『2人の家』その2


「ふぁぁ」


 大きなあくびをして起きる。薄手のカーテンから差し込む朝日。今日も朝からいい天気だ。


「うーん」


 レイはあまり朝強い方ではない。まだ完全に開ききっていない目をこすりながら、ゆっくりと伸びをする。長い黒髪が目にかかって煩わしそうだ。枕元の横を手で探り、髪飾りを見つける。髪染めの魔道具だ。


「ねむ……」


 うつろうつろしながらも、どうにか髪を後ろで一つ縛りにする。レイの黒髪が白髪へと変わる。ゆっくりと起き上がり、布団をたたむ。レイはライトの家の2階にある部屋を自分の部屋にしていた。といってもまだ家具はなく、布団が一つあるだけ。この家に来てから数日たったが、レイはライトと顔をあまり合わせていない。


「今日はもう起きてるかな。ライトさん。休暇だって言ってたけど」


 布団の横にある時計を見る。時刻は6時を指していた。いつもならライトはもう仕事に出かけている時間だが、今日は水曜日。今日から2週間の休暇をとっているということをレイは聞いていた。


「あの人、本当にいつ寝てるんだって感じだからな……」


 レイは夜11時ごろに寝て、朝は6時に起きているが、その間ライトは家にいない。いつ帰ってきてもいいようにと食事の用意などもしているが、いつも手をつけた形跡はない。朝になるとゴミ箱にポーションの空き瓶が増えているので、それでレイはライトが家に帰ってきていることを知っていた。


「ふああ」


 2度目のあくびをしながら階段を降りていく。リビングの扉を開けると、ベッドの上でライトが寝ているのが目に入る。


「あ、まだ寝てる。なんか新鮮」


 いつもは空のベッドしか見た覚えがなかった。そこに人が寝ているという光景が逆に珍しい。


「レイ」


「うわっ!」


 ライトの首が急に向き、声発する。レイの心臓が跳ね上がった。


「お、起きてたんですか?」


 バクバクと脈打つ心臓をおさえる。


「ああ。ちょうどいいところに来た。ちょっと冷蔵庫からポーションを取ってくれないか? 青いやつだ」


「ポ、ポーションを? どうしたんですか。というか顔色、めちゃくちゃ悪いですけど……」


 その顔はまるで病人みたいに青白い。なんだかげっそりしているし、体調もかなり悪そうに見える。レイは冷蔵庫から青色のポーションを取り出すと、ライトの方に持っていく。


「ありがとう。いやその、体がなんか動かなくてな」


「は?」


 差し出したポーションを受け取ろうとしない。


「起きあがりたいんだが、体が動かないんだ。どうしたんだろうな。手も上がらない」


 ふははっと無表情に笑うライト。レイは言っている意味がわからず、首を傾げる。


「なに言ってるんですか? ライトさん」


「俺にもわからないんだ。昨日仕事から帰ってきたらなんか全身がだるくて、ベッドに倒れ込んだらそのまま動けなくなったんだよ」


「ん?」


 だんだんと状況を理解していく。起き上がりたいのに、起き上がれない。ポーションを飲みたくても、腕すら上がらない。悪すぎる顔色。点と点が線で繋がる。レイは持っていたポーションの蓋を開けてライトの口に突っ込んだ。


「むぐぅっ!」


「は、早く飲んでください! あんたやばいですよ!」


 明らかに普通ではない様子に取り乱すレイ。原因はよくわからないが、この状態はやばい。何かの病気かもしれない。それも緊急を要する類の。


「んゔぅ! んぐ、んぐ」


 無理やり飲み干させる。顔色が若干だが良くなった気がする。


「ど、どうです? 動けますか」


「ああ……いや、ダメだ」


「ええ!? ど、どうしよう」


 ポーションで回復しないという事実に、レイはさらに焦燥する。


「ポーションが効かないなんて! なんで……。こんなの、一体どうすれば。いや、一つだけ手段がある。試したこともないし、成功するかもわからないけれど……」


 すぐに医者を呼べと言いたくなるところだが、この時のレイにはそんな冷静さはなかった。焦りに駆られて闇属性の魔力を解放する。いつもは自分のケガを癒すことしかできないその力。でも、今は目の前のライトを救うことに集中する。


「しっかりしてください! ライトさん」


 祈りを込め、必死に魔法を使おうとする。すると、レイの髪色が白から黒に戻り、両腕から黒い魔力が湧き上がり、ライトの体に入っていく。どうやら、この土壇場で魔法の発動に成功したようだ。レイは力が抜けたように床にへたり込むと、ゼエゼエと荒い呼吸をする。


「お、おおお」


 ライトは驚いたように声を上げる。顔色がだんだん良くなってきている。


「はあっはあっ。ど、どうですか? ライトさん」


「体が……動く。すごいな。ありがとうレイ」


 ライトはベッドからむくりと起き上がり、手を開いたり閉じたりしている。その様子を見たレイはほっとしたように大きなため息を吐く。


「まったく……。心配させないでください。まだ寝てた方がいいですよ」


「ああ。すまん」


「いくらなんでも働きすぎじゃないですか。昨日は何時に帰ってきたんです?」


「あー。5時ごろかな」


「ごっ!?」


 驚くレイ。無理もない。今の時刻は6時。5時に帰ってきて今起きているのなら、おそらく一睡もしていないだろう。


「休憩とか、とってるんですよね?」


「ん? ないぞ。休暇前は特に忙しくてさ。少しも休んでる暇なかったな」


 その言葉に絶句する。ライトは休暇前に仕事を消化しようとここ数日はほとんど寝ず、食わずで働き続けている。ただでさえ疲労が積み重なっていたところにその所業だ。体を労わろうという気が微塵もない。


「食事とか、どうしてるんですか」


「ちゃんと食べてるぞ。ウェールシャーの『エネルギーメイト』。あ、でもここ数日は帰ってすぐ寝ちゃってたからな……何も食べてないな」


「水は、飲んでますか?」


「ちゃんと飲んでるよ。ウェールシャーのポーション。あ、でも昨日はすぐベッドに倒れ込んじゃったから……何も飲んでない」


「はああー……。本物だ、この人」


 レイは思わず頭を手で押さえてしまう。


「栄養失調に脱水、睡眠不足に過度の疲労。そりゃ誰でも倒れますよ……」


「そうか? でも今までは普通にやってきたんだけどな」


「ポーション漬けで働き続けるのは普通じゃありません。その無理の積み重ねで倒れたんじゃないですか?」


 実のところ、レイのその意見は的を射ていた。ポーションは体のあらゆるケガを治し体力を底上げしてくれるが、それはあくまで身体機能を向上させるというもの。元となる身体機能がゼロとなったら効果はないのだ。


 積み重なった悪い生活習慣の影響でライトの体はもうすでに限界を超えていて、いつ倒れてもおかしくないのをポーションで無理やり動かしているような状態だった。そしてついに、それさえも限界を迎えてしまったのだ。もはやライトにはポーションを吸収する体力さえも無くなっていた。レイがいなければ、もしかしたら命がなかったかもしれない。

 

「そうか……」


「僕がこの家に来たのは、今日この時のためだったのかもしれませんね。1人だったらどうしてたんですか?」

 

「それは……」


 ライトは今更ながら自分の状態を理解し始めた。もしレイがいなかったら。それを想像し、あらためてさっきの重大さを実感する。


「王都最強の『閃光の騎士』が自宅で過労死、なんて嫌すぎますよ」


「過労死……。それは、嫌な響きだな」


 ライトにはあまり馴染みのない言葉だったが、確かにそうなってもおかしくなかったかもしれないと反省する。


「とにかく、今から朝食を作りますので、ちゃんと食べてくださいね」


 

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