『レイヴン』その2


 騎士団本部にて休暇申請を終えたライハルトは、ナイト地区西の騎士団宿舎に来ていた。昨日の夕方、人身売買組織『太陽の加護』から誘拐されていたのを助けた少年の様子を見にきたのだ。


 宿舎の扉を開くと、たくさんの騎士がエントランスに集まり円形になっていた。その様子を見たライハルトは眉を顰める。


「この時間に騎士が大勢宿舎にいるとは……どういうことだ?」


 時刻はもう7時を回っている。朝礼もとっくに終わり、本来であれば街の見回りや演習場での訓練などで騎士たちは出払っているはずだ。ライハルトに気づいた騎士たちは一斉にこちらを見て敬礼を取る。


「こ、これはライハルト殿。わざわざこのような場所にお訪ねとは一体」


 この騎士は、昨日『太陽の加護』の建物で出会った男だ。犯人の2人の連行と少年の保護を頼んだはずだ。


「お前は昨日の。あの時の子供に会いにきた。約束していたからな」


「ああ、そ、そういうことでしたか。それではその、とりあえず中へお上がりください。お茶をお出ししますので……」


 その男の雰囲気に違和感を覚えたライハルトは騎士たちを押し除ける。騎士たちが囲んだ中にいたのは、昨日助けた黒髪の少年だった。ボロボロの布切れから除く体には殴打痕があり、青く膨れ上がっている。少年はひどく怯えた様子で縮こまった体を抱きしめている。ライハルトが来たのに気づくと顔を覆い泣き出してしまった。


「どういうことだ」


 ギロリと騎士たちを睨む。隠しきれない怒りがプレッシャーとなって周囲に放たれ、ライハルトが放った光が一瞬周囲を眩しく照らす。それを受けた騎士たちはたじろぎ、尻餅をつく。


「おい」


「は、はいい!」


 昨日会った男に視線をやると、男は慌てながら口を開いた。


「わ、わたしは何も、何もしていません! ただ、黒髪を見たこの騎士たちが不気味だ、不吉だと言って……。その、ライハルト様のマントを取り返そうとしたんです。そしたらそいつが抵抗したので、少し、少しですが手荒なことをですね」


「もういい」


 つらつらと言い訳を始めた男の話を遮り、少年の元に近寄る。嗚咽を上げる少年の手には、ライハルトが昨日貸した赤いマントが握られていた。


「すまなかった。俺がついているべきだった。本当に、すまない……」


 しんと静まり返った宿舎に、少年の鳴き声だけが響く。ライトハルトは少年を抱き抱えると、宿舎の玄関の方に歩いて行く。


「この少年は俺が預かる。それと」


 ライハルトが振り返る。その表情を見た騎士たちはびくりと震え、森の中で魔獣と出会った時のように呼吸を止める。


「ここでの一件は、覚えておくぞ」


 吐き捨て、扉を開き出て行く。ライハルトの姿が消えると、残された騎士たちは一斉に息を吐き、呼吸を整えるのだった。


 ――――――――――――――――


「痛むか? これを飲むといい。少しは楽になるはずだ」


 宿舎から離れ、人目のつかない裏路地で少年を座らせる。そしてライハルトは懐からポーションを取り出す。ウェールシャーで買った高級ポーションだ。


「いいえ、いりません。……ありがとうございます」


「いや、そうは言っても。酷いあざだ」


「僕は大丈夫です。……ほら」


 少年はそう言って腕を持ち上げる。二の腕についた大きな青あざが痛々しい。


「何が大丈夫だ。こんなに痛そうな……」


 そう言って手を伸ばそうとすると、少年の腕のあざがどんどん小さくなっていく。


「は?」


 少年の顔を見る。先ほどまで腫れていたほっぺたがどんどん小さくなっていき、元の綺麗な顔に戻る。目の前の信じられない光景にライハルトは少年の顔を何度も触り確かめる。


「あ、あの」


「あ、すまない」


 少し顔の赤くなった少年に謝り、ごほんと咳払いをする。信じられないことに、少年の全身の傷は綺麗に消えていた。


「どうして? ポーションでも持っていたのか?」


 そうは言ってみたものの、これほどの速度で傷が治るのはライハルトの持つ高級ポーション並みだ。そんなものをこの少年が持っているとは思えない。


「違います。これは……僕の体質というか。多分、魔法によるものだと思います」


「黒髪の属性。〈闇魔法〉によるものか」


「はい、そうです……」


 少年は俯く。100年に一度生まれるとされる、闇属性を持った者の証である黒髪。今まで、これを見たものは例外なく驚き、怖がった。目の前の騎士もきっと、同じように自分を不気味に思うだろう。


「闇魔法なんて御伽話でしか聞いたことがなかったが、そうか。そんなことができるのか、すごいな!」


 ライハルトは少年の手を取り笑顔を見せる。その表情には屈託が一切なく、純粋な賞賛で溢れていた。


「あ、え。その」


「それは他人にもできるのか? どのくらいの傷なら治る? もしかしたら疲れとかにも効果があるのか?」


 矢継ぎ早にかけられる質問に、少年は目を白黒させる。


「あ、えと。他人にはかけたことがないのでわかりません。僕も、無意識のうちに傷が治っているのでどうやって発動しているのかわかりません。疲れについても、ごめんなさい、わかりません」


「ああ、そうか。そうか。いや、興奮して悪かった。でも、すごいな。すごい能力だ。俺が今1番欲しい能力と言っても過言ではない」


 日々の睡眠不足に悩むライハルトにとっては、〈闇魔法〉の存在は青天の霹靂だった。


「……気味が悪いと思わないんですか?」


 ここまで手放しで褒められたことがない少年は、思わずライハルトに問いかける。


「ん? なぜだ」


「さっきも、この能力を見られたら殴られました。『不気味だ』って。『化け物だ』って。『魔物の正体を見せろ』って。ここにくる前にも、同じようなことは何度もありました。物心ついた時から、何度も何度も」


 表情は暗く、視線も落ち込んでいく。絶望の表情。このくらいの年の子どもが見せる顔では、ない。


「王都に来てからは、髪の色を隠す魔道具を使い身分を隠してとある商人の執事として働いていました。でも、ある時この魔法を見られて。そのあとは……」


 少年は無表情のまま涙をこぼす。ここまで生きてきて、いろいろなことがありすぎた。そのどれもがいい思い出とは言えず、幸せだったことなど記憶の限り、ない。


「もういい。大丈夫だから」


 硬い鎧に抱きしめられて、優しい声が少年を包む。少年は溢れる涙を目一杯溢れさせ、ひとしきり泣いた。

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