっきりと名前が聞こえた。
(須藤凜夜って……あの凜夜君!?)
衝撃的すぎて、上の空のまま入学式は終わった。
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