『ライハルトという人間』その2
王都、ヌーン地区。中心部からは少し離れているこの地域は、一般庶民が多く暮らす街である。住宅地には素朴な造りの家が多く、農地や森などの自然も多くなってくる地域だ。昼間に歩くと農家の人たちが麦わら帽子をかぶって畑仕事に出かけていくところがよく見られる。王都の食料を支える重要な地区でもある。
今の時間、辺りはもう暗くなっている。いつもは人で賑わう大通りも閑散とし、灯りもそれほどないためにかなり暗く感じる。住宅地から少し離れたところ、小さな林に囲まれるようにして一軒の家が建っている。やはり素朴な造りの家だが、庭が結構広めだ。その家の玄関のあたりに、きらりと一筋の光が流れる。
「ふうっ。今日も疲れたな……」
全身鎧を脱いで私服に着替えたライハルトが玄関の鍵を開けて家の中に入る。紺の長ズボンと白いTシャツ一枚という簡単な服装だが、彼が着ると高級な服を着ているように見える。
「メシは……あ、家には何もないんだった。買いに行くのは……今からじゃめんどくさいなあ。というかもう1時だし店がやってないか。いいや、もう寝たい。ポーション飲めばとりあえず大丈夫だろ。あ、ポーションも在庫少ないな。これがないとマジで、死ぬ」
独り言をぶつぶつぶつぶつ言いながら家の冷蔵庫(魔道具)を開けて中からポーションを取り出す。青くおしゃれなビンに入っている。
「たっかいんだよなあこれ。でももう安物には戻れない。俺の体はこのポーションでできてるから」
指でフタを弾き、腰に手を当てて一気に飲み干す。薬効が瞬時に全身に行き渡り体の疲労を癒してくれる。このポーションはサンライズ商店街の薬局、『ウェールシャー』で売っている高級品だ。『死ぬ前だったら生き返る』のキャッチコピーで冒険者や貴族たちに大ヒット。実際その効力は凄まじく、従来品では治らないような大怪我でも治してくれる。その分価格が3倍くらいするので、結構稼いでなければ常用はできない。
「あと、魔力ポーションも」
冷蔵庫から今度は赤いビンのポーションを取り出し、同じように飲み干す。じんわりと温まるような飲み心地。これもウェールシャーの高級品だ。キャッチコピーは『すぐに頑張りたい時に』。
「ああ〜、生き返る。染み渡るってのはこういうことだね」
もはや日課となっている、二つのポーションを飲み干したライハルトはすぐにベッドにダイブする。ふかふかのベッドはライハルトの体を優しく包み込み、癒しを与える。
「この瞬間が、さいっこう」
このベッドは一年ほど前から愛用している。やはりサンライズ商店街のお店、『イケイヤア』で買った高級家具だ。水属性魔法の〈治癒〉がエンチャントされており、寝る人の体の調子を整えてくれる。定期的に魔石を入れ替える必要があるが、ライハルトにとってはその価値のある逸品だ。
「今日は死ぬほど、疲れたな」
トワイライト地区の森から出没したオーク退治から始まり、冒険者どうしの喧嘩の仲裁。王都の外れで魔物に連れ去られた子供の捜索に、郊外の村に出没したワイバーンの群れの討伐。その後ワイバーンから逃げた魔物たちが近隣の村を襲っているとの通報があり、そこの救援。それと同時に王都の貴族から指名依頼が入り、何かと思って駆けつけてみたら飼い猫の捜索をさせられ、モーニング地区の商店街で発生した強盗事件を解決し、ヌーン地区から通報が入り駆けつけてみたら「『閃光』に会いたいから通報した」なんていう人がいたり。夕方になりようやくひと段落したと思ったら、人身売買組織が人を攫っているだとか通報が入りなんやかんやあって今の時間、深夜2時に帰宅。
「他にもいろいろ……スリとか捕まえたり、リンチを止めたり、ゴブリンを……蹴散らしたり……怪我人を……運んだ……り……」
今日解決した事件を数えていたら、羊を数えるみたいに眠気がやってきた。ここしばらくまともな睡眠は取れていない。明日だって、5時半起きだ。あと3時間もしたら起きて業務につかなければならない。ポーションがあるとはいえ、連日の睡眠不足が積み重なり過ぎている。特に今日は一日中ずっと休みなく動き回っていたため消耗も激しい。できればこの3時間の睡眠で体力を回復させておきたい。
「すう……すう」
眠りに落ちた感覚がする。完全に意識を手放し、夢の世界に旅立つその瞬間。
「ピリリリリリリ!」
「うわっ!」
心臓が跳ねて飛び起きる。今ので寿命が縮んだ気がする。ふと横の机を見ると、そこには騎士団から支給された通信機の魔道具、スマホ――十数年前、アース王国の研究者スマホ・アンドローエスと言う人物が開発した――がけたたましい音を響かせて光っていた。
「おい、おいおい、マジかよ頼むよ……」
大きなため息を吐く。この連絡を受けるべきかどうか悩む。寝ているということにして連絡を無視するか。いやもしこの連絡が重要なものだったら? バカな、重要に決まっている。こんな時間に勤務時間外の騎士にかけてくるなんて異常だ。何かしら問題が起こっているに違いない。
「く、そ、が」
思いっきり吐き捨てるように呟き、スマホをとる。耳に当てるとそこから喧騒と切羽詰まったような騎士の声が聞こえる。
「ライハルトさん! お休み中申し訳ありません! 我々では対処不可能な魔物がナイト地区北東部にて襲来! 助太刀を求めます!」
「ちょ、ちょっと待て。私は今……その、すぐには動けない状態で。ソルドはどうした? あいつは夜番だっただろ」
「そ、その。『千剣』のソルド様は今別件の任務中でして。呼び寄せてもここまで来てもらうのには数時間はかかるもので……」
王都は広い。一つの地区を跨ぐだけでも歩きで1時間ほどはかかる。だから普通はその地区で起こった事件はその地区に滞在している騎士が対応する。だが、ライハルトに限ってはそうではなかった。
「ライハルト様! あなたの〈光魔法〉だけが頼りなのです。今この場で我々が持ちこたえている間に現場に駆けつけられるのはあなた以外には誰もいません! お疲れのところ本当に申し訳ありませんが、どうか……」
「そんなこと……」
お前の持ち場くらいお前がどうにかしろ。そんな言葉が頭に浮かぶが、スマホから聞こえてくる兵士の悲鳴がそれをかき消す。
「ブラウン! 大丈夫か! うわああ!」
通信がプツリと切れる。連絡してきた騎士も襲われたようだ。
「ちっ!」
布団から跳ね上がる。今は玄関から出て行く時間も惜しい。窓を思い切り開け放ち、ライハルトはそのまま光となって夜空に消えた。
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