『夜明け』その2


「はあ。何してんだろ。僕」


 家を飛び出したあと、大通りからそれた狭い道を歩いていた。まだ真夜中だ。月のわずかな光に照らされた街並みには、人の気配は少しもない。この辺りは商店街がほど近く、いくつもの建物が建ち並んでいる。だが今はみんな寝静まっているようで、部屋の明かりもついていなかった。


「これから、どうしようかな」


 そう呟くレイの顔からは、表情が消えていた。深い絶望の表情だ。暗く淀んだ瞳が深く、深く落ち込んでいく。


「ライトさんだけは、僕を認めてくれると思ってたのにな」


 騎士になりたい。その夢を、応援してくれると思っていた。


「この世界には、やっぱり僕の居場所なんかないのかも」


 怖がられるのも、罵られるのも、化け物だと言われるのも慣れてしまった。でも、そう言われるたびにこの世界での僕の居場所がすり減っていくような気がして。


「僕は一体、何になれるって言うんだろう。闇魔法使いが、この世界でどうやって生きればいいんだろう」


 正体を隠して暮らす毎日。正体がバレれば終わり。そこに僕の居場所はなくなる。それを何回繰り返せばいい?


「僕は、何にもなれない。誰からも、認められない」


 夜空に手を伸ばす。空には満天の星空が輝く。闇の中にあってなお、宝石のように煌めく星々。あの星たちのようになれたなら、どれだけ良かっただろう。


「ふう。本当に、これからどうしようかな」


 勢い任せで家を出てきてしまった。もうあそこには戻れない。ライトにどんな顔をして会えばいいかもわからない。それに、自分がもう必要とされていないということがわかった以上、あそこから離れてしまった方がライトのためにもなる。


「旅にでも、出ようかな」


 王都からでて、あてもない旅に出よう。後先なんか考えなくてもいい。別に役に立たない命だ。どうなろうと誰も構わないだろう。自分自身、自分がどうなろうと構わない。


 そんな時だった。人の気配一つない裏通りの、目の前を走り去る人影が見えたのは。


「え?」


 人陰はすぐに走り去ってしまった。それは驚くほど速かった。でも、確かに見えたものがある。その人影が抱えていた、何か人のような物体。


「誘拐?」


 その可能性に思い至り、レイは人影が走り去った方を見る。その姿はもう消えそうだ。でも、今ならまだ追いかけられる。


「はは。何をバカなことを考えてるんだ。僕は」


 自嘲気味に笑う。


「僕なんて、騎士でもなんでもないのに。誰も僕なんかに期待してないのに」


 闇魔法使いの化け物が、騎士を名乗るなんてとんだお笑いだった。僕に一体何ができるというのか。そんなふうに考えていると、ふと、あの日の出来事を思い出す。ライトに初めて出会った日。『閃光の騎士』に助けられた日のこと。あの時、僕はどう思った?


「ライト、さん」


 僕は、あの姿に憧れたんじゃなかったのか。誰にでも分け隔てなく接し、助け、守り。そんな姿を見て、騎士になりたいと、『閃光の騎士』ライハルトのようになりたいと思ったんじゃないのか。


「ライトさんなら、あんなやつのこと絶対に見過ごさない」


 そう、あの人ならこういう時、迷うことなく行動する。あんな誘拐犯なんて、一切の躊躇なく捕まえているはずだ。それに比べて僕はどうだ。


「騎士ならば、人を助けるのに迷うことなんてない」


 騎士になりたいなんて言っておいて、誰かに否定されただけですぐに心が折れる。僕はなんて中途半端なんだろう。どうしてこんなに弱いんだろう。それでも僕は騎士になりたいんだ。あなたのようになりたいんだと、どうして言えなかったんだろう。


「待て!」


 走り出す。もう迷わない。せめて、憧れの人に胸を張って夢を語れるように。どれだけ否定されたって構わない。それでもあなたのようになりたいんですと、迷いなく言えるように。


「止まれ!」


 身体強化魔法をかけて、全力で駆ける。全身から吹き出す黒い魔力は闇夜に溶けて、月明かりがそれを照らす。人影との距離はだんだんと縮まる。走る人影の肩には口を塞がれた少女の姿が見える。あれが悪人なのは間違いない。


「ああああ!」


 その背中に向けて思い切り蹴りを繰り出す。肩の少女には危害を加えないように、抱き止めてその誘拐犯から奪う。


「ぐああっ!」


 どしゃあと地面に転がる誘拐犯。その姿は全身を黒い服で覆い、顔にはマスクをつけている。


「大丈夫ですか?」


 少女に声をかける。彼女の口を塞いでいる布を取り去ると、少女は嗚咽をあげて泣き出した。手足を縛られている紐を解こうとすると、男の声が聞こえてくる。


「てめえ、なにもんだ」


 男はすぐに起き上がり、腰からロングソードを抜く。さっきの蹴りはあまりダメージになっていないようだ。レイはその辺りに落ちていた木の棒を手に取り、男と構え合う。


「見習い騎士だ。誘拐だな? 大人しく騎士団庁舎まで来てもらおう」


「ははっ! ガキが何言ってんだ? ごっこ遊びでもしてんのかよ」


 男が面白そうに笑い声を上げる。レイは鎧も着けていないし、丸腰だ。手には拾った木の棒が一本。それに少女のような外見も相まって、とても強そうには見えない。髪染めの魔道具によって髪は白になっている。


「お前まじかよ。よく見たら可愛い顔してるなあ。お前も高く売れそうだ。商品が自分から攫われにやってくるとはなあ。なんつうんだこういうの。ぷんぷん飛び回って死ぬ虫ケラだっけかあ!?」


 男は緑色の魔力を身に纏いレイに襲いかかる。風魔法の使い手だ。レイはそれに身体強化魔法を発動させて応戦する。レイの髪は黒に戻る。


「おいおいおい! まじかマジか。お前黒髪かよ! ラッキーすぎる」


 何度か剣を交える。男はかなり強い。レイの闇属性は身体強化魔法の効果を底上げしているにも関わらず、その力は互角だ。ただし、剣術の腕はレイよりも優れていた。


「くっ」


 今のレイはこの1ヶ月を経て、一般の騎士ともそこそこ渡り合えるくらいの剣術の腕を得ていた。そのレイが身体強化魔法を使って防戦一方になる。ということは向こうは一般の騎士以上の実力者ということになる。ただでさえ向こうはロングソード、こっちは木の棒だ。実力差のある相手に挑んで勝てる道理はなかった。


「幸運の女神様が味方したのかあ? お前を魔族に売れば、大儲けだぜぇ」


 徐々に追い詰められていく。木の棒は段々と短くなり、レイの体は壁際に押し込められる。


「ああああ!」


 力一杯放った一撃が男の腹部を真一文字に掠める。ダメージを与えることはできていないが、どうにか男から距離を取った。


「おっと、あぶねえな。お前、力だけはあるんだな。面倒臭え」


 少し痺れる手をプラプラさせながら男がいう。息一つ乱していない。対するレイはぜえぜえと息を荒げていた。


「俺、強えだろ。『太陽の加護』の中でもそこそこだと自負してる」


 男が気分良さそうに語り出す。レイは息を整えるために、その話に付き合うことにした。


「『太陽の加護』は、潰されたはずじゃ」


 レイを誘拐した組織も『太陽の加護』だった。ライトがそこを潰してレイを助け出したのだ。もうその組織はなくなったと思っていた。


「あー。そういえばちょっと前にニュースになってたな。いや、あんなの組織のほんの爪先でしかねえ。そんなチンケな組織じゃねえのさ。うちは」


「なんだと? 王都にも、まだ組織はあるのか」


「まあな。あー。これ以上は言わねえよ。怒られちまうだろうが」


 男は話を切り上げ、ロングソードを突きつける。


「おしゃべりはもう終わりだ。抵抗しなきゃ優しく連れてってやるよ。でなけりゃ、手足の一、二本なくなったって知らねえぞ?」


「バカを言うな。僕はまだ負けてない」


 荒い息を整えたレイは、もはや短剣のように短くなった木の棒を構えて啖呵を切る。とはいえ、このままでは勝ち目はない。


「言うねえ。……痛めつけねえとわからねえのか?」


 男は体から緑の魔力を立ち上らせると、腕のあたりに風が渦巻く。


「〈刃の竜巻ストーム・カッター〉」


 渦巻く風が竜巻となってレイの元に襲いかかる。それを必死に避けるレイ。


「どうした? 威勢が悪いなあ。そんなんじゃ俺には勝てねえぞ」


「くそっ」


 魔法と男、両方に追われて逃げ惑うレイ。男の方も、レイをなかなか捕まえられないことにイラつき始める。


「面倒臭えな。あまり手間取ると他の奴らがきちまう。しょうがねえな。あんまり商品を傷つけたくなかったんだが、くそ」


 レイの前に男が立ち塞がり、渾身の蹴りを叩き込む。それはレイの脇腹の辺りにめり込み、吹き飛ばされた勢いで近くの壁に強かに激突する。


「ごはっ」


 口から血を吐き地面にずるずると倒れ込むレイ。そんなレイを見て男はポリポリと頭を掻く。


「やっべ。死んだか? もったいねえことを、クソ! ったく。手間取らせやがって。しょうがねえな。早いとこトンズラこかねえと……って、おいおいマジか?」


 男は信じられないような視線を送る。その先にはレイが黒い魔力を吹き上がらせながらゆっくりと起き上がる姿があった。


「なんで立ち上がれる? 致命傷だったろ、今の」


 驚きながら言う男を、レイは無表情で睨みつける。


「お前は強い。僕じゃ勝てない」


「はっ。あたりまえだろ。大人しく俺の商品になる気になったか?」


「だから、手段は選ばない」


「は?」


 レイは短くなった木の棒を放り投げる。どうせこんなもの役に立たない。あっても邪魔だ。


「ははっ。なんだよ。意味わかんねえ。頭でも打ったか? とりあえず生きてんならいいや、大人しく捕まれよ」


 男の言葉を無視し、レイは無手で突撃する。黒い魔力はほとばしり、今までよりも早い速度で男のもとに一直線に走り出す。


「うおっ!」


 男は咄嗟に持っていたロングソードを突き出すと、そこにちょうどよく走ってきたレイの胸に、剣が深々と突き刺さる。


「ごほっ!」


 ゴボゴボと血を吐くレイ。胸には、男の持つロングソードの根本まで突き刺さり、地面に血溜まりを作っていく。それはどう見ても致命傷だ。


「うえ、なんだよ。気持ちわりいな。何がしたかったんだ? こいつ」


 男が顔をしかめる。すると、レイの左腕が男の剣を持つ手を強く掴む。


「な、なんだ」


 レイの体を黒い魔力が包み込むと、傷口が急速に塞がっていく。それは胸に刺さった剣をガッチリとホールドし、抜けなくさせる。そしてレイは身体強化魔法を右腕に集中させる。より強く、強靭に。全霊を込めた一撃を、腕にのせて繰り出す。男の顔面に向けて。


「や、やめ」


「ああああ!」


 全力を込めた拳が、男の顔面に叩き込まれた。

 

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