『ライハルトという人間』その3

「ぎゃあああ!」


「ブラウン!」


 ナイト地区北東部。そこでは騎士たちが1匹の魔物と戦っていた。


「ぐるるるるぅ!」


 魔物の名はベヒーモス。頭部にねじれたツノを生やし、イノシシのような体型をした、5メートルはあるだろう巨大な魔物だ。ランクはA。全身を覆う漆黒の毛は真夜中において視認しずらい。


 騎士たち6人が必死に戦うも、手も足も出ない状況だった。そして今、ブラウンと呼ばれた若い騎士がベヒーモスのツノで貫かれた。


「ブラウン! 大丈夫か!」


 ケータイを持っていた騎士が声を上げると、ベヒーモスはそっちを一瞥し、ツノに刺さっていた騎士を放り投げる。


「うわああ!」


 投げられた騎士は弧を描くようにケータイを持つ騎士に激突する。全身鎧をきた騎士は重量がかなりある。投げつけられた方もひとたまりもなく、あまりの衝撃に悶絶する。手に持っていたケータイもバラバラに砕け散ってしまった。


「班長! くそ、うおおおお!」


 騎士の1人が果敢に剣を振るも、ベヒーモスの体には傷がつかない。ランクAの魔物は、一介の騎士の手に負えるものではなかった。


「ちくしょう。ちくしょう」


 それでも騎士はめちゃくちゃに剣を振るが、ベヒーモスはそれをひょいとつまみ上げてしまった。


「あ、ああ、あああ」


「逃げろ!」


 武器を失った騎士は放心し、腰が抜けてしまったのか動かない。そこにベヒーモスの長く鋭い爪が迫る。誰もが彼の生存を諦めたその時、深夜の暗闇を払い除けるように煌めく一条の閃光が走る。


「どうやら、間に合ったようだな」


 力強い声が響く。ベヒーモスの爪を受け止めているのは、『閃光の騎士』ライハルト。紺色のズボンに白Tシャツ一枚という、この場にはまるでにつかわしくない服装をしている。


「ライハルト様! ライハルト様が来た!」


「隊長の連絡が通じたんだ! よかった……!」


「いやちょっと待て、見ろ、ライハルト様のあの姿。それに騎士剣も持っていないぞ」


 ベヒーモスの爪を受け止めているのはライハルトの右手。素手だ。


「無茶だ! いくらライハルト様でも、ベヒーモス相手に丸腰では……」


「はあっ!」


 ライハルトは気合を入れると、上段蹴りを放つ。素足だ。ベヒーモスの顎に綺麗に吸い込まれるように入ったその蹴りは、5メートルの巨体を大きく吹き飛ばす。


「俺の睡眠時間を奪ったのはお前か」


 ライハルトの蹴りを受け地面を転がったベヒーモスだが、それほどダメージにはなっていない。獲物の間に割り込んだ邪魔者をギロリと睨む。


「どうした? 来ないのか」


 ライハルトの挑発を受けたベヒーモスは、グルルと唸り声を上げる。その口を大きく開けるとそこに黄褐色の濃密な魔力が収束していく。その溜めの余波だけであたりの地面が捲れ上がっていく。


「な、あれは〈魔力咆哮〉! やばいぞ、くる!」


 周りの騎士たちが慌てふためき、必死に防御姿勢を取る。そんな中、ライハルトだけは冷静だ。棒立ちのまま、動こうとしない。


「ライハルト様!」


 ゴウという轟音と共に、ベヒーモスの〈魔力咆哮〉が放たれる。純粋な魔力の衝撃波は恐ろしい威力を持って地面を抉りながら一直線にライハルトの元に襲いかかる。


「〈光の盾よ〉」


 ライハルトが一言詠唱する。その瞬間彼の目の前に光の盾が現れた。それはさながら、夜を照らす月のように輝く。


 光の盾が〈魔力咆哮〉を受け止める。ベヒーモスが放った恐るべく一撃は何事もなかったかのように周囲に霧散して消えていった。


「あ、あれを、防いじまった……」


 騎士たちはその様子を呆然と眺める。Aランクの魔物であるベヒーモスには、本来騎士50名ほどの隊をもって討伐にあたる。それでも〈魔力咆哮〉は防御魔法を何重に重ねても完全には防ぎ切れないほどの威力を誇るものだ。それを単独で防ぐなど、一般の騎士からは到底考えられない。


「次は、こちらの番だ。〈魔転〉」


 ライハルトの体が金色に輝くと、その姿が閃光と共に掻き消える。それは文字通り光の速さ。無数の残光を残しながらけたたましい打撃音が響く度に、ベヒーモスの体がくの字に何度も折れる。それを下から眺める騎士たち。ライハルトの残光はまるで龍のごとく夜の王都の空に登っていく。


「余計な、仕事を! 増やし、やがって!」


 魔力強化した拳を叩き込んでいく。剣など持っていなくてもライハルトの一撃は確実にベヒーモスの体を穿ち、破壊する。空中で角や牙、脚がバラバラと砕け落ちていく。


「俺の恨みを思いしれ、クソモンスターがあぁあ!」


 トドメのかかと落としを繰り出す。ドゴオオンという轟音と共に発生した光の衝撃波は夜空に一輪の大花を咲かせた。蹴りの直撃を受けたベヒーモスは血反吐を吐きながら地面に叩きつけられ、錐揉み回転し何度も転がる。誰がみても、あれは即死だとわかった。


「うわ、汚ね」


 地面に降り立ち、血だらけになった足を見て思わず顔をしかめる。靴も履かずに出てきたため、足の指の間にベヒーモスの血や臓物がこびりついている。これは、流石に入浴しなければ。貴重な休息を邪魔された怒りで少々我を失っていたようだ。余計な手間が増えてしまった。


「す、」


「すす、」


「「「すげええ!」」」


 騎士たちが口を揃えて言う。その目はキラキラと輝き少年のようだった。


「ベヒーモスを、素手で!」


「ズボンとTシャツ一枚で!」


「Aランクの魔物を瞬殺……! これが閃光の騎士、ライハルト様なのか!」


「お前たち見たか!? あれが魔法の奥義と言われる〈魔転〉だ。自身の体を魔力そのものと化して人体の限界を越える極技! この目で拝めるとは……」


「最後の光、綺麗だったな」

 

 大袈裟に囃し立てる騎士たちに呆れながら、ライハルトは口を開く。


「早くそこの2人を治療してやれ」


 地面に転がっている2人の騎士を指差すと、騎士たちは一斉に敬礼してからせかせか動き出した。


 ――――――――――――――――


「いやあー、ありがとうございました。ライハルト様」


 回復が済んだのだろう。班長と名乗る壮年の男が入浴と着替えを済ませたライハルトにお礼を言いに来た。ライハルトはそれを手で制する。


「礼を言う必要はない。同僚を助けた。ただそれだけだよ」


「は、はっはっ! さすが、ライハルト様は器が違う! Aランクの魔物を相手にしてなおその謙虚さ。流石です。それでも、私は礼を言いたい。本当にありがとうございます」


 再び頭を下げる班長。ライハルトは今度はそれを止めなかった。


「鎧も着ず、剣すらも持たず、危険を顧みず一目散に救援に駆けつけてくれたこと、そして私の身勝手な願いを聞いていただいたこと。私はあなたという人物はこの国の宝だと、心から思います」


「大袈裟な。私は最初あなたの頼みを断ろうとしたんだぞ?」


「でも、本当に危ない時には助けに来てくれた」


「……」


「私としても、あなたに頼ってしまった自分が情けなく思っています。本来、あの魔物は私たちだけで対処しなければならなかった」


 そう、それが騎士の仕事だ。自分の持ち場は自分たちで守る。それが役割というものだ。


「しかし、Aランクの魔物相手では私たちの全滅は必至。そしてそうなれば、この地域に住む多くの人々が被害を被るでしょう。だから、恥を忍んであなたに助けを求めました」


「私しか助けられなかった、ということだな」


「はい。光魔法を使うあなたがいてくれたおかげで、私たちは、この地域の人々は救われました。本当に、ありがとうございます。あなたがこの世界に生まれてきてくれたことを神に感謝しなければ」


「だから大袈裟だぞ。私はただ、私が行かなければ誰か死ぬと思ったからここに来ただけだ。その状況で動かない奴なんていないだろ?」


「その心のあり方が、素晴らしいと思うのですよ。私は」


 ライハルトは少しバツが悪そうに頬を掻く。そんな彼を見て、班長が微笑んだ。


「このご恩は忘れません。何かありましたら必ずお力になります」


 それだけいうと、班長は宿舎のほうへ戻っていった。


「はあ。俺も帰るか。寝る時間は……ほぼないけど」


 正直、疲れた。体力的にも、精神的にもだ。


「心のあり方……か」


 班長の言葉を思い出す。


「そんな高潔なものじゃないのにな。俺はただ、俺のせいで人が傷つくのが嫌なんだ」


 俯き吐き捨てるようにいう。周りには誰もいない。ライハルトの声は誰も聞いていない。


「俺が頑張れば救えたはずの命が、俺が頑張らなかったせいで死ぬのが怖い」


 今回は幸いにも死人は出なかったが、ライハルトが来るのが少しでも遅れていたら間違いなくあの騎士は死んでいた。あの時すぐにここに向かわなかったら。鎧を着ていたら。剣を持ってきていたら。靴を履いてきていたら。その一瞬の判断のミスで、簡単に結果は変わっていた。ブルリと体が震える。


「この街には、俺にしか救えない命が多すぎる」


 簡単に人が死ぬこの世界。ライハルトがいくら頑張っても事件は決してなくならない。魔物はどこにでも出現するし、悪人なんてものはいなくはならない。そして、それによる被害も。


「今日もどこかには、俺が救えなかった人がいるのかな」


 ふっと薄く笑い、歩き出す。疲労と睡眠不足が祟ったのか、不意に視界がぐらぐらと揺れる。めまいだ。


「あれ、おかしいな。流石に疲れすぎたのか」


 自分が思うよりも、疲れが体に出ているようだ。どうにか歩くが少しふらついているのが自分でわかる。


「たまには……休暇が必要かもな。明日申請に行こう。そうしよう……」


 ふと空を見上げる。満天の星空がそこにあった。


「ああ、夜空って、こんなに綺麗だったっけ」

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